【シリア現地レポート】アレッポで激化する戦闘 2
日々行われる空爆のほとんどは、事実上反政府軍の支配下にある地域を標的としている。被害者の多くは、非戦闘員の市民である。さらにその多くは子どもたちだ。彼らは自宅で、あるいは食糧を調達しに外出したときに、殺害されている。
10人家族のカヤリ家(そのうち7人は子どもたち)も、犠牲となった家族の一つだ。彼らは、アレッポ市北東部のサフール地区で、隣り合った2つの家に住んでいた。8月6日の午後、その2つの家は爆撃を受けた。家屋は粉々に破壊され、家にいた家族全員は一人残らず犠牲になった。
片方の家に住んでいたアスマ・カヤリ(25歳)は、3人の子どもたちとともに殺害された。2人の娘は9歳と7歳、息子は4歳だった。夫の兄弟(24歳)とその4歳の息子も一緒だった。
カヤリ家の裏の通りに、反政府勢力の戦闘員が寝泊まりしていた学校があったが、ここも同時に爆撃された。翌日、アムネスティは校庭で不発弾を発見した(ソビエト時代の無誘導破片爆弾だった)。戦闘員らによると、この爆弾は、カヤリ家が攻撃された同じ時間に、学校に落とされたという。同種の爆弾が、カヤリ家をも襲ったようだ。無誘導爆弾は命中精度が低く、民間人を殺傷しかねない市街地での使用は不向きである。
■子どもの遺体を捜す親
同じ8月6の日午後、この攻撃の約30分後、市内の別の場所、ブスターヌル・アスル地区で別の空襲があった。これにより、市民の死傷者はさらに拡大した。
ここでも犠牲者の多くは子どもたちだった。爆撃された建物の最上階に住んでいたクレアア家では7人が殺害され、少なくとも3人が重傷を負った。IT技術者の夫(43歳)と妻(37歳)、娘(10歳)、2人の息子(16歳と17歳)が殺害された。もう1人の娘(14歳)は片目を失い、体にも重傷を負った。子どもたちのいとこ(少女8歳)と18カ月の乳児も犠牲となり、その両親は負傷した。
爆撃の数時間後、アムネスティが現場を訪れると、親戚や隣人たちは1人の子どもを必死になって探していた。結局3日後、その子の遺体は近くの建物の中で見つかった。爆風で遺体が飛ばされてしまったのだ。
親類の1人は「生き残った親戚の娘にはまだ、『両親も兄弟もみんな殺された』と告げる勇気がありません」とアムネスティに嘆いた。「彼女は、いとこ2人が死んだのは知っています。それで、『私の家族はどうなったの?』と聞くのです。本当のことは、どうしても言えません」
■標的となる病院
反政府勢力が占拠する東部地区の病院は、こうした攻撃の死傷者に対する救急治療を担っていた。しかしこの病院自体も、3日間で2度も空襲の標的となった。「8月12日と14日の攻撃で、病院の玄関近くで数人の民間人が死傷しました。建物の上階部分も損傷を受けました」と、医者はアムネスティに語った。
攻撃の数日前、医師たちは「応急手当が終わり次第、患者を避難させている」と話していた。わずかな物資を非常事態用に確保しておかなければならず、また病院自体も攻撃の対象になる可能性があったためだ。
病院は民間人と戦闘員双方の治療にあたっている。攻撃の数日前にアムネスティが病院を訪れたときには、2人の幼い子どもが、サラセミア(地中海貧血)という血液疾患で輸血を必要としていた。病院への攻撃は、攻撃後の残骸から明らかなように、ロシア製のS5ロケットが用いられていた。精度は高くないが、こうしたロケットは特定の建物を狙う程度のことはできる。病院への攻撃が2日間に2回行われた事実は、攻撃が故意だったことを示唆している。これは、病院や医療関係者を攻撃することを禁じた、国際人道法の原則に対する重大な違反である。
▼シリアに関する最新の報告書はコチラ
「市民の命が、どれだけ奪われればよいのか」
~シリア・アレッポで激化する戦闘~
http://www.amnesty.or.jp/library/library/report/Syria_report_20120823.pdf
▼人びとの命を守るために、あなたにできるアクションがあります
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/syria_20120608.html
