給食から学ぶ戦争と平和―豊橋市が初の試み「豊橋空襲を忘れない」特別献立を提供
戦時中の食体験を通じ、子どもたちが平和について考える
1945(昭和20)年6月19日、第二次世界大戦のさなか、空襲に見舞われた愛知県豊橋市。市街地は焼け野原と化し、624人もの尊い命が犠牲となりました。あれから81年がたち、豊橋空襲を知らない世代が増えています。
豊橋市は、豊橋空襲を知るとともに、平和について考える機会とするため、食育の一環として市立小中学校などの給食で戦時中や終戦直後の食事をイメージした献立を提供しました。同市では、初めての取り組みです。

■1万5,000発の焼夷弾
1945年、東京をはじめ大都市の住宅が空襲の標的となるなか、6月頃にはその標的は中小都市へと拡大しました。豊橋市もその標的となり、6月19日深夜から20日未明にかけ、約1万5,000発の「焼夷弾」という爆弾が投下されました。
この歴史を語り継ぐため、市は6月8日から12日にかけて、市立小中学校74校と市立くすのき特別支援学校の児童、生徒約2万8,000人を対象に「豊橋空襲を忘れない。平和を考える学校給食の日」を実施しました。
「平和を考える学校給食の日」では、戦時中や終戦直後に食べられていた食事をイメージした献立を提供。具体的には、ごはん、さけの塩焼き、すいとん汁、焼きいも、のり佃煮です。現代の給食として、栄養価や味付けなどを考慮したものが提供されました。

各校には食育教材として豊橋空襲に関する動画が配布され、この給食に合わせ、児童、生徒らが視聴しました。動画では、高価だった主食の米の代わりにすいとんが食べられていたことなども紹介されたほか、当時9歳だった空襲体験者の証言もありました。

■児童たちが感じた当時の過酷さ
全校児童182人の前芝小学校では、6月8日の給食に提供され、6年生の間では「きっと食事の量はもっと少なかったのでは」「大変だったと思うけど、頑張って生き延びた人もいると思います」などと戦時中を想像する声が出ていました。
また、「いつもの給食の方がいい」や「よくこれで耐えられたなと思いました」と当時の食料事情を感じ取った児童もいました。
豊橋空襲については「動画を見て知りました」や「動画を見て怖かったです」という声がありました。
別の6年生は「昔はあんなに(今日の給食のように)豪華じゃなかったと思うし、すごく大変だったと思います」と話し、豊橋空襲に関する動画を見て「平和にしっかり生きようと思いました」と前を向きました。
今回の給食に、前芝小の古関智子校長は「食に焦点を当てた平和教育で、子どもたちが食べ物を通じて五感を使い、戦争や平和について考えるきっかけになると思います」と話していました。
■記憶の風化を防ぎ、未来の平和へつなぐ
一方、「平和を考える学校給食の日」を企画した豊橋市の担当課(福祉政策課、保健給食課)は、今回の取り組みへの思いをこう話しています。
「戦後80年が経過し、戦争の記憶が風化しつつあると感じます。特に若い世代で、戦争の惨禍、豊橋空襲で多くの人命が失われたことを知らない方が多くなっています。世界を見渡せば、今、この瞬間も多くの子どもたちが戦禍に巻き込まれ犠牲になっています。
今日の給食が、豊橋空襲を知り、歴史の一端を学ぶことを通して、平和の大切さを考える一つのきっかけとなることを願っています。提供した献立は、栄養価や食べやすさを考慮してつくっていますが、当時食べられていたものに近い献立にすることも今後検討したいと考えています。」
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