銀座もとじ「銀座の柳染 課外授業」を銀座唯一の泰明小学校で実施―草木染めを通じた環境教育と地域貢献活動を推進―
【詳細】
授業は「柳の剪定」「柳の歴史の講話」「柳染めの実習」の全3回に渡り実施されます。柳染めの実習では、媒染剤の一つとして、創業者・泉二弘明の故郷である奄美大島から取り寄せた大島紬の泥染めに使用する「奄美の泥」などを用いてハンカチを染めます。また、事前に柳の染液で下染めをした13mの着物用の反物に、一人一人が絵を描き合作を仕上げます。
2017 年の第20 回からは、創業者・泉二の母校である鹿児島県大島郡(奄美大島龍郷町立大勝小学校の5年生)と東京中央区立泰明小学校と子供たちが、事前にそれぞれの地域の歴史や風土を紹介するビデオレターを作成し、3 回目の染めの実習ではオンラインによる交流授業を行っています。
【課外授業実施の経緯】
銀座の柳染めは、約30年前に「銀座もとじ」が銀座一丁目の柳通りに店を構えていた時、毎年初夏に通行人の邪魔になるからと剪定される柳の枝葉を見て「この柳の命を生かして、銀座ならではの草木染めができないか」と試みたのが始まりです。
その中で泰明小学校より依頼を頂いたことをきっかけに、子供たちにものづくりを通して豊かな想像力を膨らませ、郷土愛と自然を慈しむ心を育んでほしいとの願いから、1998年より銀座の代名詞ともいえる柳の草木染めの体験学習を開始しました。以来、泰明小学校の伝統授業の一つとして5年生を対象に継続しています。
※泰明小学校の正門には「二世柳」が植えられています。
授業を通して、子供たちは「葉っぱ1枚も粗末にしたくない」と、剪定された柳の枝葉をひたむきに拾い集め、奄美から送られた粒子の細かい特別な泥に触れながら、「柳の色」が多彩に変化する染色体験を通じて、ものづくりの楽しさや自然の生命の尊さ、美しさを学びます。また、“大都会の銀座”と“大自然の奄美大島”を繋ぐ交流授業が、子供たちにとってかけがえのない出会いとなり、お互いの風土や歴史の理解を深めることで広い視野を持つきっかけとなることを願い、銀座もとじは、今後もこの活動を続けて参ります。
【概要】
催事名:第27回「銀座の柳染 課外授業」
会場:東京都中央区立泰明小学校
スケジュール(計3回)
1回目:柳の剪定 日時:5月27日(月)※雨天予備日:5月28日(火)
2回目:銀座の柳の歴史 日時:6月5日(水)
3回目:柳の泥染め実習 日時:7月5日(金) ※大勝小学校との交流授業
【ご参考】
銀座ならではの草木染『銀座の柳染』30周年。
大都会の色彩を草木で表現
銀座もとじが誇るオリジナル商品「銀座の柳染」は、大都会・銀座の街でしなやかに生きる“柳”の命の色を染料にしています。毎年、春から初夏に剪定された柳の枝葉を全国の作家、産地へと発送し、それぞれが染めた作品が、再び銀座もとじの店舗へと里帰りする30年前からスタートしたプロジェクトです。
1993年、銀座もとじの店舗が銀座一丁目の柳通りにあった当時、創業者の泉二弘明が、ふと空を見上げると、黄緑色の柳の新芽が風に揺られて、キラキラと輝いている様を目にしました。その清らかな美しさに心を打たれた泉二は、「この柳の命をなんとか草木染で表現できないか」と考案。その後、毎年中央区が銀座の柳を刈り込み処分しているという事実を知り、剪定された柳の枝葉を店舗へと分けてもらう仕組みを確立しました。柳の染料としての利用は困難な道を辿りましたが、全国各地の作家の協力もあり、草木の成長の度合いや採取する季節、また媒染剤によっても、その年ごとに多様な色を生み出す魅力的な作品を生み出しています。
銀座と柳には深い繋がりがあり、その歴史は明治時代にまで遡ります。1874年、欧米並みの街路樹を植栽しようと、桜や松、楓の3種が銀座通りの四辻に植えられましたが、埋立地である銀座は土中に水分が多く植樹が枯れてしまい、水栽培も可能な柳が選ばれました。その後、関東大震災や東京大空襲などの歴史的な被害により、その数は激減してしまいましたが、1984年より柳の植樹活動が再びスタートし、“中央区の木”として銀座に復活を遂げることとなったのです。
