アフェクティブ・コンピューティング:特許・論文・グラントで見る感情認識AI技術の最前線
アスタミューゼ株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長 永井歩)は、感情認識AIに関する技術領域において、弊社の所有するイノベーションデータベース(論文・特許・スタートアップ・グラントなどのイノベーション・研究開発情報)を網羅的に分析し、動向をレポートとしてまとめました。

アフェクティブ・コンピューティングとは?
人間の感情を認識・処理するAI技術への期待が、いま急速に高まっています。メンタルヘルスの社会問題化、顧客体験向上への企業需要、自動運転における安全要件の高度化——複数の社会課題が重なるなか、感情を「計算可能」にする技術として注目されているのが、アフェクティブ・コンピューティング(Affective Computing)です。
アフェクティブ・コンピューティングとは、コンピュータが人間の感情を認識・解釈・処理し、さらには感情におうじた応答を生成する技術・研究領域の総称です。1997年にMITメディアラボのロザリンド・ピカード教授が著書『Affective Computing』(注1)のなかで提唱した概念であり、以来、人工知能・認知科学・心理学・神経科学が交差する学際的な領域として発展を続けてきました。
注1:Picard, R. W. (1997). Affective Computing. MIT Press. https://mitpress.mit.edu/9780262661157/affective-computing/
感情の認識に使用されるおもな入力手段としては、顔の表情、視線、音声、生体信号(脳波、心拍、皮膚電気活動など)、行動データがあげられます。これらを単独あるいは組みあわせてもちいる「マルチモーダル感情認識」が、現在の研究開発の主流となっています。応用先はヘルスケア(メンタルヘルスモニタリング、診断支援)、モビリティ(ドライバーの状態推定)、教育(学習者の集中・理解度推定)、顧客体験(感情適応型チャットボット)など、産業横断的なひろがりを見せています。
アフェクティブ・コンピューティングとしばしば混同される概念として感性工学(Kansei Engineering)があります。感性工学は、人間の感性や感情的な反応を製品設計・ものづくりに活かす日本発の工学的アプローチであり、1970年代に広島大学の長町三生教授らによって体系化されました(注2)。
注2:長町三生(1989).『感性工学』.海文堂出版.
感性工学が「感情を製品設計に反映させる」という設計思想を軸とするのに対し、アフェクティブ・コンピューティングは「感情をリアルタイムに認識・処理するシステム」の構築を主眼とする点で区別されます。両者は感情を技術と結びつけるという方向性を共有しつつも、アプローチと応用領域において異なる系譜を持ちます。本レポートでは、両者を区別したうえで、アフェクティブ・コンピューティングを分析対象として論じます。
近年の技術的加速を牽引しているのは、深層学習(Deep Learning)の発展とセンサ技術の小型化・低価格化です。従来は研究室内でしか実現できなかった高精度な感情推定が、スマートフォンやウェアラブルデバイス、車載カメラといった実環境のデバイス上で動作しつつあります。アスタミューゼの独自データベースをもちいた分析では、アフェクティブ・コンピューティングに関連する特許出願件数は2015年から2024年の10年間で約22倍に増加しており、その伸びはAI分野のなかでもきわだった水準です。 この「研究から実装へ」の移行が、産業界における特許出願・研究投資・スタートアップ創出の急増として如実にあらわれています。次章以降では、その実態をデータにもとづいて詳細に分析します。
アフェクティブ・コンピューティングに関連する特許の動向
アスタミューゼの保有する特許データベースから、「感情認識」「アフェクティブ・コンピューティング」「感情推定」「マルチモーダル感情」などの技術要素を要約にふくむ2015年以降の特許母集団6,604件を抽出し、ふくまれるキーワードの年次推移から近年進展のある技術要素を特定する「未来推定」分析を実施しました。キーワードの変遷を把握することで、ブームが去った技術やこれから脚光をあびると予測される技術を定量的に評価し、それぞれの要素技術に対する技術ステータス(黎明・萌芽・成長・実装)を予測する分析です。

成長率(Growth)は、2015年以降の文献中における出現回数と、2020年以降の文献中における出現回数の比で定義されます。値が1に近いキーワードほど直近の出現頻度が高く、近年注目されているキーワードとみなせます。
成長率の高いキーワードのなかから注目すべきものを紹介します。
-
