もみじ饅頭のにしき堂が、德川家広さんの德川宗家十九代継承記念『楓果(ふうのか)』を創作しました。全国的な新聞、雑誌でも取り上げられている、今、注目の和菓子です。
2023年1月23日(月)から にしき堂直営店、にしき堂公式オンラインショップで発売。(日光東照宮、浜松・大河ドラマ館は調整中)。
『楓果(ふうのか)』の「楓」は、江戸時代中期に中国の商人が持ち込み、德川八代将軍の吉宗公が、江戸城内に植えたのが最初で、歴代将軍は四季折々に美しさを奏でる「楓」を眺め、平和を願ったに違いないという家広さんのお話から命名しました。
現在、江戸城内の楓の木は皇居に生育するもの以外は、昭和天皇より日光東照宮に下賜されたもの、そこからさらに全国数カ所の東照宮へと移植されたものに限られています。
◎『楓果(ふうのか)』創作の背景、及び工夫・価格等
家広さんが德川宗家十九代を継承するにあたり、「長年の乱世を終わらせ、太平の世の礎を築いた家康公の平和への思いを、お菓子に表現してほしい」、という相談がありました。
にしき堂は、銘菓『新・平家物語』を創作したとき、文豪・吉川英治先生が名作「新・平家物語」に託した「戦後の荒廃を乗り越え、新しい平和の時代を開く」というメッセージを、バームクーヘンは歴史を伝える巻物、赤餡は平氏、白餡は源氏に見立て一つの小箱にいれて「仲良く、平和に」という願いを表現しました。
今回は、「平和への思い」というコンセプトを、「栗」と「しろあん」という異なる性質の素材を、弊社独自の製餡技術で一つにまとめ、平和(おいしさ)を奏でるお菓子にしました。
大手亡豆の白餡に、ペースト状にした栗を合わせて炊き上げ、あらかじめ密付けした栗のダイスカットを加え上品に仕上げました。焼型は楓の葉をアレンジし、焼型が美しく映えるように初めての円柱の形状にしました。栗を練り込んだ白餡を、栗の風味のカステラで包んだ芳醇な和菓子になりました。
菓子の名前は、家広さんとお話をする中から、楓(フウ。カエデとは別)のことをお聞きし、『楓果(ふうのか)』としました。
『楓果(ふうのか)』は、1月4日発売「週刊プレイボーイ」、1月5日発売「週刊女性」、1日8日「朝日新聞」朝刊掲載の家広さんのインタビューでもお話されています。
■販売価格
1個170円 6個入1,200円(税込)■販売箇所
にしき堂直営店、にしき堂公式オンラインショップ(https://www.nisikido.net/)
【調整中】日光東照宮、浜松・大河ドラマ館
◎『楓果(ふうのか)』新発売に寄せて(家広さんのお話)
楓(フウ。カエデとは別)というのは、中国東南部・台湾が原産地の落葉樹です。その樹形は整った三角であり、そうとうな高木に育ち、しかも樹脂が香わしいといった特徴から、中国皇帝の宮殿の庭に好んで植えられました。
日本では、江戸時代中期に中国の商人が持ち込んだものを、その背景を知った德川八代将軍の吉宗公が、江戸城内に植えたのが最初とされています。江戸時代の日本人にとって中国の歴史は必須の教養であり、吉宗公より後の歴代将軍は、季節の移ろいとともに色彩を変えていく楓の葉を見ては、中国の治乱興亡に思いを馳せ、ひいては日本に太平が続くことを祈念したことでしょう。
現在、江戸城内の楓の木は皇居に生育するもの以外は、昭和天皇より日光東照宮に下賜されたもの、そこからさらに全国数カ所の東照宮へと移植されたものと、ごく限られた場所でその優美な姿を見せるばかりです。
『楓果ふうのか』においては、中国皇帝の庭、德川将軍の庭、皇居のお庭、そして各地の東照宮といった高貴の地で生育する楓の木を連想させる、品格ある味わいが実現いたしました。德川宗家と繋がりの深い楓の木が、このような果を実らせたことに、心よりの喜びを申し述べたいと思います。
◎温故知新、挑戦し続ける、にしき堂
もみじ饅頭の製造・販売で広島県内最大規模の株式会社にしき堂は、1951年(昭和26年)、広島市松原町に創業(創業者/大谷照三)しました。いち早くもみじ饅頭焼成にガス熱を利用、自社製餡工場の建設、良質な北海道小豆の仕入れなど、業界をリードしました。創業者の大谷照三は、「共存共栄」ではなく、「競争共栄」を唱え、自社開発の技術を囲い込まず広く開放することによる競争こそが、業界全体を大きくし自社の発展になると考えました。
