料亭の女将がインスタレーション作家として28年ぶりに復帰
武蔵野美大、京都市芸大大学院で彫刻を専攻し、その後は四半世紀以上にわたり日本料理銭屋の女将として過ごしてきた髙木 幹(たかぎ みき)が金沢市芸術村にて26年ぶりの個展を開催します。
四半世紀以上、料亭の女将として過ごしてきた髙木が26年ぶりに個展を開催することになった。
「2 年ほど前、子供達が大学生になったのを機に、過去の作品を捨てようと、26 年ぶりに一度も開けずにいた包みをほどき、作品と対面しました。それらはかなり傷んでいましたが、かつての私がどれほどがむしゃらに作ることに必死だったかを思い出させ、胸が熱くなりました。捨てられないものの修理から始めたのですが、それは、直すことに留まらず、若い頃には作り急ぎすぎて出来なかった再構築するという挑戦へと、私を駆り立てました。」と語る。
「制作している間は、以前と同様に心が凪いで平穏が訪れます。作品が自分の思い描いたイメージに近づくと時折心震え感動する瞬間に立ち会うことができます。作品は竹や和紙等を使っていますが、作るだけでは私にとってそれは未完成です。」
個展開催を決めた髙木は、作品を完成させることができる空間を探した。それは、作家の選んだ空間と一体化して初めて作品が完成する、時に中に入り込んで体験できるような表現方法、つまりインスタレーションが成立する場所だった。今回もまた、以前制作活動していた時のように、その空間でしか存在しない作品の完成を目指している。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 約 800 年前に書かれた鎌倉時代の随筆『方丈記』の冒頭の一文は十代の頃から私の心にあり続けました。そして私の心象風景と重なり合いました。 日本の四季が移り変わるように、世の中のものは全て変化する。不変のものは存在しない。 という考え方を無常観と言います。無常観は元々仏教から生まれましたが、この国の自然観、人の感情、人生観さえも含めて、日本の美意識の基調となりました。日本には桜の散り際にさえ、その消えゆく儚さ、朽ちてゆく中に美しいと感じる心が存在します。」
自らの表現には無常観が根底にあると語る。
「制作をやめている間は、一方で幸せを感じながら、他方では何者にもなれない自分を抱え彷徨っていたように思います。 今、 幾重にも季節をめぐって、 再び作ることになりました。 私の経験した子供達の輝く生と身近な人達の死、 時に華やかで時に虚しい女性としての人生観も、 河の流れの姿を借りて、 自身の無常観として表現できたらと思います。」
なるほど、制作をやめていた時間と経験が、今回の作品に大きな影響を与えているだけではなく、芸術家として制作を続けていた場合とは異なる視点や価値観を高木に齎していることは言を俟たない。
「静止した竹や和紙が語るこの情景はほんの 2 日限りで消えてしまいます。あなたがこの空間に足を踏み入れた時に、日々の喧騒をひと時忘れ、この情景の行く先にあるあなたの河へと進み、あなたご自身の人生を慈しんでいただけたらと思います。」
この機会に個展会場に足を運び、一滴の如き自らの存在が、河と成す作品によって包容されながら、様々な想いを巡らせてみてはどうだろうか。
高木幹 作品展
2024年9月21日、22日 09:00-18:00
金沢市民芸術村 里山の家
金沢市大和町1-1
入場無料
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