【熊本地震から10年】救護活動とその後
~対応にあたった職員がインタビューにお応えします~
2016年4月に発生した熊本地震では、熊本県を中心に震度7の揺れを2度観測し、甚大な被害をもたらしました。地震から間もなく10年の節目を迎えます。
日本赤十字社(本社:東京都港区、社長:清家篤、以下「日赤」)は、発災からの約3カ月の間に全国から約2300人の職員を派遣したほか、多くの赤十字ボランティアが活動しました。
震源から3.5kmに位置する熊本赤十字病院は、多くの職員が被災する中、県の基幹災害拠点病院やドクターヘリ基地病院、DMAT参集拠点など多数の拠点機能で役割を果たしました。
日赤には、被災地で活動した当時を知る職員が多数在籍しております。インタビュー(オンライン可)やコメント提供でご協力が可能です。
記事の執筆や番組の制作にあたり、ご協力できることがございましたらご用命ください。
地震における日赤の対応
日赤は、「いのちと健康、尊厳を守る」という使命に基づき人道的な救護活動を実施しています。
また、災害救助法により国及び都道府県に対する「救助への協力義務」が規定されており、災害対策基本法では「指定公共機関」にも位置付けられています。
この災害においても、救護班をはじめとする医療支援チームを全国から被災地に派遣し、救護所や避難所などでの診療、こころのケア、救援物資の配布など、現場のニーズに合わせた様々な支援活動に取り組んできました。
この災害では、地震の揺れに起因する災害の直接死への対応はもとより、長引く避難所生活などによる災害関連死を防ぐことにも力を注ぎました。
医療救護
救護班を主体とした医療救護は、前震発生後の超急性期から活動を開始し、地元の関係機関への引継ぎが完了した6月2日までの約2か月間に全国から207の救護班を派遣。総勢1689人が活動し、6944人の避難者の方に対応しました。
救護班は、避難所における巡回診療を行うとともに、益城町・西原村・南阿蘇村にそれぞれ診療用資機材を備えたdERU(仮設診療所)を展開。ここを拠点に全国から入る支援要員が交代で活動しました。
熊本赤十字病院の感染制御チームは、避難生活が長期化するなか懸念される感染症対応のため、県の感染管理ネットワークと連携し、支援に入っている救護班に専門的な知識や物資を提供し連携するとともに、各避難所における隔離スペースの確保などについて地元保健師らと連携しながら介入しました。
また、車中泊や慣れない避難所生活における「エコノミークラス症候群」の対策のため、日赤熊本健康管理センターを中心としたエコー技師が24時間体制でDVT(深部静脈血栓症)のスクリーニングを行い、診断結果に応じて弾性ストッキングの配布や投薬治療を実施。予防活動として、健康体操教室を開催するなど、被災者に寄り添った様々な活動を展開しました。



こころのケア(心理社会的支援)
この災害では、精神科病院などが多く被災し、益城町などで精神医療が逼迫の危機に陥っていました。
こうした状況の中、日赤では、従来の被災者を対象とした「こころのケア活動」に加え、自治体職員などの“支援者”にも対象範囲を拡大して実施。4月21日から6月13日の約2カ月間展開し、35班149人が活動。1769人の方々に寄り添いました。
本災害では従来の救護班帯同型の要員派遣ではなく、「こころのケアチーム」として独立して活動させることにより、精神科医などで編成される県の災害派遣精神医療チーム(DPAT)との連携が円滑になり、医療的対処が必要となった方への対応がスムーズになりました。
また、長期化する災害対応に疲弊した支援者(地元の病院関係者や行政職員など)をケアするため、役場内にリフレッシュルームを開設するなどして支援者支援にも力を入れました。
ここでの活動は、こころのケア活動を一歩前進させる契機となり、その後の災害でも生かされています。

