婦女誘拐、強姦── ソ連兵に狙われた若い娘たち。大正生まれ、99歳の女性が戦争を知らない世代に贈る"遺言" 『1945わたしの満洲脱出記 ─普及版 かみかぜよ、何処に』刊行
「もはや残り少なくなった体験者の一人として、この記憶はぜひ遺しておかなければならない」
今年の上半期、世界中を、そして日本の報道を騒がせ続けたロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、四カ月経った現在も継続中である。報道ではとかく兵器による戦闘、爆撃などがクローズアップされているが、ウクライナ人に対するロシア兵の暴虐非道な振る舞いについても考える必要があるだろう。
ここに来てようやく政治家から防衛費の増額に関する話が出てくるようになってきたが、そもそも憲法九条がある時点で日本は軍備を持つことができず、解釈改憲というまやかしによって存在する自衛隊と、日米同盟によってかろうじて隣国から攻められずにいるに過ぎない。もしここに何らかしらのほころびが出てしまえば、日本もいつウクライナのようにロシアから攻められるかわからないのである。
「そんなことあるわけない」と楽観視する向きもあるだろうが、実際に75年以上前に日本はロシア兵(当時ソ連兵)によって筆舌に尽くしがたい悲惨な目に遭わされているのである。これは、先の大戦終戦後、満洲及び北朝鮮からの引揚者たちが実際に体験した事実である。
かつて「五族協和・王道楽土」というスローガンがあった。五族とは、満洲人、日本人、朝鮮人、漢人、蒙古(モンゴル)人のことで、これまでのような欧米列強による支配(覇道)ではなく、アジアの民族(五族)が仲良く協力(協和)して統治(王道)し、理想の国土(楽土)を満洲に作ろうという意味であった。
このスローガンによって、多くの日本人が満洲に渡った。著者の稲毛幸子氏夫妻もそこに含まれていた。
稲毛夫妻は、現地で生まれた二人の娘たちと共に、満洲の首都ハルピンよりもさらに北にある北安で慎ましくも幸せに暮らしていた。その生活が暗転したのは、昭和二十年八月九日。日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連による、対日参戦によってである。
満洲はソ連と国境を接していたため、真っ先に侵攻を受けた。逃げ遅れた日本人たちは、監禁、略奪、暴行、女性は拉致された上に強姦され、場合によっては射殺された人もいた。
現在では数少ない満洲引揚者の生き残りとして、当時を赤裸々に語る貴重な体験談。
日本人が決して忘れてはいけない記憶、語り継ぐべき歴史がここにある。ウクライナの戦禍は「対岸の火事」ではない。
※本書は、2014(平成26年)にハート出版より刊行した『かみかぜよ、何処に』を再編集し、普及版にしたものです。執筆当時、著者の稲毛氏は91歳でした。
【書籍情報】
書名:1945わたしの満洲脱出記 ─普及版 かみかぜよ、何処に
著者:稲毛幸子
仕様:新書判並製・200ページ
ISBN:978-4802401371
発売:2022.06.20
本体:1000円(税別)
発行:ハート出版
商品URL:https://www.810.co.jp/hon/ISBN978-4-8024-0137-1.html
【著者】稲毛 幸子(いなけ ゆきこ)
1923(大正12)年1月1日、東京都に生まれる。
出生した年に関東大震災があり、両親の故郷である山形県に引き揚げ。
5歳時に両親の仕事の都合で仙台に引っ越す。
19歳の時、同郷で10歳年上の男性と結婚。その後、満洲林産公社に勤務する夫について渡満。
満洲北部の街・北安で終戦を迎え、その後満洲国の首都・新京へ移動。終戦後一年近く足止めを余儀なくされる。
引き揚げ後は、実家のある仙台市へ。そのまま二年半の入院生活を余儀なくされる。
母、夫の最期を看取り、現在は長男一家の住む千葉県在住。
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