倉敷美観地区にて料理宿「撚る屋(よるや)」が2024年秋に開業予定
「Azumi Setoda」や「福田屋」の開発・運営を行うNaru Developmentsが倉敷の場所性を表現する新たな料理宿「撚る屋(よるや)」を開業予定
株式会社Naru Developments(ナル・デベロップメンツ)は倉敷美観地区にて2024年秋に飲食・宿泊体験を通じて倉敷の場所性を表現する料理宿「撚る屋(よるや)」を開業します。明治期に呉服屋の別邸として建てられた後、30年以上地域の旅館として愛されていた築110年ほどの建物は、客室とレストラン、そして街に開いたカジュアルなバーを複合させた宿として生まれ変わります。
「撚る屋」は東町という奥倉敷とも呼ばれる美観地区の中でも閑静なエリアに位置し、改修と増築・新築の調和が図られた建築です。倉敷という街は400年前の干拓を経て綿やイ草といった植物性の繊維から始まった街であり、「撚る屋」は明治期に呉服屋を営まれていた場所を譲り受けた背景を紡ぎ、この場所の歩みと「撚る屋」の想いが撚り合わさっていくことを目指します。
施設概要
客室について
客室はスタンダードにあたる30㎡の部屋から、76㎡のスイートまで、5つの客室タイプに分かれ計13部屋を計画しています。レストランやレセプション、スイートとジュニアスイートは伝統的建造物である建物の改修・増築を行ったエリアとなり、新築エリアには倉敷の歴史や文化を尊重したデザインが施されたメゾネットの部屋が並びます。
レストラン・バーについて
レストランは計16席がコの字型に並び、提供される食事が調理され盛り付けられる姿を目の前で眺めるライブ感のある空間となります。海と山に囲まれた倉敷の立地を活かし、地元で採れた山海の幸を和の技法で調理し、滋味を最大限に引き出します。
街に開けたカジュアルなバーは、お客様同士が大きなテーブルを囲み、人が交わる場としての機能を持ちます。宿泊以外のお客様や地域の方々にも日常的に立ち寄っていただけるような場所を目指しています。
デザイン・設計・開発について
「撚る屋」の空間デザインディレクションと内装設計は、「現代における日本の文化創造」というコンセプトのもと多岐に渡るデザイン活動を行う【株式会社SIMPLICITY】が手掛け、建築設計は、伝統建築の改修設計を多く手掛けてきた【今井健雄建築設計事務所】が担当します。開発及び開業後のパートナーは地域資産を活用した事業再生に実績のある【株式会社Kiraku】で、事業企画、プロジェクトマネジメント、クリエイティブアドバイスなど幅広い役割を担います。
株式会社SIMPLICITYによるデザインコンセプトのコメント:
「『撚る屋』のデザインコンセプトには『かのざ』というキーワードが挙げられます。暖や⾷をもたらす釜戶や囲炉裏は『⽕の座(かのざ)』と呼ばれ、古来より祀られてきました。その⽕の神が、此の場に訪れる者を互いに結びつけ⼟地への想いを深めさせます。⼤通りから⼟間を抜けた隠微な光が差し込む路地、ひやさいの奥にはこの地における先⼈達に守られ続けてきた漆喰と⼟壁を施した建物と、倉敷の近代化遺産の象徴である煉⽡建築との美しく調和された世界が共に広がり、ともし⽕の如く訪れる者をもてなしの場、『かのざ』へと誘います。
※ひやさい:美観地区の観光通りから⼀歩⼊った、⼊り組んだ細い路地のことであり倉敷の⽅⾔、表裏する⾒世と奥を繋ぎます。」
名前の由来
倉敷という街は浅海が土地に変わった直後に栽培された綿やイ草という植物性の柔らかい繊維素材で始まった街です。また、その繊維という素材が起点となり、時代の変遷の中で紡績や工芸といった二次産業が花開き、クラフトマンシップが今もなお残っています。その「植物が持つ柔らかさ」と街の特徴でもある「手作業」というものを重ね合わせた時に「撚る(よる)」という言葉に出会いました。今もなおこの街に息づく手作業に由来する「糸を撚る」という言葉は、手偏のついた意志を感じる動詞でもあり、柔らかさとクラフトマンシップの両面を表現している言葉であると考えています。
また、倉敷という場所の歴史は代々受け継がれている人々の意志により、今や太く立派な縄の様になっています。そんな太い縄に、今はまだ細く淡い色の糸である「撚る屋」も撚り合わさってほしい、という想いが込められ「撚る屋」という名前が付けられました。
「撚る屋」開業に向けた企画担当者 株式会社Naru Developments上沼 佑也の想い
私は最初に「倉敷美観地区」と聞いた時、白壁の建物が残された伝統的建築物の保存地区であるというほどの知識しかなく、倉敷へ実際に訪れると美観地区の街並みを見学する多くの人で賑わう景色が印象に残りました。それから倉敷の成り立ちを深く学ぶべく、この街にまつわる文献や書籍を読み、地元の方々からお話を伺う中で、自分の中で不思議な感覚が芽生えていました。その感覚は司馬遼太郎のエッセイ「倉敷・生きている民芸」を読んだ際に、表面的な印象と倉敷本来の姿とのギャップに対する違和感だと気づいたのです。エッセイの中で司馬は、倉敷を訪れる前に「民芸の町」と呼ばれていた倉敷を懐疑的に思っていたが、一晩を過ごすとこの街は民芸「調」なのではなく、古くから受け継がれた建物やモノが変わらず街を見守っている、不変の息づく稀有な街であることに気づき、自分の偏見に恥ずかしさすら覚えたと綴っています。私も司馬と同様にこの街の本来の姿を知っていく中で、倉敷に対して表面的な印象しか抱いていなかった自分を情けなくすら思ったのです。
これから開業までにより多くの方々のお話を伺い、倉敷という複雑な歴史を持つ街の「これまで」と「これから」を多面的に理解できるよう努めたいと思います。倉敷の街が持つ「新」と「旧」や「工芸」と「工業」の折衷と、呉服屋を営んでいた名家の別宅であったという「撚る屋」の場所の性質を踏まえ、「撚る屋」が倉敷という先代の人々が作ってきた太い縄に撚り合わさっていくことを目指します。
株式会社Naru Developmentsについて
2017年、早瀬文智と岡雄大の2人により創業。早瀬は創業以前、1999年に幹部候補生としてAmanに入社、2004年から計12年間に渡って同ブランドの駐日代表としてリゾートの開発・立ち上げを担当し、岡は創業以前、米Starwood Capital Groupをはじめとする投資会社にてアジア・北米の不動産投資やホテル会社の経営助言を行い、2013年よりAman Resortsへ出向、そこで早瀬と出会い、Naru Developments設立の構想を描き始めました。
Naru Developmentsは、その土地の声に耳を傾け、場所の古層に眠っている文化や風土を、宿というかたちで具現化することをミッションとしています。自分たちのエゴで宿を創るのではなく、ご縁のあった場所に眠る種子に水をやり、実が成り花が咲くような、唯一不二の宿をこれからも創っていきたいと思います。
◆会社情報
会社名:株式会社Naru Developments
代表取締役:早瀬文智、岡雄大
所在地:京都府京都市下京区燈籠町559-2 Ragusa東洞院高辻3階
設立年月日:2017年1月23日
Instagram:https://www.instagram.com/naru_dev/
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