日本人が忘却した1964年…もう一つの祭典、稲泉連・著『アナザー1964 パラリンピック序章』発売
あの日、彼らは初めて「主役」として舞台にあがった!
『アナザー1964
パラリンピック序章』
著/稲泉 連
定価:1700円+税
四六判304ページ
2020年3月18日発売
ISBN978-4-09-388740-3
小学館刊
本書紹介ページはこちら
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388740
【本書の特色】
- 大宅賞作家が、元選手や関係者らを5年越しで取材した大作。貴重な写真も多数収録。
- 急ごしらえで大会準備が進められる中、急遽「選手」となった障害者らが見た風景とは?
- 大会招致にかかわり、運営も陰で支えた美智子妃殿下(当時)の秘話満載。
東京でのパラリンピック開催が決まったのは僅か1年前のことです。当時は「患者」とされていた脊髄損傷の人たちが、一部の医師の勧めによって競技場に集められました。彼らは競技のルールもほとんど知らないまま大会に出場し、大きな衝撃を味わうことになります。例えばそれは、海外選手たちが実に楽しそうに競技に打ち込み、オフには東京の街を車椅子で散策していた姿です。
高度経済成長に沸く日本にあって、日本の障害者は社会から追いやられた存在でした。
「当時の日本は、やって来た外国人から『日本に障害者はいないのか』と聞かれていたような時代。息子も娘も出るのを嫌がって、家族も出すのを嫌がって、みんな家の中に引っ込んでいたんだから」
ある出場者の回想です。当時は障害者スポーツという概念すら存在しませんでした。でも、いざ大会が幕を明けると――。「競技場へ行って思ったのは、この大会は我々が主役なんだということでした。お客さんたちも僕らを主人公として見てくれていたと確かに感じる雰囲気があったんだ」
選手たちの背中を押したのが、後に障害者の自立施設「太陽の家」を設立する医師・中村裕氏や美智子妃殿下らでした。筆者はあとがきでこう述べます。
《パラリンピックの物語に深く分け入れば分け入るほど、私はこれまで語られてこなかった戦後史の一端に触れているように感じた》
●著者 稲泉 連(いないずみ・れん)/1979年生まれ。主な著書に『復興の書店』『豊田章男が愛したテストドライバー』『「本をつくる」という仕事』『宇宙から帰ってきた日本人』など。
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