【プロ野球・若き指導者の初著書が重版&電子書籍販売】「二度と、平石洋介を作らない」。名監督・名選手から頼られるリーダーの指導哲学とは?
10月9日に発売した、平石洋介(元楽天イーグルス選手/監督)初の書籍『人に学び、人に生かす。』の重版ならびに電子書籍の販売(2025年12月12日)が決定した。

2025年10月9日に刊行された平石洋介の新刊『人に学び、人に生かす。』(SYNCHRONOUS BOOKS/日本ビジネスプレス発行)は、その内容が大きな反響を呼んだ。名門PL学園で主将、松坂大輔率いる横浜高校と甲子園で繰り広げた「伝説の試合」や、現役時代に出会った野村克也、星野仙一ら名将との出会い、31歳でコーチ、39歳で楽天監督。退任後もソフトバンク、西武ラオインズに請われた「指導者」哲学の背景にあった、出来事を丁寧に辿る。スポーツライターの菊地氏に「恩讐の一冊」とも評された。異色のキャリアを歩んできた平石洋介の指導哲学が256ページに渡って綴られている。
『人に学び、人に生かす。』の一部をご紹介
本書を出す意味と覚悟
大分県で生まれ、大自然と家族に恵まれた。
小学校を卒業するころには「プロ野球選手になるんだ」と、縁もゆかりもない大阪の強豪チームでプレーすることを決めた。僕の家族、父・母・兄・姉との生活は小学生までだ。
中学で野球の腕を磨き、高校は大阪の名門・PL学園へと進学。怪我をして思うようにプレーできない日々が続いたが、最高学年時にはキャプテンを任された。当時の僕を記憶してくれている人がいるとすれば、日本野球界・希代の選手、松坂大輔率いる横浜高校と甲子園で延長戦を戦った、あの激闘の一プレイヤーだったことかもしれない。
大学は同志社で一年生から試合に出させてもらいベストナインも獲得できた。その後、プロの選択肢を断ち社会人の名門・トヨタ自動車へ入社。2年後には創設1年目となるプロ球団・東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。引退後は、監督まで務めることになる。
いいことも悪いこともあった。
現役で結果を出すことはできなかった。それなのに僕は39歳で「松坂世代」で最初のプロ野球監督になれた。1年目で3位と最低限の結果を出した。でも2年目はなかった。すぐに常勝軍団からオファーがあった。尊敬する先輩とともに戦った……。
思いもよらないことが繰り返されて、今に至るまで野球の仕事を続けている。
時代は大きく変わった。
ずいぶん大きくなった娘・息子たちは、生まれたときからインターネットがあり、物心がついたときにはスマートフォンを持っていた。これからはAIなどが相談相手にもなるだろう。彼女・彼らは何かを学ぶとき、「動画」をまず、探す。
現場で接し続けた、子どもたちよりもちょっと年上の選手たちもまた、データと向き合い、動画とにらめっこをしながら、時にその専門家たちに学ぶ。
それらの恩恵を受けることのなかった僕は、それを羨ましく感じることもあれば、物足りない、と思うこともある。
インターネットもスマホもAIもない時代、僕らが学んだものは「人」だった。
その学んだことを生かしたいと思うのもまた「人」に対してだった。
そうやって僕たちは、時代を生き抜いてきた。実は、新しいこれからの社会の中で、「人」から学ぶことは、より存在感を増すのではないかと思っている。
本書を出す意味、覚悟はここにある。
僕の半生を振り返りながら、そこにあった「人」との学びが、みなさんに生かされたら、という思いで書きづらいことも綴った。
手に取った方への感謝と、少しでも学びがあればいいなと思っている。
(『人に学び、人に生かす。』平石洋介・著の「はじめに」より)
著者プロフィール
平石洋介(ひらいし・ようすけ)
1980年4月23日大分県出身。野球指導者・解説者。高校時代を名門PL学園で過ごし、3年時には主将として甲子園に出場。2004年ドラフト7位で楽天に入団。19年に監督に就任。クライマックスシリーズ進出を果たすも退任。20年から2年間はソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に西武のヘッドコーチに就任。24年限りで退団した。
著者コメント
これまで色んな人と出会ってきました。僕の半生は、そこから学んだものを人に生かしていく作業だったように思います。その学びが皆さんにとっても、少しかもしれませんが役立てばと願っています。こんな指導者像、生き方もあるんだ、と。
