肺がんの治療抵抗性を高める新因子「C/EBPγ」を発見 ~がん細胞の形質変化(EMT)とDNA 修復をつなぐ仕組みを解明~

金沢大学がん進展制御研究所機能ゲノミクス研究分野の鈴木健之教授、鈴木隆介博士研究員、東京都医学総合研究所の寺島農研究員(研究当時:機能ゲノミクス研究分野助教(~2024.3)、熊本大学国際先端医学研究機構特定事業研究員(2024.4~2026.3))らの共同研究グループは、肺がんの一種である肺腺がんが、治療に対して抵抗性を持ち、悪性化するプロセスを制御する新たな因子C/EBPγを同定しました。
がん細胞は治療の過程で、上皮間葉転換(EMT:Epithelial-to-Mesenchymal Transition)(※1)と呼ばれる現象によって「抗がん剤の影響を受けにくい性質」へと変化したり、抗がん剤によって生じたDNA 損傷(※2)を自ら修復する能力を高めたりすることで、治療を困難にします。
本研究では、C/EBPγがこの「性質の変化」と「DNA 損傷の速やかな修復」という二つの強力な生存戦略を操る、いわばがん細胞のしぶとさを支える核心の「ハブ」であることを突き止めました。また、C/EBPγは、DNA に結合して遺伝子を制御する役割も持ちますが、肺がん細胞の悪性化においては、DNA との直接的な結合は必要とせず、特定の「パートナータンパク質」との相互作用を介するという独自の様式で、がん細胞の生存を有利な状態へと導いていました。
本研究成果は、C/EBPγがEMT によるがんの悪性化とDNA 修復能の増強を分子的に結びつけ、肺腺がんの治療抵抗性獲得に関与する可能性を示すものです。得られた知見は、肺腺がんに対する新たな標的治療の開発や、薬剤耐性克服に向けた治療戦略の構築に貢献することが期待されます。
本研究成果は、英国科学誌『Cell Death Discovery』に掲載されました。論文は、2026年6 月2 日にオンライン先行公開(unedited version)され、その後、2026 年8 月4 日14時(日本時間)に最終版がオンライン版に掲載されました。
【研究の背景】
がんの進展過程では、腫瘍細胞が性質を変化させ、浸潤や転移能を獲得するとともに、治療に対する抵抗性を高めることが大きな問題となっています。その代表的な現象の一つが、上皮間葉転換(EMT:epithelial–mesenchymal transition)です。EMT では、上皮系のがん細胞が間葉系様の性質を獲得し、細胞の運動性や可塑性を高めることで、腫瘍の不均一性や悪性化に寄与すると考えられています。EMT は、SNAIL、TWIST、ZEB ファミリーなどのEMT 関連転写因子によって制御されることが知られています。しかし、EMT を制御する分子ネットワークの全体像はなお十分に解明されておらず、特に、EMTがどのように治療抵抗性などの悪性形質と結びつくのかは、重要な未解決課題として残されています。
従来、EMT 関連転写因子の同定は、上皮マーカー遺伝子E-cadherin の発現抑制や間葉系マーカー遺伝子の発現亢進といった遺伝子発現の変化を指標として進められてきました。一方、近年では、遺伝子発現だけでなく、エピゲノム(※3)の変化に着目した研究が進んでいます。なかでも、ヒストンH3 リジン4 トリメチル化(H3K4me3)のシグナル領域の拡大は、細胞のアイデンティティを規定する重要な遺伝子領域の特徴として注目されています。
私たちはこれまでに、サイトカインの一種であるTGF-β(※4)によって誘導されるEMT において、ヒストンメチル化修飾が重要な役割を果たすことを示してきました。そこで本研究では、EMT の進行に伴ってH3K4me3 修飾領域が拡大する遺伝子に着目し、細胞状態の転換を担う新たなEMT 制御因子の探索を行いました。
また、抗がん剤や放射線治療はDNA 損傷、特にDNA 二本鎖切断を誘導することで抗腫瘍効果を発揮します。しかし、がん細胞はDNA 修復機構を活性化することで、DNA損傷を効率よく修復し、生存率が高まって治療抵抗性を獲得します。近年、EMT がこのようなDNA 修復能の亢進と関係する可能性が示唆されていますが、その分子メカニズムはいまだ十分には明らかになっていません。
