スーダン:医薬品不足や人道援助スタッフの移動規制がハルツーム州の医療を奪う
稼動する病院はごくわずか
スーダンでMSF現地活動責任者を務めるジャンギー・バトーは「戦闘が続き、既に多くの人がハルツームから避難しましたが、経済的余裕がない、安全性やその他何らかの理由で避難ができない人はまだ大勢残っています。こうした人びとは必要な医療を受けることもままならない状況です」と説明する。
現在、ハルツームで稼働する病院はごくわずかで、医薬品の価格は上がり続けている。中心部のトルコ病院で活動するMSFは、1日に100人以上の患者を受け入れており、そのほとんどが子どもと妊婦だ。救急車も他の搬送手段もほとんどなく、時には徒歩で前線を横断し何キロも移動してくるため、多くの患者は病院に到着した時には重篤な状態に陥っている。
子どもたちが被害に
バトーは「自宅にいた4歳の女の子が、流れ弾で腹部を撃たれて救急搬送されてきました。トルコ病院にたどり着くまでに、母親は他の病院を3カ所回ったそうです。また、不発弾で遊んでいた4人の子どもの症例もありました。手の中で爆発するまで、危険物だとは知らなかったのです。全員が病院に運ばれ、そのうち2人は緊急の腹部手術が必要でした」と話す。
州南部のウムダワンバン病院では、糖尿病を患う小児患者がインスリンを入手できないまま、重篤な状態で病院に運び込まれたり、陣痛に苦しむ女性の多くが必要とするオキシトシンが不足するなど、病院スタッフが危機的状況を報告している。バトーは「MSFがこの病院で診療を開始するまでは、ウムダワンバンの子どもは医療を受けられていませんでした。現在、子どもの死亡は減ってきていますが、MSFの体制は必要最低限にとどまっています。特に高血圧、甲状腺疾患、てんかんといった慢性疾患のある母親や子どもたちは依然として危険な状態です。治療したくとも医薬品はMSFとスーダン保健省両方にとって入手困難であるためです」と話す。
ハルツーム市南部のバシャール大学病院で、MSFの医療コーディネーターを務めるスレイメン・アンマルは困窮を次のように説明する。「この半年間、MSFは救急部門で6100件以上の診療をこなしました。ハルツーム州で稼働する数少ない病院のひとつとして、多くの人びとの生命線となっていますが、必要な物資が不足し始めています。医療用の手袋や傷口を洗浄する消毒薬の在庫が非常に少なく、基礎的な医療の提供さえ困難です」
「思い出すのは、爆弾の爆発で負傷し父親を失った1歳の男の子のことです。その子は危篤でしたが、外傷病棟で2カ月治療を受けて回復し、私たちを驚かせました。男の子が退院した時、夫を亡くした母親は行くあてがなく、ダルフールにいる親戚のもとへ行くために、3日もかけて移動手段を探すことになったのです」
移動規制が医療へのアクセスに影響
スーダンでは、行政による移動規制のため、MSFはスタッフを移動できず、診療の継続が困難になっている。
バトーは「ハルツームでは、数カ月にもわたってスタッフの移動が制限され、住民の医療へのアクセスは徐々に断たれていきました。12月中旬にジャジーラ州が戦禍に巻き込まれ、州都ワドメダニの多くの医療施設が機能しなくなり、大勢の人びとがハルツームに戻ることになりました。ハルツームの保健医療に対する需要は高まる一方です。MSFがワドメダニに戻る許可を得たのも90日以上ぶりのことです。増え続ける住民のニーズに応えるため、私たちは、スーダン当局に対し、ジャジーラ州とハルツーム州へのアクセスを常に求めるよう強く要請します」と訴える。
MSFは1979年にスーダンで活動を開始。現在は、スーダンのハルツーム市とハルツーム州、白ナイル、青ナイル、リバーナイル、ゲダレフ、西ダルフール、北ダルフール、中央ダルフール、南ダルフールの9州で活動している。 主な活動内容は、爆風による負傷や銃によるけがなど戦闘で負傷した人びとの治療、感染症・非感染性疾患の治療、妊産婦・小児科医療、避難民が集まる場所での移動診療や難民キャンプでの病院の運営、水・衛生設備の支援、寄贈や保健省職員への奨励金支給、研修やロジスティック支援による医療施設の支援など。また、MSFは紛争開始以前の活動の大半を継続している。 |
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