「2020年度 シチズン・オブ・ザ・イヤー」受賞者決定
シチズン時計株式会社(本社:東京都西東京市、社長:佐藤 敏彦)は、本年1月5日に選考委員会を開き、「2020年度 シチズン・オブ・ザ・イヤー」受賞者を下記のとおり決定しました。
この賞は、市民社会に感動を与えた良き市民を1年単位で選び顕彰するもので、当社が1990年から主催し、本年度で31回目となります。
各受賞者には、副賞として賞金100万円と時計が贈られます。
この賞は、市民社会に感動を与えた良き市民を1年単位で選び顕彰するもので、当社が1990年から主催し、本年度で31回目となります。
各受賞者には、副賞として賞金100万円と時計が贈られます。
2020年度 シチズン・オブ・ザ・イヤー 受賞者
▽ 村岡 真治(むらおか しんじ)さん 62歳 東京都小平市
自閉症や知的障害のある子どもたちの学童保育の先駆者として、40年以上にわたって施設を運営
▽ 鈴木 聡真(すずき そうま)さん 12歳 群馬県館林市
鈴木 杏 (すずき あん)さん 10歳 〃
一寸木 大喜(ちょっき たいき)さん 10歳 群馬県太田市
一寸木 悠喜(ちょっき ゆうき)さん 7歳 〃
クラウドファンディングで寄付を募り、難民キャンプで暮らすロヒンギャの子どもたちを支援
コロナ禍で地元の通勤客の感染不安をなくそうと、半年にわたって無料の通勤バスを都心まで運行
〔順不同〕
村岡 真治(むらおか しんじ)さん
■行 為
東京都小平市に3カ所ある放課後等デイサービス事業所「ゆうやけ子どもクラブ」には、地域の特別支援学級や特別支援学校に通う小学1年から高校3年生の自閉症や知的障害のある子どもたちが週5日、放課後に集まってくる。1978年の発足以来40年以上にわたり、障害児の学童保育施設として、子どもたちの成長を見守り続けている。同クラブは、この分野の草分け的存在となっている。障害のある子どもの放課後活動が珍しかった時代に、発足時からこのクラブの運営に携わり、活動を推進してきたのが、代表を務める村岡真治さん(62歳)である。
きっかけは1978年、大学1年生の時だった。先輩から、小平市での障害児のボランティア活動に誘われた。それは、子ども4人、ボランティア5人でスタートさせた活動だった。活動場所として借りてあった福祉作業所に出向くと、子どもたちが走りまわっている光景に驚く。村岡さんの「障害者は車いすに乗っている人」というイメージが覆った。発達障害、自閉症、知的障害など様々な障害があることもはじめて知った。そして子どもたちと真剣に遊ぶボランティアたちの姿に「ここまでするのか」と感動する。それまで障害者支援に全く関心がなかった村岡さんをこの体験が変えた。
施設もお金もない中で初期メンバーに参加した。子どもの世話だけでなく、地元自治体に補助金制度活用を請願したり、活動の場所を探したりなど運営に関わる事務的業務もこなしていったが、「活動は楽しくて仕方がなかった」という。保護者から感謝の気持ちを伝えられ、人のために役立つことの喜びを知り、障害のある無しに関わらず、人間の持つ尊さ、豊かさを知ったからだった。
村岡さんは大学卒業後、中学校の英語教師となり一度活動からから離れた。しかし、発足当初のボランティア仲間も卒業で活動をやめていく。「このままでは、発足時の思いを伝える人がいなくなってしまう」「自分を変え、育ててくれた活動を無くしたくない」と感じ、親の反対を押し切って1年で教師を退職し、1984年春にクラブに戻った。以後、運営に力を尽くし、当初週1日だった活動は1993年には5日に拡大。発足以来、公園、公民館、地域集会所、福祉会館、学校などから活動場所を提供してもらっていたが、1997年に地元の旧公民館建物に入居し、念願の常設のクラブとなった。同年から、子どもたちの学校と施設の送迎も開始した。利用者も増え、運営をスムーズに行うため「NPO法人あかね会」を設立した2001年には、2つ目の拠点、2013年に3つ目の拠点を市内に開設。学校の長期休暇中(春・夏・冬休み)にも対応する。現在、3カ所合わせスタッフは常勤8名、非常勤30名の体制で運営しており、節目で手作りコンサートを開催するなど、活動の幅も広がっている。
