比叡辻遺跡の発掘調査に伴う現地説明会(一般参加可)

-中世坂本の繁栄を窺わせる集落跡が見つかる-

滋賀県大津市(大津市役所)

滋賀県大津市比叡辻一丁目で行っている「比叡辻遺跡発掘調査」に伴い、その調査成果について現地説明会を実施しますのでお知らせします。
比叡辻遺跡における宅地造成工事に伴い、約180平方メートル(一部現在も調査中)の広範囲において調査を実施し、中世(鎌倉時代~室町時代)の集落跡が確認されました。
青白磁梅瓶(めいびん)、青磁香炉など当地域の文化レベルを窺い知るような遺物が数多く出土しました。比叡辻遺跡ではこれまで発掘調査ほとんど実施さておらず、本地域の中世の状況については文献上の記述などにより集落の広がりが考えられていました。
今回の調査ではその中世集落が確認され、中世坂本がおおいに繁栄していたことを髣髴とさせるものといえます。
一般の方でも現地で説明を聞いていただけますので、ぜひお越しください。
大津市HP:https://www.city.otsu.lg.jp/manabi/rekishi/iseki/50807.html
1 一般の方向け現地説明会  令和4年9月4日(日)13時30分~
2 場所 滋賀県大津市比叡辻一丁目地先(公共交通をご利用ください)
3 比叡辻遺跡の発掘調査成果~中世坂本の繁栄を窺わせる集落跡がみつかる~
調査期間 令和3年11月~令和4年9月(予定)
調査場所 滋賀県大津市比叡辻一丁目
調査面積 1823.98平方メートル
調査原因 宅地造成
調査成果 遺跡の年代 鎌倉時代~室町時代(13世紀~15世紀)
     主な検出遺構・出土遺物 調査区毎に下記のとおり
今回の調査は、宅地造営工事に伴うもので、その道路部分を調査対象としています。非常に広い面積を調査しており、その進捗にあわせて1~5区にわけて調査を行いました。
【1区】(調査終了)
主な検出遺構:溝2条 石組溝1条 井戸1基 等
主な出土遺物:青磁香炉 瓦質土器火鉢・風炉 天目茶碗 石臼
【2区】(調査終了)
主な検出遺構:溝3条 礎石 等
主な出土遺物:土師器皿 青磁皿
【3区】(調査終了)
主な検出遺構:土間敷き遺構 礎石立ち建物 石組溝を伴う礎石立ち建物
埋甕遺構 石組み遺構 溝2条 等
主な出土遺物:土師器皿 青白磁梅瓶 陶器擂鉢 陶器甕 石鍋
【4区】(現在一部調査中)
主な検出遺構:土間敷き遺構 礎石立ち建物 溝2条
主な出土遺物:土師器皿 陶器擂鉢
【5区】(現在調査中)

<調査成果のまとめ>
今回の調査で検出された遺構は、出土した遺物の年代からみて、およそ13世紀初めから15世紀の後半のものとみられます。元々低湿地であった場所に土を盛り、建物を建てていたようです。特に1区と2区の東端の琵琶湖に近い部分と3区、つまり、調査地のすぐ琵琶湖側を通る古い道寄りの場所で比較的集中して検出されています。また、4区の西半でも土を盛った上に礎石立ち建物が検出されており、人口が増えて土地が必要になり、元々居住地でない場所に改良工事をして住む場所を確保していたと見ることができます。
出土した遺物を見てみると、土師 器の皿や瓦質の火鉢などの多くの日用品のほかに、滑石製の石鍋や青白磁の梅瓶(めいびん)、茶の湯の道具である 風炉(ふろ)や天目茶碗 、香道で用いる香炉 などがみられました。当時は、茶の湯や香合わせの文化は貴族層を中心とする雅な遊びであったと考えられます。つまり、一般の生活には贅沢なもので、本地域に文化水準の高い人が住んでいたのではないかと思われます。
今回、石組の溝を伴う礎石立ち建物や土間敷き遺構では 、一般的な生活に伴う大量の土師器皿などのほかに、文化水準の高さを伺わせる遺物が出土しました 。これらは、これまで古文書など文献史料で言われていたとおり、 坂本地域が非常に栄えていたことを物語る物的証拠の一端とみられます。

<比叡辻遺跡の概要>
比叡辻遺跡は、比叡山延暦寺の麓、琵琶湖の湖岸に位置しています。北には、平安時代に恵心僧都源信が創建した「聖衆来迎寺」があり、南に行くと明智光秀が築城した「坂本城跡」があります。また遺跡範囲内には、琵琶湖に沿って南北に江戸時代の北国海道が通っており、道沿いには民家のほか、神社や寺が点在しています。比叡辻遺跡での本格的な発掘調査は、今回が初めての調査になります。
今回の調査に関連するこの地域の特徴の一つとして、琵琶湖の船で運ばれた荷をこの地域の港に陸揚げしており、平安時代の後期ごろには、その荷物を馬や荷車で京都などへ運ぶ「馬借(ばしゃく)」・「車借(しゃしゃく)」といわれる運搬業者が多く住んでいたようです。流通の拠点として発展していたとみられています。
鎌倉時代には、琵琶湖の湖上交通の中心が下阪本の三津浜(戸津・今津・志津)になったとされています。これにより、坂本地域の流通の拠点としての重要性が増し、延暦寺が堂舎修復のため通行料を取る(坂本七ヶ関)などして湖上交通を掌握するようになりました。京都へ荷物を運ぶ「山中越」もこの頃確立されたとみられます。当地域の馬借たちもその強い経済力の下で活動するようになりました。
室町時代になると、室町幕府の三代将軍足利義満の時代の史料には、馬借や車借のほかにも「問丸(といまる)」と呼ばれる問屋や「土倉(どそう)」と呼ばれる金融業者もみられ、坂本から比叡辻の地域は、日吉大社や延暦寺の門前町として、また流通の中心地として経済的にさらに豊かな地域となっていったと思われます。
さらに、応仁元年(1467)に京都で応仁の乱が起こったことで、京都の寺や神社、そして貴族たちが、都から戦火を逃れて坂本や比叡辻界隈などに避難していました。そのため、比叡辻だけでなく坂本地域全体で人口が増え、より町が発展していたと考えられています。

 

 

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