「実践女子学園創立120周年記念式典・記者会見」創立者の下田歌子生誕の地・岐阜県恵那市岩村町で開催、学園の新しい取り組みを発表。式典にて恵那市・小坂喬峰市長が祝辞。
実践女子学園(東京都日野市、山本章正理事長)は、5月7日(火)の創立記念日に、創立者の下田歌子生誕の地である岐阜県恵那市岩村町において、学園創立120周年の記念式典を行い、併せて記者会見を行いました。
記念式典では、恵那市の小坂喬峰市長をはじめ、約140名の関係者が参加する中で、創立120周年を記念し建立した記念石碑の除幕式などを行いました。恵那市の小坂喬峰市長は、「創立者下田歌子先生の生誕の地の恵那市岩村町にて120周年の記念式典を開催される決断をされたことは、恵那市民にとっても大変名誉なことであり、山本理事長を始め、関係の皆様の英断に深く心から感謝を申し上げます。下田歌子先生も大変お喜びであると存じます。実践女子学園と恵那市は平成22年に連携協定を結ぶなど、多岐に亘り交流を深めてきました。令和の時代は、より一層の連携を深めていけたらと考えております。」と話しました。
記者会見では、山本理事長は、「学園の発展を誓う場として、生誕の地である恵那市岩村町が最もふさわしいと考えました。また120年の歴史の中で、恵那市岩村町で創立記念式典を行うのは初めてのことです。恵那市岩村町で記念の日を迎えられたことに学園としての大きな意義を感じています。下田歌子先生の我が国の女子教育の扉を開いた功績は、現在の学園に引き継がれています。」と話し、そして「この4月に、さらに下田歌子先生の想いをつなぐ新制度として、大学と短期大学部で学生支援制度『Jissen Total Advanced Support(J-TAS)』をスタートさせました。学生一人一人を個別に支援する制度で、特徴としては、①個人の成長をデータベース化し、集団指導から個別指導にすること、②履修登録、生活支援、就職など、窓口を一元化し、学生にとって相談しやすい体制にすること、③卒業後のリカレント教育や転職などにも拡大していくこと、により『成長にコミットする学園』へと発展させていきます。」と話しました。また、恵那市岩村町との絆を一層深め、地元からの入学者を増やすために「創立120周年を記念し、恵那市岩邑中学校卒業者に対する奨学金を新設しました。」と述べました。
さらに、懇親会が下田歌子勉学所前広場(岐阜県恵那市岩村町)で行われて、アトラクションとして、地元の美濃国女太鼓や岩邑中学校生徒の合唱、恵那南高校ブラスバンド部の演奏が行われました。
【実践女子学園概要】
本学園は近代女子教育の先駆者である下田歌子により、1899(明治 32)年 5月7日に創立されました。以来、本学園は「女性が社会を変える、世界を変える」という建学の精神のもと、約17万人の卒業生を輩出しています。
創立120周年に向け、大学・短期大学部の渋谷へのキャンパス移転、日野キャンパスの大規模改修や学生支援制度の充実など、多岐にわたる改革を推進してきました。また、「下田歌子記念女性総合研究所」を設置し、創立者の事績を再研究、発信するとともに、女子教育機関として男女共同参画社会の実現に向け積極的な取り組みを行っています。
【創立者 下田歌子について】
1854年(安政元)年、現在の岐阜県恵那市岩村町に生まれた下田歌子(幼名:平尾鉐(せき))は、1872(明治5)年から宮中で昭憲皇后に仕え、その和歌の才能を愛でられて『歌子』の名前を賜りました。
宮中を辞した後は、上流子女を対象とした下田学校(桃夭学校)を開き、また、華族女学校(現在の学習院女子中・高等科)創設の際に中心的役割を果すなど、女子教育者としてあゆみ始めます。
1893(明治26)年から2年間、女子教育視察のために欧米に単身で渡り、一般女性に対する教育の必要性を痛感した下田は、1899(明治32)年に実践女学校(現在の実践女子学園)を設立し、その後1936(昭和11)年に82歳で亡くなるまで、女性たちがその力を十分に発揮できるようになることを願って、教育や執筆活動を続けました。
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