銀座の柳染めプロジェクトは、地域コミュニティに貢献するだけでなく、環境にも配慮した取り組みです。もともと伐採され捨てられていた柳の枝葉を染料として利用し、全国の作家や産地に送り、新たな作品を生み出すための材料として活用しています。このように、銀座の柳染めプロジェクトは、地域経済と環境保護の両面において、持続可能な取り組みを実践しています。
※「銀座の柳染」は、「銀座もとじ」の商標登録です。
【銀座もとじについて】
1979年創業。東京・銀座に女性の「織り」と「染め」の着物専門店「銀座もとじ 和織・ 和染」と2002年に日本初・男性の着物専門店としてオープンした「銀座もとじ 男のきもの」の2店舗を展開。
人間国宝による作品や重要無形文化財をはじめ、日本全国から集めた選りすぐりの着物や帯(染織品)を通して、日本の手仕事の素晴らしさを紹介しています。また、世界初・雄だけの純国産蚕品種「プラチナボーイ」の絹糸を使った一本の糸からこだわった生産履歴のわかる“顔の見えるものづくり”や、蚕から世界でひとつの着物を誂えていただく体験型プロジェクト「プラチナボーイ物語」。店内に大島紬の機織を設置し、実際に織り手が反物を織る様子をご覧いただく「銀座生まれの大島紬」や定期的に作り手を招いてのトーク会など、お客様と作り手の懸け橋として、自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れて感じたことを、自分の言葉で伝えることを大切にし、着物の裏側にあるストーリーをお届けしています。
■「銀座の柳」の歴史
明治 7年 大通りに日本を代表する『桜、松、楓(かえで)』の3種の木々が植えられる
明治 10年 銀座は埋立地なので土中に水気が多く3種の木々は全滅。水分に強い『柳』に植え替えられる
明治 17年 銀座の街路樹はほとんどが『柳』になる
大正 10年 京橋から新橋の車道を広げるため銀座の柳を撤去する
その後、品川から上野にかけて大通りはすべてイチョウ並木にする案があがり植え替えられる
大正 12年 関東大震災により銀座全域消失。イチョウ並木も喪失
昭和 20年 東京大空襲のため再度、銀座消失。柳も8丁目の40本を残して消失
昭和 43年 銀座通り整備(歩道下に電線、ガス管等を埋設する共同溝を建設する)のため柳を撤去
203本の柳を日野にある建設省街路樹苗圃(びょうぼ)に移植
昭和 59年 「目黒区に残る銀座の柳」と言う記事が朝日新聞に掲載される
区を上げての「銀座の柳」復活活動が開始される
金春通りで洋装店を営む勝又さん、 貸しビル業を営む椎葉さん達が日野の
建設省街路樹苗圃(びょうぼ)へ行き「銀座の柳」の株分けを願う (現存はたったの3本)
3本中2本は既にお腹が裂けていて根から抜いて移植できる状態ではない
枝を 50本貰い更にそれを150本に切り分けて「挿し木」にする
昭和 60年 ビルの屋上で育て150本のうち86本が根付く
70~80センチに成長した所で『二世柳』として3本を御門通りに植樹
昭和 61年 中央区の木として『柳』が選ばれる
昭和 61年11月20日 泰明小学校の入り口に『二世柳』を植樹
平成 9年 泰明小学校の『二世柳』は順調に育ち枝分けした『三世柳』が根付いたので職員室前に新たに植える
平成 10年 泰明小学校での「銀座の柳染 課外授業」を開始
平成 21年 店主・泉二の出身地 奄美大島の龍郷町立大勝小学校の校庭に銀座泰明小学校の柳の挿し木を行う
平成29年 「銀座の柳染 課外授業」が20回目を迎える特別記念企画として、
奄美大島の大勝小学校とのビデオ電話による交流授業を開始
令和6年 柳染の課外授業は、27回目を迎える
このプレスリリースには、メディア関係者向けの情報があります
メディアユーザー登録を行うと、企業担当者の連絡先や、イベント・記者会見の情報など様々な特記情報を閲覧できます。※内容はプレスリリースにより異なります。
すべての画像