低線量率被ばくでは発がんリスクが上がらない仕組みの解明に近づく

― 幹細胞からミニ小腸(オルガノイド)を作製する技術を用い「放射線によって誘発される幹細胞競合」を捉えることに成功 ―

ポイント
・マウス小腸幹細胞を培養して小腸と類似した構造を持つ「オルガノイド」を高効率で作製
・蛍光色の違いから幹細胞の由来を識別できる「混合オルガノイド」を作製する技術を確立
・放射線を照射した幹細胞の増殖が抑制される「放射線誘発幹細胞競合」を捉えることに成功
概要
 一般財団法人電力中央研究所(理事長:松浦昌則、本部:東京都千代田区)原子力技術研究所 放射線安全研究センターの藤通有希主任研究員、大塚健介上席研究員、冨田雅典上席研究員、岩崎利泰センター長のグループは、マウスの小腸幹細胞から小腸と類似した構造を持つミニ小腸(オルガノイド*1)を作製する手法の高効率化を達成し、この手法を用いて蛍光色の違いから幹細胞の由来を識別できる混合オルガノイドを安定して作製する技術を確立しました。この技術を用い、放射線を照射した幹細胞と非照射の幹細胞から混合オルガノイドを作製した結果、放射線照射幹細胞の増殖が抑制される放射線誘発幹細胞競合*2を捉えることに成功しました。これは、微量の放射線を時間をかけて被ばくする低線量率被ばくではがんのリスクが低いという線量率効果*3のメカニズム解明につながる成果です。
本研究成果は、2019年12月30日付で英国科学誌Scientific Reportsに掲載されました。

1.背景
 腸管は放射線発がんのリスクが高い重要な組織であり、組織を作り出す幹細胞が集団として存在します。腸管幹細胞はがんの起源であることが知られており、放射線等による遺伝子損傷が誤って修復された変異を蓄積した幹細胞が、集団内で増殖することが原因と考えられています。しかし、そのような幹細胞が正常な幹細胞と競合して集団から排除されれば、組織の健全性が維持されると考えられます。このような考え方は、近年「細胞競合」と呼ばれる研究分野で明らかにされつつあります。我々は以前より、幹細胞の集団内における放射線照射後の細胞競合の有無を検討してきましたが、生体内の組織で幹細胞を追跡することは困難でした。そこで培養容器内で幹細胞から作製したオルガノイドを用いることにより、生体により近い条件で幹細胞の運命を追跡すれば、幹細胞競合を評価できると考えました。

2.研究手法・成果の特長
 マウスの小腸幹細胞を用いて以下の技術を確立し、放射線誘発幹細胞競合を評価しました。
①小腸オルガノイドの高効率作製法と幹細胞の由来を識別可能な混合オルガノイド作製技術を確立
 幹細胞競合を定量的に評価するためには、オルガノイドを作製する手法を高効率化することが不可欠です。オルガノイドの作製には、腸管幹細胞の指標となるLgr5遺伝子*4を発現した幹細胞が緑色蛍光タンパク質EGFPで標識されるマウスを用い、小腸から幹細胞が存在する腸管基底部のクリプト*図2を取り出し、1個1個の細胞に分散しました。その後、Lgr5-EGFPを高発現している幹細胞(Lgr5-EGFP幹細胞(緑色))を分取し、ウェル*5の底の形状がV字型の培養容器(マルチウェルプレート)を用いて、1ウェルあたり1個のオルガノイドを作製するとともに、幹細胞の足場となるゲルの濃度を細かく調整することで、オルガノイドから幹細胞を高効率で再分取できる技術を確立しました。この方法により1個の幹細胞から20~30%の効率でオルガノイドを作製することができました。
この技術を応用し、赤色蛍光タンパク質tdTomatoを発現したLgr5-EGFP幹細胞(赤)とLgr5-EGFP幹細胞(緑)を混ぜて、混合オルガノイドを形成しました(図1)。そして、オルガノイド内の赤色蛍光を発する幹細胞数の比と培養開始時に混ぜた幹細胞数の比から、幹細胞競合を評価する技術を確立しました。
②放射線誘発幹細胞競合の評価
 この混合オルガノイド作製技術を用い、線量1 グレイ(Gy)のX線を照射した幹細胞と非照射の幹細胞から混合オルガノイドを作製して幹細胞競合を評価しました(図1)。その結果、非照射の幹細胞同士(赤および緑)を混合した時と比較して、非照射幹細胞(赤)をX線照射した幹細胞(緑)と混合したオルガノイド内では、照射した幹細胞(緑)の割合が低い(非照射幹細胞(赤)の割合が高い)ことを発見しました。さらに、照射幹細胞のみからオルガノイドを作製しても、非照射幹細胞のみの場合と比較して有意な増殖能の低下は認めらませんでした。よって、照射幹細胞は、非照射幹細胞の存在により、幹細胞集団から排除されやすくなる「放射線誘発幹細胞競合」が生じることを初めて定量的に捉えることに成功しました。