1971年(昭和46年)、文豪吉川英治先生の奥様の文子夫人の了承を得て、『新・平家物語』を創作しました。銘菓『新・平家物語』は、それまでの菓子業界ではタブーとされていた、和菓子の餡と洋菓子のバームクーヘンを組み合わせた新機軸の和洋菓子で、専門家から酷評されました。しかし、その工夫が大ヒットにつながり、多くの類似商品が生まれました。
1980年(昭和55年)、B&B(島田洋七・洋八)によるもみじ饅頭ブームにおいてもB&Bを積極的に支援し、広島のもみじ饅頭が全国菓子業界において不動の地位を築くことに貢献しました。
2009年(平成21年)、ひろしま新銘菓『生もみじ』を創作。これも大ヒットしました。
にしき堂は、他業種との連携にも積極的に取り組んでおり、広島カープ、サンフレッチェ広島、藤子・F・不二雄ミュージアム等と連携したお菓子を製造・販売しています。
◎德川家広さんと大谷博国さん(にしき堂社長)の出会い
今、家広(とくがわいえひろ)」さんは、「時の人」「今年注目の人」です。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の三大新聞ニュースをはじめ、テレビ出演、週刊誌インタビューなど取材が殺到しています。
家広さんは、1965年(昭和40年)、東京都に生まれました。慶應大学業、ミシガン大学大学院を経て、財団法人国際開発高等教育機構(FASID)、国際連合食糧農業機関(FAO)に勤務。その後、コロンビア大学大学院を修了。2010年、アメリカ映画『グリーン・ゾーン』の字幕翻訳を担当。同年、政策フォーラム「日本の選択」の設立に参加されました。
2016年(平成28年)にプロデュースした「德川家康没後400年記念 天下太平 德川名宝展」が、広島県立美術館で開催されたことが縁で(株)にしき堂代表取締役社長 大谷博国氏さんと知り合いました。 2022年(令和4年)、德川宗家18代当主の德川恒孝さんが退き、2023年1月1日付で19代当主として正式に家督を継承されました。
にしき堂の大谷博国さんは読書家で、歴史等に詳しいことなどから親しい交流が続き、今回の德川宗家十九代継承記念『楓果(ふうのか)』の誕生につながりました。
■德川家と広島・浅野藩のつながり(広島東照宮公式サイトhttps://www.hiroshima-toshogu.or.jp/より)
広島東照宮は德川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648年)、当時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当る寛文6年(1666年)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。 社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と云われていましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾(爆心地から約2,200m)の熱風により、桧皮葺本殿、中門、瑞垣、拝殿は焼失。 現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。
株式会社にしき堂 本社
〒732-0052 広島市東区光町1丁目13番23号
https://www.nisikido.co.jp/
[会社概要]
・社名 株式会社にしき堂
・所在地 広島県広島市東区光町1丁目13番23号
・TEL (082)262-3131(代)
・FAX (082)263-3121
・代表者 代表取締役社長 大谷博国
・資本金 10,000,000円
・従業員 280名
[主な商品]
広島銘菓『もみじ饅頭』、和洋菓子『新・平家物語』、広島新銘菓『生もみじ』、『おとなのもみじ 抹茶とあん餅』等
[お問い合わせ]
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