「いつ泳ぎ始めるか」が記録を変える
― 競泳の推進タイミングを科学的に解明 ―

順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ健康科学科の武田剛准教授、筑波大学体育系の高木英樹教授らの共同研究グループは、競泳のスタートやターン後の「いつ泳ぎ出すべきか」を流体力学的に検証し、その判断を可能にする概念モデルを構築しました。これまで泳ぎ出しのタイミングは経験則で議論されてきましたが、速度と推進力・抵抗の関係を統合的に説明する枠組みは十分に示されていませんでした。本研究では、ストリームライン姿勢*¹、水中ドルフィンキック*²、クロール泳のそれぞれの力学特性を比較することで、速度に応じた動作の切り替えを検討できるモデルを構築しました。本成果は、最速の泳ぎ出しのタイミングを科学的に検討する基盤を提供し、スタートおよびターン戦略の理解深化に寄与するものです。本論文はSports Biomechanics誌に2026年2月23日付でオンライン公開されました。
本研究成果のポイント
● 競泳のスタート、ターン後の各動作(ストリームライン姿勢・水中ドルフィンキック・クロール泳)の推進力と抵抗の特性を定量的に比較
● スタートやターン直後の超高速域では姿勢維持、高速域ではドルフィンキック、やや高速域からクロール泳へ移行することが望ましい
● 泳ぎ出しの判断を経験則から科学的検討へと発展させる基盤を提供し、競泳戦略の高度化に寄与
背景
競泳では、スタートやターン後の水面へ浮上するまでの水中局面が記録に大きく影響することが知られています。水中からどのタイミングで泳ぎ始めるかは重要な技術要素ですが、これまでその判断は経験則からの知見が大部分であり、科学的な整理は十分ではありませんでした。水面でのクロール泳を過度に高い速度から開始すると抵抗増加につながる可能性が指摘されてきた一方で、速度変化が安定する領域へどのように移行することが望ましいかは理論的に明確ではありませんでした。本研究は、ストリームライン姿勢、水中ドルフィンキック、クロール泳それぞれの力学特性を比較し、泳ぎ出しのタイミングを科学的に検討できる枠組みを構築することを目的として実施しました。
内容
本研究では、競泳のスタートおよびターン後の水中局面において、ストリームライン姿勢、水中ドルフィンキック、水面でのクロールという三つの動作の力学特性を比較しました。通常の泳ぎでは到達できない高速域を流水プール*³で再現し、泳者が発揮する推進力によって水の抵抗の影響がどの程度軽減されるかを考慮した「正味の抵抗*⁴」を、速度に応じた正味の抵抗変化曲線として評価しました。その結果、三つの動作はそれぞれ異なる抵抗特性を示し、各曲線の交点が理論的に動作を切り替える最適な速度、すなわち推進動作を開始すべきタイミングを示すことが明らかになりました(図1)。スタートやターン直後の様に泳者がすでに速く進んでいる状態では、水を押して推進力を得るための四肢と水との速度差が小さくなり、手のかきやキック動作が効率的に働きにくくなります。さらに水面でのクロール泳は造波抵抗*⁵が大きくなります。したがって、スタートやターン直後の超高速域ではストリームライン姿勢が有利となり、高速域では水没して造波抵抗を避けつつ推進力を発揮できる水中ドルフィンキックが有利、さらに速度が安定領域に近づくと推進力発揮に優れるクロール泳が有利になることが示されました。また、クロール泳と水中ドルフィンキックの安定速度の関係によっては、クロール泳を安定速度よりも高い速度から開始した方が有利となる場合があることも示されました。このモデルに従えば、平均的な傾向と異なる特徴をもつ選手であっても、抵抗特性や速度指標を評価することで個別に最適な推進動作開始タイミングを検討できる可能性が示されました。
今後の展開
本研究は、競泳のスタートおよびターン後における推進動作開始タイミングを力学的に検討できるモデルを構築した点に意義があります。今後は、正味の抵抗の速度特性に影響する形状抵抗や造波抵抗などの流体力学的要因や、推進動作を行う四肢の動作速度などの運動学的要因をさらに詳しく解析し、動作を切り替えるタイミングだけでなく、水中での減速そのものをどのように抑制できるかを明らかにしていく予定です。これにより、スタート局面で競技者が取り得る戦略の理解を深め、より速く泳ぐための具体的な指針の構築につなげていくことを目指します。また、本研究は近年関心の高まる人間の限界突破に挑戦するようなハイパフォーマンス研究の推進にも資するものであり、競技現場と科学研究の橋渡しとなる知見の蓄積に貢献していきたいと考えています。

図1:本研究で明らかになった正味の抵抗曲線に基づく局面遷移モデル
ストリームライン姿勢、水中ドルフィンキック、クロール泳の3つの姿勢・動作について、高速度域の正味の抵抗曲線(推進力によって相殺される減速効果量)が明らかになった。これらの曲線の交点で推進動作(水中ドルフィンキック/クロール泳)を開始することで減速効果の最小化が実現できる。
用語解説
*1 ストリームライン姿勢: 両腕を頭上に伸ばし身体を一直線に保つことで水の抵抗を最小限に抑える姿勢
*2 水中ドルフィンキック: 水中で全身のうねりを使って両足を同時に上下させるキック。動きがドルフィン(イルカ)に似ていることが由来
*3 流水プール: 任意の流速を発生させ、その場の止まって泳ぐことができる実験用プール
*4 正味の抵抗: 泳者の作用する総抵抗から発揮される推進力を差し引いた泳者の減速を引き起こす正味の力
*5 造波抵抗: 水面付近を泳ぐことで造り出された波が重力によってもとに戻ろうとする際に泳者を押し戻すように働く力
研究者のコメント
競泳競技のスタート局面のパフォーマンス最適化戦略において、推進動作開始(泳ぎ出し)のタイミングが重要であること示し、最適化戦略の構造を流体力学特性に基づいてモデル化しました。現場の選手とコーチにとって重要な観点は、水面でのクロール泳と水中ドルフインキックの安定速度の大小関係によって、いつ泳ぎ出すべきかが変わってくるということです。クロール泳の速度がドルフィンキックよりも速い場合は、安定速度よりも速く泳ぎ出すことが有効です。一方、ドルフィンキックの安定速度がクロール泳と同等もしくはそれよりも優れる選手は15m潜水区間ギリギリまで潜航することが有効となります。
原著論文
本研究はSports Biomechanics誌に2026年2月23日付でオンライン公開されました。
タイトル: Net force analysis during streamlined glide, dolphin kick, and front crawl at high velocities in competitive swimming : implications for optimal propulsion timing
タイトル(日本語訳): 競泳の高速度状況下におけるストリームライン姿勢とドルフィンキック、クロールの正味の力分析:最適な推進動作開始タイミングへの示唆
著者: Tsuyoshi Takeda, Daiki Koga, Takaaki Tsunokawa, Yasuo Sengoku, Hideki Takagi
著者(日本語表記): 武田剛1)、古賀大樹2)、角川隆明3)4)、仙石泰雄3)4)、高木英樹3)4)
著者所属: 1)順天堂大学スポーツ健康科学部、2)筑波大学大学院人間総合科学学術院、3)筑波大学体育系、4)筑波大学体育系ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター
DOI: 10.1080/14763141.2026.2627415
本研究はJSPS科研費JP19K11473、筑波大学体育系ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター (ARIHHP) における共同研究 (Cooperative Research Grant of Advanced Research Initiative for Human High Performance, the University of Tsukuba)の助成を受け実施されました。
本研究にご協力いただいた皆様には深謝いたします。
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