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目次
はじめに
プロローグ「衝撃の人」
(2011年プロ7年目/東北楽天ゴールデンイーグルス)
闘う指揮官・星野仙一の「怒号の真実」
「宮城県で大きな地震があったらしい」
「野球をやっている場合ではない」
「この人とは、無理だ」
「平石をクビにせぇ」
「あのときは、ああすべきやと思った」
第1章「憧れの人」
( 2022~2024年 コーチ/埼玉西武ライオンズ)
敬愛する監督とヘッドコーチの葛藤
「もったいない」
「おはよう」
「アカンって言うのは簡単やないですか」
「平石は、鬱陶しいな」
「あんまり、いい話じゃないかもしれません」
「お前まで辞めたら、残された選手はどうするんや」
「お前の気持ちはわかるんだけど」
第2章「実績の人」
( 2022~2021年 コーチ/福岡ソフトバンクホークス)
常勝軍団の内実と、求めた指導者像
「ずっと気になっていた」
「モノが違う」
「今を疎かにしたら選手生命は早く終わるよ」
「今、わからなくていい」
「バッティングピッチャーを育てるつもりで打て」
「わかります? 今、ちょっとヤバいんすよ」
第3章「信頼の人」
(2018~2019年 監督/東北楽天ゴールデンイーグルス)
39年の集大成「見る」「叱る」「戦う」
「俺がみんなを守らなあかん」
「感謝の気持ちだから」
「来年、監督をやってほしい」
「監督の言うことがわかってきました」
「状態の悪い、今が普通だ」
「堂々としていろ」
「思い切りえぐってこい!」
「それはボスの意見か?」
「誰がいいですか?」
「変わったことはありますか?」
「監督がそこまで言うならわかりました」
第4章「守りたい人」
(2012~2017年 コーチ/二軍監督/東北楽天ゴールデンイーグルス)
二度と「平石洋介」を作らない
「3日で決めろってことですね?」
「自分のような選手を作らないように」
「責任を持って仕事をせぇ!」
「やっぱり、平石さんいたわ」
「ラスト1試合で投げないヤツがおるかい!」
「これから食事がしたいと言っています」
「わかりました、監督」
「『どこでも投げます』って言ってこい!」
「監督、今日もお願いします!」
「これは覚えておけ」
第5章「助けられた人」
(2005~2011年 プロ野球選手/東北楽天ゴールデンイーグルス)
名将との「悔いしかない4年間」
「クリーニングは間に合わないので」
「代わりに打ってくれて嬉しいよ」
「指導者の言うことをやってたらあかん」
「お前なんか二度と使わん」
「自分を持たないとダメだからな」
「評価は、もう下がってんだよ!」
「あれではだめだ」
「自分の思った通りにやろう」
第6章 「軽やかな人」
(2003~2004年 トヨタ自動車時代)
名門の王道と、それ以外の道
「なんで知ってんの?」
「俺はPL出身だ」
「トヨタで社長にはなれない」
「誰か、電話に出てくれ!」
「ツーバンでもアウトになればいいですよね?」
「社会人って、面白いな」
「拍子抜けすることもいっぱいある」
第7章「志の人」
(1999~2002年 同志社大学)
松坂世代がもたらした財産
「あれ、監督?」
「それ以上にすごい投手を知っている」
「サークルにすればいいんじゃないですか?」
「これはもう、元には戻りませんよ」
「これでプロになれる」
第8章「覚悟の人」
(1993~1998年 八尾フレンド/PL学園)
唯一無二の夏、打倒・横浜の「たられば」
「まだいける」
「えげつなく鋭く曲がる」
「何事も男は覚悟ひとつやで!」
「心の底から言えてなかったよな」
「辞めたかったら、辞めれば」
「脱走したのは俺らじゃないのに……」
「大分に帰って、地元の高校で野球をやれ」
「しっかりとグラブの芯でボールを捕れ」
第9章「生かす人」
(1980~1993年 大分県杵築市/臥牛クラブ)
自然が育てた「小6」のプライド
「いやいや、ちょっと待って」
「入団テストだと思ってください」
「なにぃ!?」
「キャッチャーがやりたいです」
「こんにちは」が「ちわ」
「バケツ君」
「できるだけそばにいてほしい」
おわりに
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