「ABCラジオ 上方落語をきく会」いよいよ3月3日(日)に昼夜の公演を開催!夜の部にトリでご出演の桂文珍さんにインタビュー
ABCラジオは、3月3日(日)に、「上方落語をきく会」を開催します。
1965年(昭和30年)12月の旗揚げ以降、現在まで続く「上方落語をきく会」は、上方で最も長い歴史を誇る落語会です。これまでに「1080分落語会」や「しごきの会」などの企画公演も開催し、数多の名演が繰り広げられてきました。122回目を迎える今回も大阪の国立文楽劇場で昼夜の2公演を行い、上方落語のベテランから若手まで、各世代の実力派が顔を並べます。当日はABCラジオの生放送でもお楽しみいただけます。
17時半開演の夜の部には今年芸歴55周年を迎える桂文珍さんを始め、桂南天さん、桂吉弥さん、桂佐ん吉さん、桂慶治朗さん、笑福亭笑利さんが出演されます。
当日の総合司会で、ABCラジオの落語番組「日曜落語~なみはや亭~」席亭(案内役)の伊藤史隆アナウンサーが、夜の部にトリで出演される桂文珍さんにお話を伺いました。
両親の反対を押し切って落語家に
伊藤史隆(以下、伊藤) 今日は夜の部にご出演の桂文珍さんにお話を伺います。どうぞよろしくお願いいたします。
桂文珍(以下、文珍) どうも、文珍です。よろしゅうお願いします。
(伊藤) このところ、ABCラジオの月曜夜の「文珍・小佐田 夜のひだまり」(※1)で本当に幅広くいろんなお話をいただいていまして。
(文珍) 楽しみながら、みなさんに笑うていただいたり、落語に親しんでいただいたらありがたいなと思て、やらしていただいています。
(伊藤) 文珍さんの古典も、ご自分でお作りになる落語も、それからマクラもという世界が、ああやってラジオの番組になっていくと、こうつながっていくんだなっていう。
(文珍) そうですね。メイキングを見ているようなところがあるかもわかりませんね。
(伊藤) 桂文珍さんは1948年のお生まれでいらっしゃって、入門が1969年、昭和44年。当時の桂小文枝(五代目桂文枝)さんに入門されて今年、55周年という!
(文珍) そうなんですよ。あっという間というかね、なんか夢の中を走ってたら、そうなってしもたなぁというか。ずーっと好きだけでやってるだけのことですからね。
(伊藤) いや、でもほんとに若くしてぱっとこう、メディアもですが、落語の世界でもトップランナーになられて。
(文珍) いやいや、運がよかっただけでね。テレビの中で働く場所があったり、そんな時代でしたしね。だからラッキーだったんだと思いますけどね。
(伊藤) とは言うものの、55年の噺家生活の中で、大げさではなく50年以上は本当に常にいろんなジャンルのトップを。
(文珍) トップじゃないですけどね、いろんなことを、興味のあることをやらしていただいて、今日まで来てしまってっていうだけのことですけどな。
(伊藤) でも、改めましてなんですけども、入門が昭和44年ですから、二十歳か二十一歳になろうかっていうお年の時に、「よし、噺家になるぞ。桂小文枝さんの門を叩くぞ」というお気持ちっていうのは、どんなだったんですか?
(文珍) 今の時代と違いましてね、親は反対しまして。父親がものすご怒りましてね。ほんで母親が止めてくれたおかげで落語家になれたんです。父親に「落語家になりたいねや」って言うのがものすごく難しくて、一番機嫌のえぇタイミングを探すんですけど、そんなんなくて、どうしようかなと思って、ちょっと話あるねんけどーみたいなね。
(伊藤) ハイハイ。
(文珍) 言うたらもう父親がえらい怒ってね。「そんなつもりで育てた覚えはない」と。
(伊藤) はい。
(文珍) 「そんなものに身を落として」って言うたんで、おもしろい言い方しはんな、思てね。こっちは冷静ですから。感情がぐわーっときた親父がこう、バッと拳を振り上げた時に、お袋がパッと止めてくれてね、「お父さん、もう戦争行って死んだと思ってあきらめよ」って言うたんですよ。母親はすごいことを言うなと思って。ほんで父親が「そうか」と思ったんでしょうかね。母親が言うもんですから。父親は戦争で弟さんを亡くしたり、いろいろしてますからね。自分も戦争体験もありますから。で、それ言われたら―みたいな感じだったんですね。
(伊藤) ハイ。
(文珍) で、仕事をし始めて、しばらくすると無心をされてね。お金を送って来いと。何でやと言うと、トラクターとかコンバインを買うんでお金がいるんで送れと。で、おかしいやないかと。戦争で死んだ人間がなんでそんなん送れんねやと言うた時に、母親が「お前のことは遺族年金やと思ってるんや」と。
(伊藤) ハハハ!
