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ボルボ・カー・ジャパン株式会社
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ボルボ初の2ドアクーペ、262C 40周年

本プレスリリースは、2017年3月10日スウェーデン本社発、プレスリリースの翻訳版です。

ボルボ・カー・ジャパン株式会社

今から40年前にボルボに対する世間の認識を覆したモデル。それがボルボ262C(クーペ)です。このモデルは人々の心を動かし、200シリーズのベーシックモデルに比べて価格が2倍以上だったにもかかわらず、予想をはるかに上回る売上げを記録しました。


1974年の秋にボルボ264が発表され、その2年後にボルボ初の6気筒エステートである265がデビューしました。この勢いは衰えず、1977年3月のジュネーブモーターショーでは、予想だにしないモデルが誕生しました。Aピラーを大きく傾斜させるとともに、ルーフの位置を60mm低くした2ドアクーペです。ボディは流麗さを演出するために、それまで縦置きとしていたラゲッジスペースのスペアホイール収納スペースが変更されましたが、他の部分は共通でした。

262Cを特徴づけるのはインテリアです。レザーとハードウッドが贅沢に使用されていたうえ、シート、ヘッドレスト、ドアサイド、そしてステアリングまでもがレザー仕上げとなっていました。

 1973年にボルボ1800ESの生産が終了となったとき、その後を継ぐトップレンジのスポーツモデルは存在しませんでした。ボルボCEOであったペール・G・ジレンハマーは、これを問題と捉えていました。ボルボにとって最大の輸出市場であった米国では、このタイプのモデルが非常に重要であり、当時、ラグジュアリークーペは、他のスポーツカーよりも重視されていたためです。

ボルボのチーフデザイナーであったヤン・ヴィルスガールドが262Cの形をスケッチで描きました。しかし、このモデルのクレーは制作されていません。代わりに、彼は262Cの新しいインテリアについて、ボルボ164を使用して試作を行いました。トリノにあるイタリアのデザイナー、セルジオ・コッジョラの会社にこのデザイン案が持ち込まれ、4ドアであったボディが、ルーフの位置を低くした2ドアボディに変更されました。さらに、ルーフは樹脂性のカバーで覆われ、ワイドなCピラーにはスウェーデン国を象徴する紋章である3つの王冠が取り付けられました。この紋章は量販モデルにおいて、サイズが若干大きくなっています。プロトタイプが164をベースにしたものであるという明確な相違点を除けば、紋章のサイズが変わったこと以外、量販モデルとプロトタイプの間にほとんど違いはありません。 

当初、262Cには、最高出力141hpを発生する、2.7リッターV6エンジンが搭載されていました。このエンジンは、プジョー、ルノーと共同して開発され、260シリーズの全モデルに搭載されました。生産はフランコ-スウェーデンモーターズ(Société Franco-Suédoise de Moteurs-PRV)のサポートを得、フランスのドゥブランで行いました。ボルボがB27Eと名付けたこのエンジンは、アルミニウム製のエンジンブロックとシリンダーヘッドを採用したことにより、重量が150kg以下に抑えられていました。

生産台数の少ないこうしたニッチな製品は、イェーテボリのボルボの工場に適していなかったため、最終的な組み立て作業は、264TE limoの組み立ても手掛けたカロッツェリア・ベルトーネで行われることになりました。パーツをトリノに送り、そこでボディの修正、塗装、最終的な組み立てを行って完成車に仕上げたのです。フロントウインドウの下端にあしらわれた小さなエンブレムが、ベルトーネが組み立てたことを示していました。

最初の数年間、262はブラックの樹脂性カバーのルーフを備えたシルバーメタリックカラーのみでしたが、1979年以降は、ルーフなしのゴールドメタリックカラーが追加されました。この年、200シリーズの全てのセダンモデルにおいてリアのデザインが新しくなっています。例えば、トランクリッドの形状がリアエンドで下向きに折れ曲がるデザインに変わったほか、テールライトもボディのコーナー部分を巻き込んだ形状に仕上げられました。また、1980年には、樹脂性カバーのルーフを備えたブラック、ライトブルーメタリック、およびシルバーメタリックカラーがラインナップから外されています。このモデルは1980年以降、米国において「ボルボ・クーペ」という名称で販売されました。

最も際立つ存在となったのは、1981年に登場した最終モデルです。この年に200シリーズに対して、いちだんとスリムになったバンパーと新しいデザインのヘッドライト等、外観の大幅なアップデートが行われました。また、排気量の増大と14hpの出力アップに伴ってエンジンの名称がB27EからB28Eに変更されたほか、ゴールド/ヌガーによる新しいツートンカラーが採用されました。

年間の目標生産台数は800台でしたが、需要見込みはきわめて低く設定されていました。しかし、年末に生産が始まった1977年モデルと最終モデルを除き、実際の生産台数は予想の2倍を超えました。1981年に最終ロットの販売が終了したときは、すでにコレクションの対象となっていました。1977年から1981年までの総生産台数は6,622台となりました。

1985年になって、ようやく262Cの後継モデルであるボルボ780がデビューします。ベルトーネとの提携は継続されますが、780は設計と生産の両方がイタリアで行われました。

ボルボ262Cについて知っておきたい5つの事実
1. 262Cは260シリーズでの最初の2ドアモデルではありません。1976年から1977年にかけて、北米市場のみを対象とした262GLが3,329台生産されています。242のような標準的な2ドアボディではあったものの、V6エンジンを搭載し、260シリーズ由来の個性的なフロントマスクを備えていました。

2. 262Cは、スチール製のルーフを樹脂性カバー(ビニル)で覆った唯一のボルボ・モデルです。

3. コッジョラが制作したユニークなプロトタイプは、イェーテボリのボルボ・ミュージアムにコレクションとして現在も収蔵されています。

4. 独立企業のソレールが、北米のボルボ・カーズに代わり、262Cのカブリオレモデルを生産しました。ただし、生産台数はわずか5台です。 

5. ボルボCEOであったペール・G・ジレンハマーは、社用車として特別仕様の262Cを所有していました。ボディが赤に塗装され、インテリアもヘッドレストにいたるまで全てが真っ赤でした。搭載されたエンジンは、通常のV6エンジンではなく、4気筒のB21ETターボエンジンです。ボディフレームとグリルには、マットブラックのカラーリングを採用。これが先駆けとなり、1984年のGLTとターボには、ハイブラックのグリルが備わることとなりました。

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業種
製造業
本社所在地
東京都港区芝公園2-6-3 芝公園フロントタワー
電話番号
-
代表者名
木村 隆之
上場
未上場
資本金
-
設立
-
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