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豊橋市
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古墳時代の大型神殿か?愛知県豊橋市・境松遺跡の現地説明会に230人が参加

豊橋市

愛知県豊橋市で、古墳時代前期の神殿とみられる独立棟持柱建物跡が見つかりました。この建物跡が神殿跡であれば、三重県四日市市の菟上遺跡、千葉県君津市の常代遺跡に次ぐ東日本で3番目に大きい独立棟持柱建物跡です。豊橋市文化財センターが豊橋市牟呂町の境松(さかいまつ)遺跡で行ってきた発掘調査で明らかになり、現地説明会には、地域住民や関係者ら約230人が参加しました。
 


境松遺跡は豊橋市内の西部にある牟呂地区に位置し、海浜部が埋め立てられる以前は、半島状に飛び出した段丘の先端部の小高い場所に位置していました。弥生時代には隣接する若宮遺跡にかけて環濠(かんごう)集落が広がっていました。これまでの発掘調査で、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけての竪穴建物跡が多く見つかっています。

調査は牟呂坂津地区土地区画整理事業に伴って約50,000㎡を対象に2006年度から実施されており、今年が最終年度です。今年度は4~8月にかけて、1155㎡の発掘を行いました。
今年度の調査で見つかったのは、弥生時代前期の土器棺墓2基、弥生時代後期から古墳時代前期のものと見られる竪穴建物18軒、大型の掘立柱建物2棟、中世の墓坑、中・近世の掘立柱建物や区画溝などです。

建物跡が周辺で最も標高の高い丘の上にあったことから、三河湾を見下ろす場所に地域を象徴するような大型の建物が存在していたことが明らかになりました。
 


発見された独立棟持柱建物は、外側に突き出た屋根の棟木を支えるために設けられた棟持柱を持つ掘立柱建物で、三重県の伊勢神宮の社殿でも見られる建築様式です。全国的に検出例が少なく、今回見つかった建物跡の床面積約46㎡は愛知県内最大の規模です。
 

説明会では、発掘調査員が「集落の中心となる神殿だったと考えられる」と説明。
また、東側には目隠し塀と見られる柵状の柱列も見つかり、参加者は調査区域内に設置された通路から丸く掘りあがった柱の跡をのぞいていました。
 


あわせて弥生時代後期から古墳時代前期のものとみられる大型の竪穴建物跡も2軒見つかっています。通常は1辺が4~5mの建物が多い中で、今回の建物跡は1辺が7mありました。
発掘調査員は「全国的に見てもかなり大きな部類。これだけ大きな住居を構えられる、有力な人が住んでいた可能性がある」と話します。

また、過去の調査で見つかっていた大型の掘立柱建物の床面積が約105㎡あり、これは愛知県稲沢市の一色青海遺跡の約89.8㎡より大きく、県内最大、東日本最大級の建物であることも今回分かりました。

弥生時代後期から古墳時代前期には、住居として竪穴建物での暮らしが一般的でした。見つかった掘立柱建物は規模や高度な建築技術から、祭殿や神殿、村全体の行事に関わる集会施設など特殊な用途の建物だったと考えられています。
「どういう建物で、五穀豊穣などを願う祭祀がどのように行われていたのか、想像してみてください」と話す発掘調査員。参加者は古代の生活を思い浮かべながら、遺跡を印象深く見学していました。
 

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官公庁・地方自治体
本社所在地
愛知県豊橋市今橋町1番地  
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代表者名
浅井由崇
上場
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資本金
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設立
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