新たに「吟醸造り」が重要無形文化財に認定。70年以上、酒造りと向き合う農口尚彦が、その保持者として、日本酒杜氏初の「人間国宝」に。
重要無形文化財制度で新たに「生活文化」が対象に。農口尚彦の技術と、その継承への取り組みが評価される

株式会社農口尚彦研究所(石川県小松市)は、杜氏・農口尚彦が、重要無形文化財「吟醸造り」の保持者として認定され、いわゆる「人間国宝」となったことをお知らせします。
今回の認定は昨年、重要無形文化財制度に、新たに「生活文化」の分野が設けられたことによるものです。これまで重要無形文化財の対象は芸能と工芸技術が中心でしたが、制度の改正により、料理や酒造りなど、暮らしの中で育まれ、受け継がれてきた文化も対象となりました。
2024年には「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、日本酒を含む日本の酒造りは、文化として国内外から改めて注目されています。
今回、酒造りの現場で長年培われてきた技術を体得した人物として認定された当蔵の杜氏である農口尚彦は、16歳から酒造りの道に入り、70年以上にわたってその技術を磨いてきました。

「より旨い酒」を求めて、技術を磨き続ける
1932年、石川県珠洲郡木郎村(現能登町)に生まれた農口尚彦は、杜氏一家の三代目として16歳で酒造りの世界に入りました。1961年に20代で杜氏となって以降、全国各地の蔵で酒造りを担いながら、米の状態や発酵の変化を見極め、より良い日本酒をつくるための技術を積み重ねてきました。
その歩みは、能登杜氏の技を受け継ぐだけにとどまりません。農口尚彦は、かつて衰退の一途をたどっていた「山廃仕込み」の技術を現代に受け継ぎ、高品質な山廃酒を世に送り出してきました。また、1970年代当時は鑑評会のための日本酒であった吟醸酒(高精白の酒米を用いた酒)の一般流通にもいち早く取り組み、吟醸酒が広く飲まれる時代を切り拓いた一人として、日本酒文化の発展に貢献しています。
全国新酒鑑評会では、連続11回を含む通算26回の金賞を受賞。2006年には卓越した技能者「現代の名工」、2008年には黄綬褒章、2023年には文化庁長官表彰を受けるなど、その技術と後進育成、日本酒文化への貢献は高く評価されてきました。
今回の「人間国宝」認定は、長年培われてきた卓越した酒造りの技術だけでなく、それを次の世代へ伝え、日本酒という日本の生活文化を未来につないでいく役割も含めて評価されたものだと考えています。
農口尚彦を象徴する「吟醸造り」
農口尚彦の酒造りを語るうえで欠かせないのが、今回、重要無形文化財に指定された「吟醸造り」です。
吟醸造りは、手間と原料を惜しまず、味と香りを追求した吟醸酒を生み出す技術。精米と酒質の関係が見いだされ、近代以降、精米機の発達とともに、繊細な味わいや豊かな香りを生み出す高度な技が確立されてきました。
農口尚彦は、吟醸酒が主に鑑評会などに出品するための特別な酒だった時代から、一般市場への販売に取り組み、吟醸酒の名声を高めてきました。昭和50年代以降に広がった吟醸酒ブームを牽引した一人としても知られています。
その技術を高度に体得し、長年にわたって磨き続けてきたこと。さらに、多くの杜氏を育て、技を次の世代へと伝えてきたことも、今回の認定につながる重要な功績です。

酒造りの技術を、次の世代へ
2017年、農口尚彦の技術と精神を未来へつなぐため、石川県小松市観音下町に「農口尚彦研究所」が設立されました。
研究所では、農口尚彦が長年にわたって記録してきた酒造りのデータを保存・分析し、現代の醸造データと照らし合わせながら酒造りを行っています。
一方で、酒造りのすべてを数字で説明できるわけではありません。米や麹、醪の状態を見ながら、その時々で最適な判断をする。そこには長年の経験によって培われた感覚があります。
農口尚彦が大切にしてきたのは、技術をそのまま保存することではなく、時代に合わせて文化を磨き、未来へ引き継いでいくこと。だからこそ、研究所では蔵人の育成にも力を入れています。
技術の先にある「時間」も、酒の価値に
農口尚彦が追い続けてきた酒造りは、味わいだけでなく、時間との向き合い方にもつながっています。
高精白の酒米、山廃仕込み、無濾過生原酒、酵母へのこだわり。より旨い酒を目指して選び取ってきた造りには、時間を重ねることで味わいが整い、変化していくものがあります。
農口尚彦研究所では、こうした農口尚彦の醸す日本酒の特性を生かし、低温で酒を貯蔵しながら熟成させる取り組みも行っています。時間を重ねた日本酒を味わうという文化を、これからの日本酒の楽しみ方のひとつとして提案しています。
今回の認定を、新たな到達点ではなく、これまで受け継がれてきた酒造りを次へ渡していくための節目として。
農口尚彦研究所は、これからも農口尚彦の技術と精神を受け継ぎながら、日本酒文化の未来を一心に考えてまいります。