被験者横断(cross-subject):成長率0.977。異なる個人間でも安定して機能する汎用的な感情認識モデルの開発をしめすキーワードです。従来のモデルは特定の人物のデータで学習・評価されることが多く、他者への転用精度が低いという課題がありました。このキーワードの急増は、個人差を超えた頑健なシステム実現への研究開発が本格化していることをしめしています。
-
クロスモーダル(cross-modal):成長率0.989。あるモダリティ(感情を入力するための、音声や表情、脳波といった信号の種類)で学習した知識を別のモダリティに転用・対応づける技術で、マルチモーダルのより高度な発展形です。2019年の1件から2024年には42件へと急増しています。
-
マルチモーダル(multi-modal):成長率0.922。音声や表情、生体信号など複数の入力を同時に組みあわせて感情を推定するアプローチで、単一モダリティと比較して認識精度が大幅に向上することから、アフェクティブ・コンピューティングの基本設計として広く採用されています。2016年の2件から2024年には245件へと増加しています。
-
脳波(electroencephalogram):成長率0.929。2016年の1件から2024年には150件へと急増しており、非侵襲的に内面状態を直接計測できる手段として、ヘルスケアや教育分野での応用を念頭に置いた研究開発が活発化しています。
これらのキーワードの変遷からは、アフェクティブ・コンピューティングの特許開発が、単一のモダリティによる単純な感情分類から、複数モダリティを融合した高精度・高汎用性のシステム開発へと急速にシフトしていることが読みとれます。
続いて、特許出願数の国別の動向です。図2は、2015年以降におけるアフェクティブ・コンピューティング関連特許の国別出願件数の年次推移です。特許データは出願から公開までタイムラグがあるため、直近である2024〜2025年の集計値は参考値としてあつかう必要があります。

国別では中国での出願件数がもっとも多く、全体の78.6%(5,192件)を占めています。2015年の47件から2024年には1,049件へと約22倍に増加しており、長期的な増加傾向が続いています。中国では、第14次五か年計画(2021〜2025年)においてAI技術を国家重点分野に位置づけており、感情認識を含むAI応用技術への積極的な産学両輪での投資がこの急増を支えていると考えられます。
次いで米国(5.8%、386件)、国際出願(WIPO)(5.1%、336件)、韓国(3.9%、256件)、日本(3.3%、216件)が続いています。中国が圧倒的な「量」をリードするなか、米国は後述するスタートアップ企業群や研究助成の規模において「質」での優位性をたもっています。
出願人別では、平安保険(Ping An Technology Shenzhen Co., Ltd.)が211件でトップを独走しており、金融・保険業界が感情分析技術の実用化にもっとも積極的な産業のひとつであることをしめしています。これに南京郵電大学(105件)、華南理工大学(82件)、重慶郵電大学(74件)と中国の通信・情報系大学が続きます。非中国圏ではMicrosoft Technology Licensing(54件)が8位に入っています。
日本からは、ソニーグループ(感情認識に基づくサービス提供制御)、NEC(顔表情認識による空調制御)、ヤマハ発動機(生体情報を用いた感情推定デバイス)、デンソー(車内での感情推定と走行データ連携)など、完成品メーカーによる実装指向の特許出願が目立ちます。中国の大学・IT企業主導の基盤技術開発とは対照的に、日本では既存の製品やサービスへの感情認識AI統合を志向した応用開発が先行していることがうかがえます。
以下は、注目の特許事例です。
-
CN119763175A「Multi-modal emotion recognition method and psychological intervention system」
-
出願人:南京情報工程大学(Nanjing University of Information Science & Technology)
-
国:中国
-
公開年:2025年
-
概要:顔の特徴点・音声・映像を組み合わせたマルチモーダル感情認識システムと、その結果を活用した心理介入システムを一体化した特許。静的な瞬間の認識にとどまらず感情の動的変化をリアルタイムに追跡できる点が特徴で、メンタルヘルス支援への応用を想定している。マルチモーダルやクロスモーダルのキーワード急増を体現する代表的な事例。
-
-
CN119924834A「Personnel emotion recognition method and device based on EEG-fNIRS multi-mode signals」
-
出願人:Nanjing Jinfa Health Industry Co., Ltd. / KINGFAR International Inc.