救援物資の配布
日赤では被災者に対する救援活動を迅速かつ円滑に実施するため、平時から各都道府県支部などに救援物資を備蓄しています。
この災害においても、熊本県支部で不足した分については、本社をはじめ全国の都道府県支部から輸送し、全社を挙げて救援物資の配布にあたりました。
毛布19880枚、安眠セット6565個、緊急セット(携帯ラジオ、紙皿、包帯などの詰め合わせ)1224個、ビニールシート5127枚などを日赤から各市町村窓口(自治体や社会福祉協議会など)へ配布しました。
ボランティア
日頃から赤十字ボランティアが各地域で防災訓練や高齢者支援などを行っています。
この災害においても、日赤熊本県支部では、前震発生後から「日赤熊本災害ボランティアセンター」を設置して、炊き出しや配食支援、救援物資の配布、救護班の受入準備、支部支援などニーズに応じたサポートを行いました。
義援金の受付
発災翌日に義援金募集を決定。当日中に金融機関などの諸機関と調整の上、受付を開始しました。
受付を終了した2021年3月末までで296億6961万2978円を受領。全額を義援金配分委員会に届けました。
災害での経験を踏まえた10年の経過
この災害では、東日本大震災など過去の災害の反省を生かして活動できた点が多くある一方、前震と本震、そして多発する余震という多くの想定外が重なり、いくつかの課題が明らかになりました。
日赤の被災地支部に設置される災害対策本部では、人的な資源の不足などから受援に課題が残りました。この課題に対応するため、救護員を養成するための育成体系を再構築し、その教育において、応援側に加え受援側の研修内容も盛り込みました。併せて、大規模災害の際には支援を受けることを前提とし、すべての支部の災害対策本部の組織体系や機能、レイアウト、業務内容や活動手順などを標準化するための規定や研修を整備しました。
日赤災害医療コーディネートチーム(以下、「CoT」)においては、東日本大震災以降に、国の動向に併せて日赤としても整備しましたが、この災害が全社的に本格派遣された初めてのケースとなりました。救護の拠点となった熊本赤十字病院が多くの機能を持つ多機能病院であったことから、被災地CoTは業務過多の状態となり、関係団体との調整など全体を俯瞰するコーディネートに課題が残りました。こうしたことを受け、CoTにおける活動要綱を整備して活動内容を整理するとともに、CoTの更なる確保や教育の充実を図り、2026年3月時点で、134チーム(692人)を常備しています。令和6年に発生した能登半島地震では、こうした点について一定の機能が果たせたと評価しています。
今後も、日々体制を検証し、組織的な救護体制と機動力を持つ日赤の特徴を強化することで、国民の期待と信頼に応えていけるよう努めて参ります。
当時を知る職員 ※日程調整の上、インタビュー可能です

当時の活動と今
熊本赤十字病院 院長 奥本 克己
発災当時、被災地の最前線で災害対応にあたった医師であり、現在は、熊本赤十字病院の院長を務めています。
震災当時の救護活動や基幹病院における災害対策、現在の熊本県内の医療体制などについてインタビューにお応えします。
(略歴)1995年、九州大学医学部卒業。沖縄での卒後臨床研修後に外科医となり、沖縄県立八重山病院を経て2006年、同院に入職。2009年から救急部門長。その後、救命救急センター長や副院長を経て、2026年4月から現職。日本救急医学会指導医・救急科専門医、日本DMAT隊員、統括DMAT登録。これまでに、東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨、熊本豪雨などの災害で活動経験を有する。

日赤の救護活動
本社 救護・福祉部 救護課長 土居 正明
発災当時、日赤岡山県支部の救護班として被災地に派遣され、救護
活動を実施。現在は、本社の救護課長として、全社的な救護のオペレーションを担っています。
日赤の救護活動全般やその変遷などについてインタビューにお応えします。
(略歴)1997年入社。岡山県内で災害救護、献血推進、医療事業などに従事。2024年より本社で救護員育成体系整備に携わる。これまでに、東日本大震災、平成28年熊本地震災害、平成30年7月豪雨災害、令和6年能登半島地震災害などでの救護活動に従事。
※上記職員のほか、こころのケア活動やボランティア活動に関するインタビューにお受けできる職員も多数在籍しております。
このプレスリリースには、メディア関係者向けの情報があります
メディアユーザー登録を行うと、企業担当者の連絡先や、イベント・記者会見の情報など様々な特記情報を閲覧できます。※内容はプレスリリースにより異なります。
すべての画像