(文珍) ものすごくおもしろい切り返しする人やと思って感心したんですよ。父親も母親も最初は反対してたんですけど、しばらくして親父が大阪へ出てきて一緒にご飯を食べに行った所で、そこのお客さんが「あ、文珍さんや」とか言うてくれはって、そしたら親父がぱっと立ち上がってね、「息子を知っていただいて。どうぞよろしぅお願いします」と頭を下げたから、あんなに反対してたのになぁ。ありがたいなと思てね。まだなんばグランド花月がない時代に、母親がなんば花月へ見に来て、照明室から見てましたわ。それがね、10年ほどたってからかな。「やっと安心して見られるようになったわ」と言うてました。その両親もね、送ってしまいましたけど。
(伊藤) ハイ。
(文珍) ありがたいことでしたな。
(伊藤) 本当に、お父さまがそうおっしゃるのも、失礼ながらですけど、わからないでもないです。今の文珍さんのお姿がわかっていれば、それは反対されないんでしょうけど、芸能の世界っていうのは本当にどうなるかわからないんで。
(文珍) 「そんな不確実なんより、公務員になれ」ばっかしでしたからね。まわりが学校の先生ばっかりだったもんですから。
(伊藤) 親の気持ちとしてはわかりますよね。
(文珍) そりゃ、そっちへ行けと。それで年金もらって生きていけというような話ですわな(笑)。
人気の陰で地道な研鑽を積み55周年
(伊藤) 文珍さんご自身は入門された時に、5年後こうなっていたい、10年後はこんな感じでとか、ご自分の将来像なんていうのはどういう風に思ってらっしゃったんですか?
(文珍) いやー、恥ずかしい話、「ザ・パンダ」(※2)みたいなグループでばーっと人気が出てんねんけど、芸の力がないのは自分が一番ようわかってましたから。これの落差に悩みましたな。
(伊藤) はぁ。
(文珍) ほんで、こらあかんで、っていうんで、芸の方をしっかり積み重ねないかんなということに、なんとのぅ気づいてね。ほんで今度、芸がちょっとできるようになってきたら、人気の方がなくなってきたと。そういうもんですよ。おもしろいもんですね。だから、それはまぁ人の気ですからね。どう変わるやわかりませんから。
(伊藤) 今だからこそ言える話かもしれませんが、「ザ・パンダ」をはじめとして、メディアで飛び回ってらっしゃるような20代、30代のかかりくらいの時にも、文珍師匠は実は小さな落語会などにも出てらっしゃったんですよね?
(文珍) えぇ。小さい落語会「三日月会」とかね、茨木市の消防署の上を借りたり。自分でチラシをまいてね。
(伊藤) へー!
(文珍) 駅前で、こんなんやりますとかね、そんなんやってました。
(伊藤) 「文珍さん!」とか言われませんでした? チラシをまいていたら?
(文珍) いや、「どうしたんや?」みたいな。大丈夫かと。熱あるの違うかみたいな感じでしたけどね。お寺の本堂をお借りしたり、そんなんしながら、いろんな場所でやらしていただいて。みなさんのお力添えで今日がある感じですな。
(伊藤) で、歩んでこられて55年。
(文珍) 55年! いややねー。
(伊藤) ハハハ(笑)! でも、文珍さんはそれこそ「夜のひだまり」でも盛んにそのお話をされていますが、いろんなところにアンテナを張って、新しい落語を作る着想を持ってこられることを続けておられるわけなんですよね?
