この人物が生きていたら昭和史は変わっていたかもしれない――『渡辺錠太郎伝 二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』

ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者・渡辺和子の父は、最愛の娘の目の前でなぜ撃たれたのか?

愛知県・小牧で生まれ、岩倉で育った「愛知の偉人」。
貧しさゆえ小学校もろく通えず、ほぼ独学で士官学校に入った「明治の二宮金次郎」。
「非戦平和」を唱え、「防空」の重要性を説いた陸軍大将。
同じ陸軍の兵士たちの手で殺された「悲劇の人」。
〝学者将軍〟の異名をもつ「陸軍屈指の読書家」。
そして、幸せに生きる心構えを指南したシスター渡辺和子の父にして、その生き方の指針となった人。


 カトリック教会のシスターであり、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎刊)などの著作で知られる渡辺和子。彼女の人生に大きな影響を与えた父・錠太郎は、日本が戦争へと突き進む中で起きた史上最大のクーデター未遂事件「二・二六事件」で、陸軍軍人としてただ一人〝襲撃目標〟にされた人物だった――。

その記憶は同書の中にも記されている。

‹‹父が一九三六年二月二十六日に六十二歳で亡くなった時に、私は九歳でした。その後、母[すず]は一九七〇年に八十七歳で天寿を全(まっと)うし、姉[政子(まさこ)]と二人の兄[誠一(せいいち)・恭二(きょうじ)]も、それぞれ天国へ旅立ちまして、末っ子の私だけが残されています。事件当日は、父と床を並べて寝(い)んでおりました。七十年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった朝のこと、トラックで乗りつけて来た兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父の最期の情景は私の目と耳に焼きついています。››(渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』より)

 昭和11年2月26日未明――。
雪に覆われた東京・荻窪の渡辺邸で何があったのか?
デビュー作『多田駿伝』で第26回山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の歴史研究者によって、「非戦平和」を訴え続けた「良識派」軍人の思想と生涯が、初めて明かされる。

「戦争だけはしてはいけない」――。
教育総監というトップクラスの軍事エリートでありながら、戦争を避けることがいかに重要かを説いて回った錠太郎。

‹‹私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である。››(岩倉渡邉顕彰会著『郷土の偉人 渡邉錠太郎』愛北信用金庫刊より)

 無類の読書家でもあった彼は、俸給の多くを「丸善」(書店)での軍事書などの支払いに充てていたという。

‹‹全く大将[錠太郎]の新刊書漁(あさ)りは有名なもので薄給の尉官時代などは、台所の支払いよりも本屋への支払いが多く、月末毎(ごと)に奥さんはその遣り繰りに頗(すこぶ)る悩まされたものだそうな。そうして、大将の図書購入費で開けられた大穴は、いつもいつも奥さんがその実家から幾らか宛(ずつ)持ち運んで塞いでいたということである。››(谷田世男「新教育総監 渡邊錠太郎大将出世物語」『実業の日本』所収)

 近現代史に関する数多くのノンフィクションを書いている昭和史研究の第一人者も、渡辺錠太郎を高く評している。

‹‹明らかにこの人物が生きていたら歴史は変わったに違いないというケースがある。たとえば、織田信長がもう十五年長生きしたら、日本史は変わったのではないか。秀吉の政権ができなかったのではないか、とも思われるのだ。昭和の陸軍に関していえば、私は大将渡辺錠太郎がもし二・二六事件で殺されていなければ、昭和史はもうすこし変わったものになっていたのではないかと考えているのである。››(保阪正康『陸軍良識派の研究』潮書房光人社刊より)

 人々から愛され、時代の荒波に立ち向かった軍人は、なぜ志半ばで命を絶たれてしまったのか。
「歴史が変わったかもしれない」とまで言われた渡辺錠太郎とは何者なのか?
 魂がふるえる感動評伝。

『渡辺錠太郎伝
二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』
著/岩井秀一郎
定価:本体1800円+税
判型/頁:4-6/338頁
ISBN9784093887472
小学館より発売中
本書の紹介ページはこちらです▶▶▶https://www.shogakukan.co.jp/books/09388747
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