-
国:中国
-
公開年:2025年
-
概要:脳波(electroencephalogram)と機能的近赤外線分光法(fNIRS)という2種類の生体信号を組みあわせてマルチモーダルで感情を推定する手法に関する特許。脳波の空間分解能の低さとfNIRSの応答遅延というそれぞれの弱点を相互補完することで認識精度を向上させる。医療やヘルスケア分野への応用を想定した企業発の実用指向の特許。
-
-
WO2025154660A1「Method, Apparatus and System for Adaptively Regulating Surrounding Temperature of Area Using Facial Expression Recognition」
-
出願人:日本電気株式会社(NEC Corporation)
-
国:日本
-
公開年:2025年
-
概要:顔表情認識により人物の感情状態(感情価・覚醒度)を推定し、エリアの目標感情状態に合わせて周囲温度を自動調整する空調制御システムに関する特許。オフィスや商業施設、公共交通機関などへの応用が期待される。
-
-
WO2025164009A1「Data Communication System, Center Device, Vehicle Device, Data Processing Method, and Data Processing Program」
-
出願人:株式会社デンソー(DENSO CORPORATION)
-
国:日本
-
公開年:2025年
-
概要:車両内でユーザーの感情を継続的に推定し、設定されたトリガー条件が満たされた際に感情データと走行操作ログ・車両状態データをセンターデバイスへ送信するシステムに関する特許。感情状態と運転行動の相関分析を可能にし、安全運転支援や自動運転との統合への展開が期待される。
-
(以降、感情認識AIに関する論文およびグラント、スタートアップ企業の動向分析、およびそれらをふまえた全体のまとめについては、弊社コーポレートサイトの該当ページでご確認ください)
著者:アスタミューゼ株式会社 三田 歩 博士(理学)
さらなる分析は……
アスタミューゼでは「感情認識AI」に関する技術に限らず、様々な先端技術/先進領域における分析を日々おこない、さまざまな企業や投資家にご提供しております。
本レポートでは分析結果の一部を公表しました。分析にもちいるデータソースとしては、最新の政府動向から先端的な研究動向を掴むための各国の研究開発グラントデータをはじめ、最新のビジネスモデルを把握するためのスタートアップ/ベンチャーデータ、そういった最新トレンドを裏付けるための特許/論文データなどがあります。
それら分析結果にもとづき、さまざまな時間軸とプレイヤーの視点から俯瞰的・複合的に組合せて深掘った分析をすることで、R&D戦略、M&A戦略、事業戦略を構築するために必要な、精度の高い中長期の将来予測や、それが自社にもたらす機会と脅威をバックキャストで把握する事が可能です。
また、各領域/テーマ単位で、技術単位や課題/価値単位の分析だけではなく、企業レベルでのプレイヤー分析、さらに具体的かつ現場で活用しやすいアウトプットとしてイノベータとしてのキーパーソン/Key Opinion Leader(KOL)をグローバルで分析・探索することも可能です。ご興味、関心を持っていただいたかたは、お問い合わせ下さい。
コーポレートサイト:https://www.astamuse.co.jp/
お問合せフォーム:https://www.astamuse.co.jp/contact/
すべての画像
