アーティストグループ whh! による展示「 (…)3 cubed of conjunction」が、2022年7月22日〜27日、新宿眼科画廊にて開催決定。
慶應SFC学会の助成を受けて、慶應SFC所属のアーティスト・キュレーターが展示を行う。
小川楽生(キュレーション)・太田遥月(サウンドアート)・山田響己(インスタレーション)の三者によって構成されたアーティストグループwax/hazu/hy!(以下whh!)が、新型コロナウイルスという緩やかな災害からの復興をモチーフに、サウンドインスタレーション、平面芸術、彫刻、空間インスタレーションなどを組み合わせた展示を行う。また、本展示は慶応SFC学会の助成を受けて開催される。
小川楽生/waxogawa(キュレーション)・太田遥月/hazu(サウンドアート)・山田響己/hy!(インスタレーション)の3名によって構成されたアーティストグループ whh! が、サウンドインスタレーション、平面作品、彫刻、空間インスタレーションなどを組み合わせた展示を行う。会期は2022年7月22日〜27日(最終日16時まで)。23日には関係者を招待したクローズドイベントを実施予定。会期中にはアーティスト自身によるトークイベントや各種SNSでのリアルタイム配信、パフォーマンスなどが実施される予定。また、アーティストは3名とも慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に在学中、脇田玲研究室に所属している。
展示では新型コロナウイルスという緩やかな災害からの復興をモチーフに、第二次世界対戦終戦後、1950年代のアートから、社会参加型アートやフルクサスの系譜を持つ1970年代アート、そしてインターネット以降の現代アートの水脈を参照しながらキュレーションがなされる。2020年春から私たちの社会を覆い尽くした、いくつもの予測不可能性はインターネットを通じて、社会の根底にあった「顔」という表象や、信頼、コミュニケーション、いわば「私」と「あなた」を繋ぎとめていた接続詞を散開させた。ミュートされた顔、ハウリングする顔、ブロックされる接続詞、反転した日常と非日常。ようやく、かつての社会の姿が見え始めた2022年現在、ふたたび戻ろうとしている「日常」とは何なのか。みなみな夢遊病者で、分裂症者で、認知症者で、同時にひどく醒めた正常者であったあの2年間を、どのように解析接続し、積分し、微分し、どのようにして戻るべき日常を探索するか。私たちwhh!は、あの日々を、あの散開星団だった接続詞たちを、もう一度考えなおす。
展示サイト:https://www.gankagarou.com/show-item/202207tono3jyou/
展示空間は、3Dモデリングや建築模型などを用いて設計され、中央にサウンドインスタレーションが設置される。また、展示空間は内臓や身体、従来のホワイトキューブ的空間をイメージした設計になっている。鑑賞者がこの展示空間に侵入することで、本展示は完成される(かもしれないし、そうでないかもしれない)。また、展示にかかる資料はNEORT ++ の支援を受けてオンライン上に公開される予定である。
展示タイトルに掲げられた「 (…)3 」(との3乗/cubed of conjunction)には、こうした接続詞、ミュートされてきた言葉たち、ハウリングする顔、リゾーム的なそれらを、3人の視線や態度によってすくいなおす意図が込められている。
なお、本展示は慶應義塾大学湘南藤沢学会の支援を受けて実施される。
1999年、岡山県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部在学。土地や自然環境に漂う音や空気を取り込み、自然の作用によって形成される物質の記憶や軌跡、循環を生み出す。NYCEMF 2020 サウンドパフォーマンス部門入選(2020)、身体アンデパンダン展(2021)、RAU2021「都市と芸術の応答体」参加(2021-2022)など。
https://hazukiota.com/
2000年、熊本県生まれ。慶應義塾大学環境情報部在籍。物質との関係のなかで融解する自らの身体感覚を手がかりに、パフォーマンスやインスタレーションの制作を介して個々の記憶やイメージを詩的に接続する時空間それ自体の上演/展示を試みる。主な作品発表に「untitled <平らに稽古するだけ>」(2022、早稲田小劇場どらま館)など。
