経験は脳に必要な情報を選択する力を育てる
─ 運転経験から見えてきた情報取り込みの神経メカニズム ─
1.発表のポイント
● 運転経験者と初心者の脳活動を運転シミュレータで比較
● 運転操作の有無によって脳の情報処理機構が変化することを確認
● 運転経験による情報取り込みの違いを実験的に解明
● 熟練ドライバーでは視覚情報に関する「情報ゲート」が的確に働くことを発見
● ドライバー状態推定技術、運転支援システム、高齢ドライバー評価、運転教育への応用が期待
2.発表概要
中部大学 理工学部 AIロボティクス学科の稲垣圭一郎教授は、東邦大学 理学部 情報科学科の我妻伸彦准教授、千葉工業大学 情報変革科学部 情報工学科の信川創教授らと共同で、運転経験が脳内の視覚情報処理の仕組みを変化させ、必要な場面だけ効率よく情報を取り込むゲートであるAlpha Gating(アルファゲーティング)(注1)の働きを最適化していることを明らかにしました。
交通事故の多くは、「見落とし」「不注意」「判断ミス」といった視覚認知に関係するヒューマンエラーによって発生します。本研究では、運転シミュレータを用いて初心者と熟練ドライバーの脳波(EEG)を比較し、運転操作の有無によって脳の情報処理がどのように変化するかを解析しました。その結果、熟練ドライバーでは、通常時には不要な視覚情報を抑制し、ハンドル操作やブレーキ操作など運転判断が必要な瞬間だけ脳の「情報のゲート」が作用して効率よく視覚情報を処理していることが明らかになりました。本成果は、安全運転を支える脳の仕組みを明らかにしただけでなく、経験によって脳が必要な情報を効率的に選択する神経メカニズムの一端を示したものです。この知見は、運転に限らず、スポーツや医療、技能訓練など、経験によって高い認知能力を獲得するさまざまな場面の理解にもつながることが期待されます。今回の研究成果は、7月17日付で米国電気電子学会(IEEE)が発行するオープンアクセス誌IEEE Accessに掲載されました。
3. 研究の背景
交通事故の原因の多くは、人間による視覚認知の失敗です。これまで、運転中の脳波を利用して疲労や眠気、注意力を評価する研究は数多く行われてきました。しかし、「運転経験によって脳の情報処理そのものがどのように変わるのか」については十分に分かっていませんでした。私たちの脳には、大量に入ってくる感覚情報の中から必要な情報だけを選択し、不要な情報を抑える仕組みがあります。この働きは「Alpha Gating(アルファゲーティング)」と呼ばれています。脳科学では、Alpha Gatingは運転だけに限らず、人が多くの感覚情報の中から必要な情報だけを選択する際に働く脳の基本的な情報処理機構であり、熟練ドライバーほど効率的に機能すると考えられています。しかし、経験によってこの機構がどのように変化するかを実験的に示した研究はほとんどありませんでした。
4. 研究内容
研究グループは24名のドライバーを対象に、運転頻度などから「熟練ドライバー」と「初心者ドライバー」に分類しました。具体的には、有効な運転免許証を3年以上保持し、かつ週5回以上運転するものを熟練ドライバー、運転免許証の保持が1年未満、または殆ど運転しないものを初心者ドライバーとしました。なお熟練ドライバーと初心者ドライバーの平均運転頻度は、それぞれ週あたり6.00±0.89回、0.79±0.68回でした。実験では、1)実際に運転操作を行う課題、2)運転時に撮影した映像を見るだけの課題の2種類を実施し、後頭部の脳波を解析しました。解析の結果、熟練ドライバーでは、運転操作が必要になると認知活動とAlpha Gatingに関わる後頭野のα帯域活動が大きく低下し、視覚情報の入力を積極的に受け入れる状態へ切り替わる一方、運転操作を伴わない場面ではα帯域活動が高く保たれ、不要な情報処理を抑えていることが確認されました。一方、初心者ドライバーではこの切り替えが小さく、状況に応じた脳活動の調整が十分ではないことが示されました。これは、熟練ドライバーほど必要なときだけ効率よく注意を集中させる「注意にからむ脳資源の最適化」が進んでいることを示唆しています。
5. 今後の展望
本研究は、経験によって脳が情報を選択する仕組みを理解する第一歩です。今後は、スポーツ、医療、航空、製造現場など様々な熟練技能においても同様のAlpha Gatingが働くかを検証し、経験が脳の情報処理をどのように最適化するのかという普遍的な神経メカニズムの解明につなげていきます。
6.原著論文情報
雑誌名: IEEE Access (公開日: 7月17日)
論文題目: Driving Experience Alters Brain Activity Related to Visual Perception and Vehicle Maneuvers During Driving
著者: Keiichiro Inagaki, Nobuhiko Wagatsuma, Sou Nobukawa
DOI: 10.1109/ACCESS.2026.3714767
URL: https://ieeexplore.ieee.org/document/11613947
■研究経費
本研究は、日本学術振興会 科研費 基盤研究C (研究課題/領域番号) (JP25K15199, 稲垣圭一郎)の支援を受けたものです。
7.用語説明
注1 Alpha Gating(アルファゲーティング)
脳波のα帯域活動によって不要な情報を抑え、必要な情報だけを選択的に処理する脳の情報制御機構。熟練ドライバーでは、このゲートを状況に応じて柔軟に開閉していることが本研究で示された。


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