このような背景から、EMT を制御する新規因子を同定するとともに、EMT とDNA 修復能との連関を統合的に理解することは、がんの悪性化機構の解明と新たな治療戦略の開発に向けて重要な課題と考えられます。
【研究成果の概要】
本研究では、肺腺がんにおいて上皮間葉転換(EMT)を誘導する新たな因子として、転写因子C/EBPγを同定しました。私たちは、遺伝子発現の変化だけに依存するのではなく、H3K4me3 修飾領域の拡大というエピゲノム情報に基づく独自の解析手法を用いて、TGF-β刺激によるEMT の過程で活性化される転写因子群を網羅的に探索しました。その結果、従来の解析では見落とされていたEMT 関連因子としてC/EBPγを見いだしました。
機能解析の結果、C/EBPγを肺腺がん細胞株(A549 細胞など)に過剰発現させると、細胞形態は間葉系様の形態へと変化し、上皮マーカーであるE-cadherin の発現の低下と、N-cadherin やビメンチンなどの間葉系マーカーの発現の増加が認められました。これに対し、RNA 干渉によりC/EBPγの発現を抑制すると、EMT が抑制され、細胞の運動能も低下しました。これらの結果は、C/EBPγがEMT の促進に寄与する重要な因子である
ことを示しています。興味深いことに、C/EBPγによるEMT 誘導には、C/EBPγのDNA結合ドメインではなく、ロイシンジッパードメイン(LZ ドメイン)(※5)が必須であることが明らかとなりました。この結果は、C/EBPγがDNA に直接結合して標的遺伝子を制御するのではなく、他のタンパク質との相互作用を介してEMT を制御することを示しています。
そこで、免疫沈降実験と質量分析により、C/EBPγと相互作用するタンパク質を解析したところ、EMT を抑制する働きを持つC/EBPβに加え、DNA 二本鎖切断修復に関わるKu 複合体の構成因子であるXRCC5 およびXRCC6 が同定されました。詳細な解析の結果、C/EBPγはLZ ドメインを介してC/EBPβと相互作用し、その転写活性を抑制することで、C/EBPβが担うEMT 抑制的な制御を解除し、EMT の進行を促進することが明らかとなりました。
一方、C/EBPγはXRCC5/XRCC6 との結合を介して、化学療法剤エトポシドによって誘導されるDNA 損傷部位へKu 複合体を迅速に集積させることが示されました。これにより、DNA 二本鎖切断の主要な修復経路である非相同末端結合(NHEJ)が促進され、DNA 損傷マーカーであるγ-H2AX の減少、細胞生存率の向上、さらにマウス移植腫瘍モデルにおけるエトポシド治療抵抗性の増加が観察されました。
以上の結果から、C/EBPγはEMT の誘導とDNA 修復能の強化を同時に担うことで、肺腺がん細胞の悪性化と治療抵抗性の獲得に寄与することが明らかになりました。本研究は、C/EBPγがEMT に伴う転写プログラムの再編とDNA 修復能の増強を分子的に連結する「ハブ因子」として機能することを初めて示したものです。この発見は、EMT とゲノム安定性維持機構の新たなクロストークを示すとともに、C/EBPγおよびそのLZ ドメイン依存的なタンパク質間相互作用を標的とする新規治療戦略の開発に向けた重要な基盤を提供します。
【今後の展開】
今後、C/EBPγ自体、あるいはそのLZ ドメイン依存的な複合体形成を標的とする阻害法を開発することで、EMT に伴う転写変化とDNA 修復能の連携を断ち切り、既存のDNA 損傷型抗がん剤の効果を高める新たな治療戦略につながることが期待されます。また、本研究で示されたEMTとDNA修復の協調メカニズムをさらに深く理解することで、肺腺がんのみならず、多様ながんに対して、悪性進展の阻害や薬剤耐性克服など革新的治療法の開発に貢献できると考えられます。
本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究C(JP22K06880、代表者:鈴木 健之、JP22K07147、代表者:寺島 農)、文部科学省共同利用・共同研究システム形成事業~学際領域展開ハブ形成プログラム~(JPMXP1323015484)の支援を受けて実施されました。