今後について村岡さんは、「活動を大きくするのではなく、足元の運営を安定させ、子どもたちにとって手厚い環境を作り続けたい。次の世代に引き継いでもらうためには、給与面も含め安心して働ける環境が必要」と話す。道のりは平たんではないが、子どもたちの日々の成長が大きな力を与えてくれる。
■表彰理由
大学時代のボランティア活動から40 年あまり。大学卒業後、いったん教師として就職しながら、親の反対を押し切ってクラブに戻り、一貫して障害児たちの成長を見守り続けてきた、その生き方を尊く思う。ごく小さなグループから出発し、たゆまぬ努力で、ここまで充実したクラブに育てた功績は大きい。障害児の尊厳を大切に、時間をかけてその人格を育てていくという考え方は、生産性第一主義がはびこる今、忘れてはならない貴重な哲学だ。
■受賞コメント
今から43年前、大学に入学した私は、偶然にも、「障害児のボランティア活動」(クラブの前身の活動)に誘われました。「障害児」について何も知らないまま参加したところ、さまざまなことを教えられました。子どもは、障害があっても、豊かな内面世界を持っていること。子どものために自分を活かそうとする大人がいること…。今、相模原事件のような問題も起こりうる社会にあって、人間という存在の奥深さや尊さをいっそう発信していきたいと思います。どうもありがとうございました。
■プロフィール
生年月日: 1958年(昭和33年) 11月13日生まれ 62歳 山口県出身
連 絡 先: 「ゆうやけ子どもクラブ」(東京都小平市小川町1-983) 電 話:042-344-2448
ホームページ:https://www.yuyake-kodomo.club/
鈴木 聡真(すずき そうま)さん、鈴木 杏(すずき あん)さん
一寸木大喜(ちょっき たいき)さん、一寸木悠喜(ちょっき ゆうき)さん
■行 為
「ロヒンギャの子どもたちのために僕たちにできることはないか」ぐんま国際アカデミー初等部に通う鈴木聡真さん(12歳)、妹の杏さん(10歳)、一寸木大喜さん(10歳)、弟の悠喜さん(7歳)の4人は、クラウドファンディングで寄付を募り、バングラデシュの難民キャンプに暮らすミャンマーの少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の子どもたちの支援を行っている。
活動のきっかけは2020年4月、聡真さんが母との会話から初めてロヒンギャについて知り、自分の住む群馬県館林市に多くのロヒンギャの人々が暮らしていると知ったことだった。詳しく調べる中で、杏さん、友人の一寸木さん兄弟と共に「在日ビルマロヒンギャ協会」副会長のアウンティンさんを訪ね、難民キャンプに暮らすロヒンギャの子どもたちの過酷な状況について話を聞き、大変驚いた。アウンティンさんの「本当にひどい状況だけど、教育とスポーツがあれば子どもたちは救われる」の言葉に「何か力になりたい!」という思いが強まった。
そんな時、100歳のイギリス人男性が44億円の寄付を集めたという記事を見つけ、お金を集めて文房具やサッカーボールを送ることを思いつく。しかしながら、コロナ禍で街頭に立っての募金は難しい。クラウドファンディングであれば、人とも会わずに実施できる。また群馬だけでなく日本全国の人に想いを届けて寄付を募ることができると考え、実施を決意した。
2017年に多くのロヒンギャが国外へ逃れるきっかけとなった武力衝突が起きた8月25日に、「僕たち私たちにできること We are all the same」というプロジェクトでクラウドファンディングをスタート。目標は2ヵ月で10万円だったが、反響は大きく、最終的に1,118人から300万円を超える支援が集まり、4人の通う学校に直接寄付を届けてくれる人もいた。「沢山の支援が集まったこともうれしかったが、多くの人にロヒンギャのことを知ってもらえたのが一番うれしかった。」と4人は語る。
