日光市足尾地域と連携して地域の歴史的遺産を観光資源へと光り輝かせることを目的とした調査研究を開始。学生たちが「馬車鉄道」の歴史と遺産を追います。
栃木県の支援を受け、学生たちが地域のスペシャリストとコラボ。2022年7月20日のルポタージュ。
舞台は、足尾銅山の企業城下町として栄えた栃木県日光市足尾町。かつてここには「馬」が引く「鉄道」がありました。
「馬車鉄道」の史料を紐解いてきた「宇都宮⼤学地域デザイン科学部」と、遺産の所在を知り尽くしている「地域のスペシャリスト」が、それぞれの知識を持ち合わせ共同で研究を開始しました。
この日、それぞれの知識を持ち合わせ、情報を共有しました。大学からは「鉄道」と「軌道」の違いや、その法に基づいて足尾銅山では「馬車鉄道」の敷設の許可申請が出されていた史実などを提供しつつ、地元のスペシャリストたちからは「鉱山の輸送の仕組み」を教わりました。
栃⽊県⽇光市⾜尾町。かつて⾜尾銅⼭の企業城下町として栄えた地域である。⾜尾銅⼭は明治期に⼊ってからの積極的な⻄洋技術の導⼊に伴い⼤きく発展しました。
銅山の経営は多くの技術によって⽀えられていた。「輸送」に関連したものもその⼀つである。銅山に必要な物資を運び込み、そして銅を市場に送り出しました。
足尾銅山には「馬車鉄道」と呼ばれるものがあった。このインフラが日光駅と足尾、そして群馬方面とをつなぎ物資や人を運びました。地元ではその跡が今でも残っていると言われています。
この「馬車鉄道」の跡を地域の観光資源にすべく、「足尾地域を知り尽くすスペシャリストたち」と古河機械⾦属株式会社の史料を紐解いてきた「宇都宮⼤学地域デザイン科学部」がコラボして、その所在を明らかにするための調査研究に着手し始めました。
- 「馬車鉄道」は、法の上では「鉄道」ではないのです。
「鉄道」と呼ばれたり、「鉄道」のように見えたりしても、「鉄道」として扱われないものがあります。これらは「軌道」と呼ばれるものです。奇妙なことだと思われるかもしれませんが、鉱山の歴史や鉄道の歴史から紐解けば、足尾銅山の馬車鉄道は「馬車鉄道」と言っても、これは「鉄道」ではなく法の上では「軌道」に分類されます。
現代における他事例を見てみれば、宇都宮市が進めるLRT。これは「鉄道」ではなく、「軌道」なのです。
- 「鉄道」の敷設を進めたい明治政府。おおいに悩みました。
明治期に入り日本の近代化を急速に進めようとする明治政府。「鉄道」は、国にとっては富国強兵と殖産興業の要でした。
この敷設を官(政府)が牽引するのか、はたまた民間に開放して民間資本を活用して敷設していくのか。
資金も十分でない中、日本のどの場所に優先的に敷いていくべきか。
大きさもまちまちで速さも違う鉄道がいろいろと存在しつつある中で、それらをつないで混在させれれば混乱を生じる結果となり得ます。
明治政府はおおいに悩みました。
政府が悩むいっぽうで、この「鉄道」や「軌道」の技術が地方や地域の重要な輸送手段として根付き始めていました。産業の勃興が勢いよく進む地方においても、それは顕著にみられました。
- 「馬車鉄道」は「軌道」の仲間に分類されました。
悩んだ結果、明治政府は「鉄道」として扱うものとそうでないものに分けました。こうして、民間による敷設を認めていく法「私設鉄道条例(明治20年)」や「軌道条例(明治23年)」が登場することになりました。
この「私設鉄道条例」の第一条の中には「馬車鉄道は本条例定むる所の限りにあらず」という一文があります。
そして「軌道条例」の第一条の中には「一般運輸交通の便に供する馬車鉄道及その他これに準すべき軌道は(中略)公共道路上に敷設することを得」との一文があります。
こうして、民間による敷設の門戸もさらに広がり、「鉄道」は専用の敷地が整備され機関車以外の他の輸送手段と混在しないように整備されていきました。いっぽうで「軌道」は、その敷設目的や安全性および衛生面などが厳しく問われつつ敷設されていきました。
- 「馬車鉄道」は「軌道」として主に道路上に敷設されました。
「軌道」として扱われるものとなった類のものは「鉄道」と違って、人や荷車などの他のものと敷地を共有しつつ、道路上や、公用地、山林(公有の山林)、私有地、鉱山敷地内に敷設されていくことになりまいした。
それらは県が管轄する道路(県道や仮県道など)上であれば、県に申請が出され、町や村の所有する土地の上に敷設することになれば町村に申請が出されました。
なお、山林(公有の山林)上にも及べば、それを管轄する山林行政部署に申請が出されました。
その足跡の一例を物語る一次史料が足尾銅山には残っています。
ここで、宇都宮市のLRTをもう一度振り返ってみます。LRTの工事は今、道路上で行われております。
- 足尾銅山に学生たちが訪問し、温かくお出迎え頂きました。
宇都宮大学地域デザイン科学部では、古河機械金属株式会社と日光市教育委員会文化財課の協力のもと、これら一次史料の解明に当たってきました。
馬車鉄道に関する一次史料を紐解いた「宇都宮大学の知」と、「地元のスペシャリストたちだからこそ持ち得る知」とをコラボさせ調査を実施し、足尾の地域資源の掘起しに挑みます。