【掲載論文】
雑誌名:Cell Death Discovery
論文名:C/EBPγ induces epithelial-mesenchymal transition and facilitates DNA double-strand break repair in lung adenocarcinoma cells
(C/EBPγ は肺腺がん細胞において上皮間葉転換を誘導し、DNA 二本鎖切断修復を促進する)
著者名:Minoru Terashima, Ryusuke Suzuki, Kusuma Suphakhong, Tatsunori Nishimura,Eerdunduleng, Takahisa Takino, Shin-Ichi Horike, Takumi Nishiuchi, Shoichiro Tange, Akihiko Ishimura, Dominic C Voon, Goro Sashida and Takeshi Suzuki
(寺島農、鈴木隆介、Kusuma Suphakhong、西村建徳、Eerdunduleng、滝野隆久、堀家慎一、西内巧、丹下正一朗、石村昭彦、Dominic C Voon、指田吾郎、鈴木健之)
掲載日時:2026 年6 月2 日(unedited version)オンライン版に掲載
2026 年8 月4 日(最終版)オンライン版に掲載
DOI:10.1038/s41420-026-03181-0
【用語解説】
※1 上皮間葉転換 (EMT:Epithelial-to-Mesenchymal Transition)
固着した上皮系細胞が、細胞極性や細胞間接着を喪失し、紡錘形の運動能の高い間葉系細胞へと変化する現象のこと。正常な胚発生にも必要なプロセスですが、がんにおいては、浸潤・転移や治療抵抗性の亢進につながり、悪性化の要因となります。EMT の誘
導は、EMT マーカー遺伝子の発現変化(上皮マーカーの発現低下、間葉マーカーの発現上昇)、紡錘形の細胞形態への変化、細胞接着分子E-cadherin の細胞表面レベルの低下などにより評価されます。
※2 DNA 損傷
外因性または内因性の要因によりDNA が損傷すること。エトポシドのようなDNA 損傷を誘導する薬剤は、がんの化学療法に用いられており、正常細胞に比べて増殖が盛んながん細胞に選択的に作用することが知られています。しかし、がん細胞は、DNA 修復機構を活性化させることにより、このような治療に対して抵抗性を示すようになることが明らかになっています。
※3 エピゲノム
DNA や、それを収納するヒストンタンパク質における後天的な修飾のこと。DNA の塩基配列(ゲノム)を改変することなく、遺伝子の発現を制御します。DNA のメチル化、ヒストンタンパク質のメチル化やアセチル化などの化学修飾が報告されており、これらの修飾の変化が、がんをはじめとする様々な疾患に関与することが明らかにされています。
※4 TGF-β (Transforming Growth Factor-β)
細胞の生存、増殖、分化を制御する多機能性サイトカイン。がん細胞に対して、抑制的な作用と促進的な作用を示すことが知られており、進行したがんにおいては、EMT を誘導することで悪性化に寄与することが報告されています。肺腺がん細胞株A549 細胞を用いたTGF-β誘導性EMT モデルは、EMT 研究で広く用いられている実験系です。
※5 ロイシンジッパードメイン(LZ ドメイン:Leucine Zipper domain)
タンパク質が持つ二次構造の一種。ペプチド配列において、7 アミノ酸おきにロイシンに代表される疎水性アミノ酸が配置されたジッパーのような構造を形成し、タンパク質間相互作用を生み出します。
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熊本大学総務部総務課広報戦略室
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