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アムネスティ・インターナショナルは、世界最大の国際人権NGOです。1977年にノーベル平和賞を受賞し、現在は全世界に300万人以上のサポーターがいます。
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10人家族のカヤリ家(そのうち7人は子どもたち)も、犠牲となった家族の一つだ。彼らは、アレッポ市北東部のサフール地区で、隣り合った2つの家に住んでいた。8月6日の午後、その2つの家は爆撃を受けた。家屋は粉々に破壊され、家にいた家族全員は一人残らず犠牲になった。
片方の家に住んでいたアスマ・カヤリ(25歳)は、3人の子どもたちとともに殺害された。2人の娘は9歳と7歳、息子は4歳だった。夫の兄弟(24歳)とその4歳の息子も一緒だった。
カヤリ家の裏の通りに、反政府勢力の戦闘員が寝泊まりしていた学校があったが、ここも同時に爆撃された。翌日、アムネスティは校庭で不発弾を発見した(ソビエト時代の無誘導破片爆弾だった)。戦闘員らによると、この爆弾は、カヤリ家が攻撃された同じ時間に、学校に落とされたという。同種の爆弾が、カヤリ家をも襲ったようだ。無誘導爆弾は命中精度が低く、民間人を殺傷しかねない市街地での使用は不向きである。
■子どもの遺体を捜す親
同じ8月6の日午後、この攻撃の約30分後、市内の別の場所、ブスターヌル・アスル地区で別の空襲があった。これにより、市民の死傷者はさらに拡大した。
ここでも犠牲者の多くは子どもたちだった。爆撃された建物の最上階に住んでいたクレアア家では7人が殺害され、少なくとも3人が重傷を負った。IT技術者の夫(43歳)と妻(37歳)、娘(10歳)、2人の息子(16歳と17歳)が殺害された。もう1人の娘(14歳)は片目を失い、体にも重傷を負った。子どもたちのいとこ(少女8歳)と18カ月の乳児も犠牲となり、その両親は負傷した。
爆撃の数時間後、アムネスティが現場を訪れると、親戚や隣人たちは1人の子どもを必死になって探していた。結局3日後、その子の遺体は近くの建物の中で見つかった。爆風で遺体が飛ばされてしまったのだ。
親類の1人は「生き残った親戚の娘にはまだ、『両親も兄弟もみんな殺された』と告げる勇気がありません」とアムネスティに嘆いた。「彼女は、いとこ2人が死んだのは知っています。それで、『私の家族はどうなったの?』と聞くのです。本当のことは、どうしても言えません」
■標的となる病院
反政府勢力が占拠する東部地区の病院は、こうした攻撃の死傷者に対する救急治療を担っていた。しかしこの病院自体も、3日間で2度も空襲の標的となった。「8月12日と14日の攻撃で、病院の玄関近くで数人の民間人が死傷しました。建物の上階部分も損傷を受けました」と、医者はアムネスティに語った。
攻撃の数日前、医師たちは「応急手当が終わり次第、患者を避難させている」と話していた。わずかな物資を非常事態用に確保しておかなければならず、また病院自体も攻撃の対象になる可能性があったためだ。
病院は民間人と戦闘員双方の治療にあたっている。攻撃の数日前にアムネスティが病院を訪れたときには、2人の幼い子どもが、サラセミア(地中海貧血)という血液疾患で輸血を必要としていた。病院への攻撃は、攻撃後の残骸から明らかなように、ロシア製のS5ロケットが用いられていた。精度は高くないが、こうしたロケットは特定の建物を狙う程度のことはできる。病院への攻撃が2日間に2回行われた事実は、攻撃が故意だったことを示唆している。これは、病院や医療関係者を攻撃することを禁じた、国際人道法の原則に対する重大な違反である。
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「市民の命が、どれだけ奪われればよいのか」
~シリア・アレッポで激化する戦闘~
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