還暦現役女子プロレスラーが明かす熱狂と抗争の舞台裏。ダンプ松本『ザ・ヒール』
今だから話せる女子プロレスブームの光と影
《推薦文》
この人は日本で一番の極悪人だ!
テレビの前でみんながそう思ってた! 僕も!
極悪に生きたこの人の人生に震えた! 泣いた!
――放送作家・鈴木おさむ
この人は日本で一番の極悪人だ!
テレビの前でみんながそう思ってた! 僕も!
極悪に生きたこの人の人生に震えた! 泣いた!
――放送作家・鈴木おさむ
- 憧れの世界に飛び込んだ彼女は何を思い、何を支えにして過ごしていたのか。
1980年代、女子中高生を熱狂の渦に巻き込んだ女子プロレス。
その中心にいたのが、ダンプ松本だった。中学2年生の時、マッハ文朱に憧れ、やがて全日本女子プロレスに入門し、20歳でプロテストに合格。ところが、ようやくつかんだ夢の舞台は、苛烈を極めた。
バスで日本全国を回り、年に300試合近くこなすハードスケジュールのなか、自分はリングに上がれず雑用の日々。
おまけに先輩たちのストレスのはけ口として、いじめの標的にされた。
【ダンプ松本 プロフィール】
1960年11月11日、埼玉県熊谷市出身。1980年に全日本女子プロレスで松本 香としてデビュー。1984年にリングネームをダンプ松本に変更し、クラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥&長与千種のタッグチーム名)との抗争を通じて、全女のプロレス人気を牽引した。2003年からフリーで活躍。現在もリングの上に立ち続ける。得意技:ラリアット
«言葉にできないようないじめを受けた後、必ず優しい言葉をかけてなぐさめてくれるのは、決まって悪役、つまりヒールの先輩だった。華々しいスポットを浴びて花束を受けるベビーフェースほど、素顔には裏と表があった。「悪役になろう」。»
(本書「第7章 過酷な先輩たちのいじめ」より)
紆余曲折を経てヒールに転向してからは、極悪同盟を率いて、当時、青天井の人気を誇った「クラッシュギャルズ」(長与千種とライオネス飛鳥のペア)と抗争を繰り広げたダンプ。
クラッシュファンからの憎悪はすさまじいもので、自宅、自家用車、実家にまでその被害は及んだ。
«命の危険を感じたことは何度もある。大阪城ホール(85年8月)の髪切りマッチで千種を丸坊主にした時は、試合後に極悪同盟のバスを500~600人のファンが取り囲んで車体を揺すりながら、「ダンプ出て来い!」と罵声を浴びせてきた。あの時はさすがに「殺される!」と思った。試合後に控え室に戻るときは、ファンを押さえていた警備員に顔面を殴られた。警備員が、だぞ。»
(本書「第10章 進化するクラッシュギャルズとの抗争」より)
クラッシュギャルズが光なら、その光を色濃く強調するため、あえて陰となった極悪同盟。
それを率いていたダンプ松本の心の葛藤とは・・・。
貧しい家庭に育ち抱えてきた母と父への思い、苦楽を共にしたレスラーたちの素顔、全日本女子プロレスのギャランティーや経営者一族との軋轢、芸能界進出の現場で見たものなど、今だから話せる話のオンパレード!
この生き様は必読!!
〈目次〉
第1章 1960年、松本香誕生
第2章 母の家出と父との確執
第3章 夢の『スター誕生!』応募
第4章 1975年、大宮開成高校アーチェリー部入部
第5章 1979年、憧れの全日本女子プロレス入門
第6章 1980年、悲願のプロレスデビュー
第7章 過酷な先輩たちのいじめ
第8章 しごきとディスコ初体験
第9章 1984年、極悪同盟結成
第10章 激化するクラッシュギャルズとの抗争
第11章 疲弊する心、加熱する女子プロレスブーム
第12章 1988年、全女引退
第13章 1988年、芸能界進出
第14章 殺意を抱いていた父の死
第15章 2020年、女子史上初の還暦現役レスラー
『ザ・ヒール 極悪と呼ばれて』 著/平塚雅人 定価:本体1400円+税 判型/頁:4-6/200頁 ISBN978-4-09-388793-9 小学館より発売中(1/29発売) 本書の紹介ページはこちらです↓↓↓ https://www.shogakukan.co.jp/books/09388793 |
【著者プロフィール】
平塚雅人 (ひらつか・まさと)
1963年6月26日、宮城県石巻市出身。石巻高校、日本大学芸術学部・演劇学科卒。1989年東京スポーツ新聞社入社。同年から運動部配属。プロレス、ボクシング、相撲などを担当。格闘技取材歴32年。現在運動第二部専門委員。
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