(文珍) そうですね、何かやっていかなと思てね。ただ、ぶれないように。好きなものを貫くっていうのが一番いいんじゃないかなって思ってね。そういうチャンスを与えていただいているってことに感謝をする。そういう年になってきましたなぁ。
(伊藤) 番組の裏話をするようでちょっとなんですけど、落語作家の小佐田定雄さんと加藤明子さんと一緒にトークで大いに盛り上がり、収録が終わってお帰りになるのかなと思うと、実はそうじゃなくて、次のネタをどうしましょうか、こんなことを考えてるねんけど、どうやろと盛んに話しておられるのを見て、すごいなと。
(文珍) いやいや、あのね、小佐田さんは落語作家としてたくさんの作品をお作りになってこられたんですよね。で、ご互いにその手の内はわかってるんですけど、あの人もね、ほっといたらね、怠けはるねんね。
(伊藤) ハハハ!(笑)
(文珍) 私も同じで、お互いに刺激し合わないと劣化していくんじゃないかなというのがあって。ブラッシュアップって言うか。いつも新鮮な、「こんなんどやろなー」というのをお互いにやり取りしてるっていう感じですね。
今の世の中をとらえて、それを笑いに
(伊藤) 去年の夏から年末、年が明けてからも、文珍さんがすごく新しいネタを披露されてる。過去じゃなくて、現在じゃなくて、未来に落語というものがこうなっています。かもね?っていうところで。こういうつなぎ方ってすごいなと思って、私、拝聴してるんですけど。
(文珍) あのね、落語って地味な芸能ですよね。芸能のうちではね。で、頭の中で描く世界ですし、ラジオと割と仲がいいんです。で、小説とも仲がいい。文字を読んでる間にその世界に入っていけるみたいな。音で聞いてるだけだけども、なんかおもしろいなって思っていただける。そういうのを大事にしたいなと思ってましてね。で、それを「この頃の言葉が通じひんねん」とか、「言うてもわかれへんねん」ってぼやくのは誰でもぼやけるんで、そうではなくて、それをネタにできないかっていうところで発想した噺ですね。
(伊藤) 「落語記念日」。
(文珍) そうですね。小佐田さんに「落語ってなんやろね」っていう、そういう噺を考えてんねんけど、一緒に考えませんか、みたいなところからできた噺です。
(伊藤) そうか、そうか。「もう最近何言うてるのか、よぅわからん」とか、「最近の話は」ってぼやくとか嘆くんじゃなくて、もう一歩踏み込んだら―というところから噺ができてきたんですね?
(文珍) そうそう。かんてきもわからん、七輪もわからん、コンロもわからん。ね? 竈(かまど)は「鬼滅の刃」の竈門炭治郎で知ったみたいな(笑)。
(伊藤) ハハハ!
(文珍) そういう世代がいっぱいいらっしゃって。そういうのをギャグにしてしまって、わかる人はわかるし、わからない人は今、もうスマホで何でも検索すれば教えてくれる時代ですから、そこへアプローチしていただいたらえぇだけのことですからね。で、そういうものをうまくできないかな、ネタになったらおもしろいなというんで、できた噺です。
(伊藤) 今まで私もたいがいの落語を聞いてきましたけど、全くない発想の落語ですもんね?
(文珍) なかったんですよね。それが不思議でね。映像文化みたいなもんが進み過ぎて、言葉だけでイメージをする能力が劣化しているんではないかというようなことを途中でしゃべる男がいたりするんですけど、まぁまぁ、そういうちょっと懸念というか、気持ちがどっかにあって。で、それをネタの中へ、フィクションの中へ入れていくっていう、そういう作業ですね。それをたまたまネタにできたというだけのことですね。
(伊藤) だから、今の世の中をとらえて、それを笑いにしていくっていうものの進化系があるような。
(文珍) それでね、あれね、元は未来の話をずっとしているようで、実はそれは江戸時代の文久年間とかの話だったみたいにしたいんですよ。
(伊藤) へー!
(文珍) ちょっとSFが好きなんですね。びゅんって戻れるみたいな。
(伊藤) じゃ、まだまだあの噺も進化していくわけですね?
(文珍) 進化すると思いますね。あのね、「エイリアン」っていう映画あるでしょ? 「エイリアン4」をこの間、映画のチャンネルでやってたんですね。最初、エイリアンを怖いものだ、敵だっていう風に思っていたものが、なんべんもシリーズで見ていると、すごく、その気持ちがわかるようになってくるんですよ。主演のシガニ―・ウィーバーがお母さんになって、最後、もうクローン人間になってしまっているんですけど、いわば母性、母が卵をあぁやって残して、エイリアンは地球で生きていこうとしているわけでしょ? それってね、人間とウイルスが共生っていうか、共存せざるを得ない状況なんですよね。
(伊藤) ハイ
(文珍) 今、コロナが5類になったところで、全滅はしてない。で、静かに彼らはいるんですよ。だからそこんとこをわかった上で、ともに生きていかざるを得ないと言うことを映画の「エイリアン」から学びましたね。
(伊藤) ハハハ!
(文珍) うちの家族は「そんな気持ち悪いもの、よう見るで」って言うんですけど、いや、そんなことはない。このごろエイリアンが、このネバーっとしたやつがかっこよくなってきた。
(伊藤) ハハハ!