日本酒が「世界の酒」になる日を夢見て
農口尚彦研究所が醸す日本酒は、現在、世界30以上の国と地域で親しまれています。2018年にはANA国際線の機内提供酒として初採用され、現在まで続いています。日本から世界へと飛び立ち、さまざまな文化や背景を持つ人々からも喜びの声が届く日々。
長い歴史のなかで日本酒を造ってきた農口尚彦ですが、その酒が国や文化を越えて受け入れられている背景には、飲む人のことを何よりも大切に考える姿勢があります。自分が造りたい酒を追い求めるだけではなく、飲み手に喜んでもらうためには何が必要なのかを考え、時代とともに変化しながら技術を磨き続けてきました。その歩みこそが、国境を越えて人々に愛される酒造りにつながっています。
「酒造りは夢造り」。そう語るように、農口尚彦の酒造りには、技術を磨くことの先に見据える夢があります。その一つが、日本酒を「世界の酒」にすること。ビールやワイン、蒸留酒のように、世界中に多くの愛好家が生まれ、日本酒そのものだけでなく、その背景にある日本の食文化や酒造りの文化までが広く知られ、認められることです。
日本酒が世界の人々にとって、もっと身近で、人生を豊かにする選択肢の一つになる。農口尚彦は、そんな未来を見据えながら、今日も酒造りに向き合い続けています。

【農口尚彦 コメント】
「この度は、私の酒造りの仕事をこのような大きな形で評価していただいたこと、深く感謝申し上げます。ただ、私自身の夢は、まだまだ道の途中にあります。考え続けてきたのは、どうしたら飲む人に喜んでもらえる酒を造れるかということ。時代が変わり、世界に目を向ければ、酒の飲み方も、人の好みも変わっていきます。今や日本酒は世界中で楽しまれるようになりました。だからこそ私は、自分が造りたい酒に固執するのではなく、飲む人の声を聞きながら、その時代の旨い酒を造っていきたいと思っています。日本酒は可能性を秘めています。私は、日本酒をもっともっと“世界の酒”にしていきたいんです。
そして日本の酒文化も、本当に素晴らしいものです。この国の雄大な自然と人の手によって造られてきた日本酒は、人々の日常の中に根付いています。楽しいときには心を高揚させ、哀しいときには寄り添ってくれる。そして、めでたいときには、その喜びを託す贈り物にもなる。そうして築き上げられてきた歴史と文化は、次の世代へと大切につないでいくべきものです。今回の認定をひとつの節目としながらも、私はこれからも、もっと旨い酒を造る。その姿勢は、今後も変わりません。」
【農口尚彦 経歴】
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年 |
経歴・受賞・認定歴 |
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昭和7年(1932年) |
石川県珠洲郡木郎村四方山に、杜氏の子として生まれる。 |
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昭和23年(1948年) |
松波新制中学校を卒業後、1年間家業(農業)に従事。 |
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昭和24年(1949年) |
山中正吉商店(現・富士高砂酒造株式会社/静岡県富士市)で酒造工となる。 |
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昭和28年(1953年) |
株式会社西井久兵衛商店(後に廃業/三重県松阪市)で酒母係となる。 |
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昭和32年(1957年) |
株式会社大村屋酒造場(静岡県島田市)で頭となる。 |
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昭和36年〜平成10年(1961〜1998年) |
菊姫合資会社(石川県白山市)で杜氏を務める。 |
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昭和40年代〜 |
吟醸酒を市販し、評判となる。 |
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昭和42年(1967年) |
全国新酒鑑評会で金賞を受賞。以降、令和8年現在までに通算26回受賞。 |
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昭和54年(1979年) |
能登杜氏組合自醸酒品評会で金沢国税局長賞を受賞。以降、令和8年現在までに通算6回受賞。 |
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平成2年(1990年) |
JALファーストクラスの機内提供酒に採用され本格導⼊ |
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平成10年〜平成24年(1998〜2012年) |
鹿野酒造合資会社(現・鹿野酒造株式会社/石川県加賀市)で杜氏を務める。 |
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平成15年(2003年) |
著書『魂の酒』(ポプラ社)を刊行。 |
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平成18年(2006年) |
厚生労働省「卓越した技能者」(現代の名工)の表彰を受彰。 |
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平成20年(2008年) |
能登杜氏組合の組合長として黄綬褒章を受章。 |
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平成22年(2010年) |
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀 魂の酒、秘伝の技」が放映。 |
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平成25年〜平成27年(2013〜2015年) |
農口酒造株式会社(現在休業/石川県能美市)で杜氏を務める。 |
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平成27年(2015年) |
能登杜氏を主題とした映画『一献の系譜』(文部科学省選定)に出演。 |
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平成27年〜平成29年(2015〜2017年) |
酒蔵の新規建設計画に関与。 |
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平成29年(2017年)〜現在 |
新たな酒蔵(株式会社農口尚彦研究所)で酒造りを開始し、杜氏を務める。 |
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平成30年(2018年) |
ANA国際線にて機内提供酒として初採用。以降、2026年現在まで連続で採用。 |
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令和3年(2021年)〜現在 |
登録無形文化財「伝統的酒造り」の保持団体会員となる。 |
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令和5年(2023年) |
文化庁長官表彰を受彰。 |
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令和6年(2024年) |
「いしかわの食の巨匠」表彰を受彰。 |
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令和8年(2026年) |
石川県指定無形文化財「日本酒杜氏」の保持者に認定。 |
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