まずは、リアルな鉱山と軌道を学びつつ、知識を共有するために学生たちが足尾に訪問しました。
足尾行政センター、地域おこし協力隊、足尾銅山の世界遺産登録を推進する会、そしてスペシャリストの日向野氏、町田氏、山田氏には日光市役所足尾庁舎前で、古河機械金属の五十嵐氏には古河足尾歴史館前で、それぞれ温かく迎えて頂きました。
- 近代化しながら発展を遂げた鉱山の仕組みを教わりました。
鉱山施設は鉱業の法のもとで取り締まれら作られています。
それは明治時代からのことであり、その代表的な法に「日本坑法」や「鉱業条例」などといったものがありした。
全国の各鉱山に当てはまることですが、これらの法のもと「坑内施設」と「坑外施設」の許認可が行われていました。
鉱山ではその施設の見方として、この「坑内施設」と「坑外施設」といった角度からの見方がありました。
このたびの調査対象である「馬車鉄道」の部分は、「軌道条例」で扱われた「軌道」として側面と、「鉱業条例」で扱われた「坑外施設」の側面を有する部分です。
学生たちは「足尾銅山観光」の「坑内」で当時の作業を学び、古河足尾歴史館では「足尾銅山」の全体像を教わりました。
- 一次史料から読み取った内容を共有し、そして現地に点在する「馬車鉄道」の遺構に迫ります。
明治24年に古河から最初の申請が出され、翌年に敷設許可が下りました。そして「日光駅から細尾間」、「地蔵坂から足尾銅山内」、「足尾銅山から群馬県の東村の切幹間」で馬車鉄道が完成しました。
一次史料によれば「日光駅から細尾間」は明治25年の8月31日付で、他の二つは明治25年の9月30日付でそれぞれ工事の完了の届が出されていました。
こうして「馬車鉄道」の完成によって、日本鉄道(日光線)方面や両毛鉄道方面から運び込まれてくる物資の増強を図られ、足尾銅山は輸送上の困難を凌ぎました。
やがて馬車鉄道は夜間の運転や客車の牽引も認められ、足尾町と輸送路上の地域の発展には欠かせないものとなっていきました。
日光駅から足尾方面に向かう路線(日光細尾間)は「馬車鉄道」だが牛も走りました。その後、時代とともに日光電気軌道がその役目を担い、さらに東武鉄道へと引き継がれていきました。
足尾町内および群馬方面に向かう路線は、明治時代末から大正時代の初めにかけて「足尾鉄道」が完成すると、その役目も縮小し、足尾町内の輸送交通を担うにとどまるようになり、やがて町内の路線も所々で廃止され、さらに馬たちに代わりフォードのエンジを積んだガソリン機関で牽引されるようになりました。
これが「ガソリンカー」と呼ばれるものです。
「足尾鉄道」が敷設される前は「索道(ロープウェイ)」とともに足尾銅山の輸送手段の主力をなした「馬車鉄道」。「大学の知」と「地域の知」を結びつけ、その「歴史と遺産」を「地域の観光資源」として光輝かせるための取り組みを開始しました。
次回のルポでは、学生たちが現地に点在する「馬車鉄道」の遺構に迫る様子をお伝えできると思います。
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このたびの活動においては栃木県の「令和4(2022)年度大学地域連携活動支援事業」で採択を頂き、支援を頂いております。
■栃木県/令和4(2022)年度大学地域連携活動支援事業について
https://www.pref.tochigi.lg.jp/a01/daigaku/daigaku-chiiki-renkei.html
また、日光市および足尾行政センター、古河機械金属株式会社、足尾銅山の世界遺産登録を推進する会、地元の有識者の方々のお力添えを頂きながら進めている調査研究活動です。
なお、地域の方々との交流に際しは、写真撮影の際のみ、一時瞬間的にマスクを外しての撮影とし、新型コロナウィルスの蔓延防止について十分な配慮をしつつ進めて参ります。
■宇都宮大学 地域デザイン科学部
http://rd.utsunomiya-u.ac.jp/
■古河足尾歴史館
https://www.furukawakk.co.jp/ashio/ashio/
■トロッコ館情報
https://www.furukawakk.co.jp/ashio/news/
■足尾銅山の世界遺産登録を推進する会
https://ashiodozanworldheritage.net/free/profile
上掲の東京大学の文献から引用した大正4年の馬車鉄道の写真は、この記事への掲載を目的として、東京大学の図書館からのご許可を頂いて利用条件に従い掲載しております。
本掲載記事、および本掲載記事のPR以外での使用の場合は、別途、東京大学の図書館の許可を得て利用条件に従う必要がございます。
■東京大学附属図書館(利用案内)
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/general/user-guide/special
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