(文珍)「おかしいんちゃう?」とか言うんですけど、でも、そういうことですよ。
(伊藤) 次の着想っていうとこになるのかもしれないですね。
一番アジャストする噺を
(伊藤) さて、桂文珍さんは3月3日の日曜日の「上方落語をきく会」の夜の部にご出演をいただくということになっております。
(文珍) お世話になります。
(伊藤) この会自体も、それこそしっかり歴史を積み重ねさせていただいて、文珍さんにも本当にたくさんご出演いただいております。
(文珍) ありがとうございます。
(伊藤) さて、今回ですけども、高座に向かうお気持ちはいかがでしょうか?
(文珍) そうですね。出番を間違わないようにしたいなと思てね(笑) この間、ちょっと早く出てやろう思てね。シャレで出ようとしたら、桂南天君に止められてね。「冗談でやってるんねやがな」と言うたんですけど。まぁまぁ、流れを見ながら一番アジャストするような噺を選ばせていただいて、やらせていただいて、楽しんで頂けたらありがたいなと思ております。
(伊藤) この会はABCラジオで生放送いたします。桂吉弥さん、桂南天さんが落語を披露されたあと、文珍さんがご登場ですので、これは本当にお聞き逃しいただけない落語会になると思うんです。
(文珍) ぜひとも聞いていいただけたら嬉しいです。
(伊藤) ぜひ! 実はチケットはおかげさまで夜の部は完売でございますので。
(文珍) お、そうですのん!?
(伊藤) チケットをお持ちでない方はABCラジオでお楽しみいただきたいと思います。
(文珍) ですよね!
(伊藤) ということで、ますますパワフルな文珍さんでいらっしゃいます。ABCラジオの「夜のひだまり」も含めまして、今後ともよろしくお願い申し上げます。
(文珍) こちらこそ、よろしくお願いいたします。
(伊藤) 桂文珍さんにお話を伺いました。ありがとうございました!
(文珍) おおきに!
(2024年2月15日 ABCラジオ第5スタジオ)
構成=日高美恵
※1「文珍・小佐田 夜のひだまり」(毎週月曜、夜9時15分~9時45分放送)
桂文珍がパーソナリティをつとめるトーク番組。パートナーは小佐田定雄、アシスタントは加藤明子(ABCアナウンサー)
※2 「ザ・パンダ」 1969年から82年まで放送された毎日放送制作の公開バラエティー番組「ヤングおー!おー!」で結成された若手落語家のユニット。メンバーは月亭八方、桂きん枝(四代桂小文枝)、桂文珍、四代目林家小染の4名で、アイドル並みの人気を博した。
桂文珍(かつら・ぶんちん)
1948年12月10日生まれ。兵庫県篠山市出身。1969年10月に五代目桂文枝(当時は三代目桂小文枝)に入門。古典や古典の改作、新作などを幅広く手掛け、全国48都道府県を巡る独演会ツアーを開催するほか、毎年8月8日にホームグランドのなんばグランド花月で独演会を続けている。昭和56年(1981年)上方お笑い大賞金賞、昭和58年(1983年)上方お笑い大賞、平成21年(2009年)第59回芸術選奨文部科学大臣賞、平成22年(2010年)紫綬褒章、平成26年(2014年)第49回大阪市民表彰文化功労賞ほか受賞多数。
「上方落語をきく会」概要
日 時:3月3日(日)昼の部 12時半開演/夜の部 17時半開演
会 場:国立文楽劇場(大阪府大阪市中央区日本橋1丁目12−10)
出 演:【昼の部】笑福亭松喬 笑福亭銀瓶 桂かい枝
笑福亭たま 笑福亭鉄瓶 桂りょうば ほか
【夜の部】桂文珍 桂南天 桂吉弥
桂佐ん吉 桂慶治朗 笑福亭笑利 ほか
【司 会】伊藤史隆アナウンサー 桂紗綾アナウンサー
※チケットは、夜の部が完売。
昼の部は残席わずかで、チケットぴあとCNプレイガイドで発売中です。
「上方落語をきく会」生中継のご案内
ABCラジオでは、今回も13:00~21:00まで、国立文楽劇場とABCラジオのスタジオから8時間に渡っての「上方落語をきく会」特別番組を放送します!
13:00~16:00 国立文楽劇場から 昼の部 生中継
16:00~18:00 ABCラジオのスタジオから生放送
「落語・ザ・ドキュメント ~僕の好きな先生~」
MC:鈴木淳史(ライター&インタビュアー)笑福亭鉄瓶
ゲスト:桑原征平 ヒロ寺平
18:00~21:00 国立文楽劇場から 夜の部 生中継
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