「女子修身」こそ国家の根本、国体の本義。『中等修身 女子用』復刊。解説は橋本琴絵氏。
戦後の女子教育から消された、日本の伝統的婦徳。道義から外れ退廃した我が国の実情をみれば、女子修身の重要性が容易く理解できる。
そもそも女子修身とは何か。それは、女子修身が全く存在しない時代の様相によって理解できよう。
令和の御代、東京・新宿では女子小学生が薬の乱用をしたいがため性を売り始めた。そのすぐ横では出産適齢期の女性達が売春をするため夜の街に立っている。貧困のためではない。若い男と遊ぶ金銭の欲しさ目的である。
また、宿された命をこの戦後七十八年間で累計三千九百三十七万人ほど殺処分した。これは大東亜戦争戦没者のおよそ十倍だ。離婚件数は軒並み増え、児童虐待認知件数も増加の一途を辿り、毎日シングルマザーの子を交際相手が殺害するニュースを国民が目にする日常となった。
このように、道義から外れ退廃した我が国の実情をみれば、女子修身の重要性が容易く理解できよう。
本書を大日本帝国の残滓とみるのは誤謬ある先入観である。本書は、神代から連綿と継がれる女子の何たるかの集大成であり、そこに高度な文明人として文化人としての在り様が説かれているのである。それは次の一文に凝縮される。
「皇国護持の一念に徹して、無窮の生々発展に寄与する国家有用の人物を育成することこそ、実に私ども女子の最大の誇りであります」
全ての国家指導者、歴史的偉人、国家の発展にいなくてはならない人物には全て母親がいた。そうした大きい話から、個々の家族の形成まで、必ず母親はそこに存在するのである。ならば、女子から母に成長したとき、その精神の性質によって国民の質そのものが定義されるといっても過言ではない。女は成長する。娘として生まれ、妻となり、母となるのである。いつまでも娘であることは退嬰そのものである。要するに身体ばかり成長して心が成長していない女が増えればその国はどうなるか。だからこその女子修身なのである。
女子の在り方とは女子一個人の人生で到底到達できるものではない。本書には歴史と伝統によって陶冶された精神の凝縮があり、思春期を迎えた女子が成人女性として信頼されるに足りる素養の何たるかを得させるものである。
私は現在四児を育てている。私個人だけでの教育には限界がある。必然的に先人たちの知恵と経験則を借りることになる。それが教育の淵源である。
御令嬢を持つ父親、愛すべき孫娘を持つ祖父が先ず本書を手に取ってくださることを真摯に願う。
※本書解説より抜粋
【書籍情報】
書名:[復刻版]中等修身 女子用
著者:文部省
解説:橋本琴絵
仕様:A5版並製・272ページ
ISBN:978-4802401654
発売:2023.09.11
本体:1800円(税別)
発行:ハート出版
商品URL:https://www.810.co.jp/hon/ISBN978-4-8024-0165-4.html
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