https://hibikiyamada.com/
小川楽生
(キュレーション・インスタレーション)
キュレーター、アーティスト。先天性重度難聴という背景から、言語に対する執着心を探り出し、広く人文学的視座からキュレーション業務を行っている。略歴として、【東京大学AMSEA「社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業」第三期生/芸術祭「みなとメディアミュージアム」代表就任、「語りうる可能性のすべて」キュレーター/NEORT++ キュレーター/CIL 2021 Cultural Innovation Leadership 事業採択】など。
コンセプト:「薄ら寒い函数」
うはごほりあはにむすべる紐なればかざす日陰にゆるぶばかりを(枕草子、第90段)
マルチチュード化する予感、日常へ戻りつつあること。新型コロナウイルスに覆われたあの(この)(どの?)2年間を(今も覆われてはいるのだが)、想像しあう感染症であったとするならば、これからの予感は、かつてあった正常さをもう一度描き直そうとすることだろう。そしていま再び澎湃として起こる戦火、世界を覆い尽くした感染。やはり、私たちはあの時代を参照するしかない。
一方、正常さへの接続、それはジョルダン閉曲線への接続であってはならない。閉じていながら、閉じてはいけない(かもしれないし、そうでないかもしれない)。解析接続によって、関数が次なる解析域へ接続するとき、その正しさはどこから担保されるのか? あるいは、接続されたとき、接続される(受動)関数だったそれは、「いまここ」からみて、一意なのか? 一意に接続された正則な関数は、過去においても正則たりえるのだろうか? 閉じないまま、閉じる曲線を描くこと。そして、その接続の場として、芸術が機能すること。我々の胃袋は臓器だが、同時に、世界である。かつ同時にそれゆえむしろ、臓器は外部に存在する。芸術実践の場こそが正常で、世界が、内部化しつつある。世界に対して接続したくても、それがひっくり返されている。反転した臓器、反転した世界。ハレとケが逆転する中で。トポロジー的場での記憶……。
分裂症的な予感。あれであるかもしれないし、これであるかもしれない、1でありながら多であり、しかし多であるだけでは未然の、常にそれではないあれ(でもない)をはらみながら、延伸し、交差し、退転し、いくつもの動詞・形容詞・名詞……シニフィエとシニフィアン、そしてシニフィカシオンが可算無限濃度を持つ空間。ぼくは現実で(ここがアートで)、わたしは虚構になる(ここは日常で)……。いつでも壊落しうる一歩手前で、あはに結ばれた紐で、現実を直視する。=(イコール)が緩んだひとときを、指向する。
悲劇が日常化し、あらゆる断片、あらゆるコード、あらゆるインターネット(インターそのもの)に悲しみが付着している。白リン弾、浄化、紛争。演劇は、上演されることそれ自体によって、礼拝的価値をもち、儀礼となり、日常から我々を救い出した。しかし、もはや演劇それ自体が日常化した今、芸術の機能は非日常化することではなく、日常そのものになることである。顔という表象をミメーシスし、いつの間にかすり替えていくスタンプ、フィルター、マスク。演劇的な顔に、演劇的な感情に、存在に、溢れたいま。あらゆる悲しみ、あらゆる感情に埋め尽くされ、テクストなき読みも存在しない今、直視するに足る現実を提示することが、芸術の一種の責務になるのだ。リゾーム化したアウラ、リゾーム化する日常。中間は決して、中庸ではない。むしろ、あらゆる要請に対して罵声を浴びせかけ、反抗し、屹立し、結託しながら離散し、そこにいなければならない。それは便器的な現実である。内臓、汚水、自然。そこに踏み入ることで、多重に裂けた裏切り行為や指示や内臓的本質や反転構造を、鑑賞者は・アーティストは・存在そのものは、引き受けていく。そうやってようやく、私たちは現実を見ることができるようになる。こんにちは、便器!目玉を背中につけて、この会場を出てゆくために。この世界から脱するために。
プレスリリースに関する問い合わせ先
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