図1 放射線誘発幹細胞競合
X線1 Gyを照射した幹細胞(緑)+非照射幹細胞(赤)、と非照射幹細胞(緑)+非照射幹細胞(赤)の各々について、混合比を変えて混合オルガノイドを作製し、幹細胞(赤)の占有率を比較しました。この時、右図のように占有率に統計学的な有意差が認められたことから、照射幹細胞は幹細胞集団から排除されやすいことが示唆されました。

3.本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
 国際放射線防護委員会の報告書(Publication 131)では、線量率効果を考える上で、組織レベルでの健全性維持に関する概念の一つとして、幹細胞競合を取り上げています。本研究成果は、幹細胞集団内に放射線がヒットした幹細胞とヒットしていない無傷の幹細胞が混在する低線量率被ばくの場合、無傷の幹細胞が優先的に増殖することにより、幹細胞集団を健全な状況に近づける可能性を示しています。今後、放射線誘発幹細胞競合が生じる線量・線量率の範囲を明らかにすることにより、低線量率放射線を生涯にわたって被ばくする高自然放射線地域住民の疫学調査*6で報告された、低線量率被ばくでは発がんリスクが上がらないという結果の理解につながると考えられます。

<用語説明>
※1オルガノイド:
 試験管内で幹細胞等を3次元培養して作製した、生体の臓器・組織と類似した構造や機能の特徴を有するミニ臓器。現在は、本研究で作製した小腸(図2)に限らず大半の組織のオルガノイドが作製可能であり、生物・医学研究に広く使用されています。

図2 小腸の構造とオルガノイド
 小腸には摂取した栄養分を吸収する機能を持つ絨毛が発達しており、絨毛は分化した機能細胞によって構成されています。機能細胞は、「クリプト」と呼ばれる腸管基底部において、前駆細胞が成熟しながら増殖することにより絶えず生み出され続け、入れ替わります。全ての前駆細胞はクリプト最下部のごく限られた場所に存在する腸管幹細胞集団によって作られます。その内、Lgr5を高発現する幹細胞を培養するとオルガノイドが形成されることが、Sato et al.(Nature 2009)によって報告されました。

※2幹細胞競合:
 組織内に適応度が異なる細胞が存在する場合に、細胞間の相互作用により適応度が低い細胞が排除されることを「細胞競合」と呼びます。幹細胞競合は幹細胞間で生じる競合であり、がんの原因となる異常な幹細胞を組織から排除することにより、がん化を防ぐ機構としても注目されています。
※3線量率効果:
 同じ線量の放射線を、一度に短時間で被ばくした場合と比較して、長い時間をかけて被ばくした場合に生物影響が低減される現象。
※4Lgr5遺伝子:
 Leucine-rich repeat-containing G-protein coupled receptor 5の略で、腸管幹細胞の目印となる遺伝子の一つです。Lgr5を発現した幹細胞は、腸管においてがんの起源になることが初めて報告されました(Barker et al. Nature 2009)。
※5ウェル:
 培養容器プレート上の複数のくぼみで、細胞や培養液を入れて培養させる空間。
※6高自然放射線地域住民の疫学調査:
 自然放射線のレベルが日本の平均よりも数倍高い、高自然放射線地域として、インド・ケララ州や中国・陽江などが知られています。当所も参加する国際的な共同研究として住民の疫学調査が行われており、インドでは白血病以外のすべてのがんについて罹患リスクの統計学的に有意な上昇は認められないことが報告されています(Nair et al. Health Phys. 2009)。

<論文タイトルと著者>
論文タイトル:
An Efficient Intestinal Organoid System of Direct Sorting to Evaluate Stem Cell Competition in Vitro
著者:Yuki Fujimichi, Kensuke Otsuka, Masanori Tomita, Toshiyasu Iwasaki
掲載誌:Scientific Reports. 2019 Dec 30;9(1):20297. doi: 10.1038/s41598-019-55824-1.

なお、本研究はJSPS科研費 若手研究(B)JP16K16196の助成を受けたものです。

                                          以    上 

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代表者名
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上場
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資本金
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設立
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