一方、想定を上回る支援が集まったことで「何を送るのか、どのように送るのか、どこに送ればいいのか」という新たな課題が生じた。そこで4人は支援金の用途について、いろいろな人に相談を行うことにした。ジャーナリスト、バングラデシュ大使、難民キャンプで働く看護師などから、さまざまなアドバイスを受けた。その結果、一度に多くの物資を送るのではなく、継続した支援ができれば現地の助けになると、4回に分けて支援を送ることを決めた。また、文房具、サッカーボールだけでなく、毛布、懐中電灯の他、家の中で遊ぶことが多い女の子の為に色鉛筆や折り紙などを送ることにした。
第1回目の支援が2020年12月末に難民キャンプの学校に届き、子どもたちが元気にサッカーをする動画が現地から送られて来た。また、今後は2021年の4月、8月、12月に引き続き支援を予定している。物資に加えて、モンスーンの被害を受けた学校の修繕費も支援したいと考えている。
■表彰理由
館林市には200 人以上のロヒンギャの人々が暮らすという。館林の小学生が、地域に目を向け、そこから世界に関心を広げ、問題解決のために何ができるのかを考え、調べ、行動に移した。その実行力が素晴らしい。支援の内容も、とことん相手のためを考え、実質的で有効なものになっている。この年代でこうした体験をした子どもたちが、どんな大人に成長するのか楽しみだ。こんな子どもたちが日本を変えていくのでは、と希望が膨らむ。
■受賞コメント
活動をする僕たち4人が前に出ていますが、現地について色々なことを教えてくれた、たくさんの人たち、アウンティンさん、そして支援してくれた1,000人以上の人たちみんなで一緒に頂いた賞だと思っています。
難民差別の不当さに、正直、何度も怒りを感じました。でも、この活動を通して「怒りや仕返しは答えじゃない、大切なのは平和なんだ」と学びました。今後もロヒンギャ難民の子どもたちを支援していくつもりです。素晴らしい賞をいただき、本当にありがとうございました。
■連絡先
「僕たち私たちにできること We are all the same」 Mail:bokutachi.dekirukoto@gmail.com
ホームページ:https://bokutachidekirukot.wixsite.com/bokutachi-dekirukoto
山本 宏昭(やまもと ひろあき)さん
■行 為
東京都東村山市でバス会社「銀河鉄道株式会社」を経営する山本宏昭さん(57歳)は、新型コロナウイルス感染が拡大し始めた2020年3月12日から9月11日までの半年間、観光バスを提供して通勤客向けのバスを無料で運行した。コロナの影響で需要が激減し、自社の経営も厳しい中、東村山駅前から新宿西口を経由して東京駅新丸ビル前まで平日は毎朝運行を続けた。
山本さんが無料通勤バスを始めたのは、コロナ禍の通勤電車において車内での軽い咳払いから乗客同士がケンカになったというニュースに心を痛めたためだ。「社会のために通勤を余儀なくされている方が、少しでも感染の不安なく通勤してもらいたい」と立ち上がった。
国土交通省に掛け合い運行できることが決まると、山本さんは早速行動に移す。乗車前の手指消毒や車内の換気を徹底し、座席は2席分に1人が座るなど、「密」を避けるように工夫して乗客を運んだ。乗客からは差し入れがあったり、温かい言葉が掛けられた。驚いたのは、無料通勤バスが反響を呼びメディアで取り上げられるようになると、それをニュースで知った全国の人から激励や寄付が相次いだことだ。山本さんの行動は、ひとつの地域に留まらず、全国に感動を与えた。
2020年9月11日、山本さんは無料通勤バスの最終便を運行。当時、電車通勤での感染事例がほとんど無く、利用者も落ち着き、観光バスの需要も回復し始めた為、一定の役割を果たせたと判断した。半年間で140本以上を運行し、延べ2,400人を東村山から東京都心まで送り届けた。
幼少の頃、実家の前にバス停があり、山本さんは毎日間近で見るバスを大好きになった。21歳で大型二種免許を取得、大学時代はアルバイトでバスの洗車係、車掌、陸送係などを経験。大学卒業後、バスの運転手を目指すも当時は大卒採用を行っておらず断念。しかし、どうしても夢を捨てきれず実家の酒屋を手伝いながら念願の中古バスを購入すると、寝食を忘れバスの手入れに明け暮れた。そして採用されないなら自分でバス会社をはじめようと「銀河鉄道株式会社」を設立。社名は設立年が1999年だったことから、人気アニメ「銀河鉄道999」にあやかった。以来、「大好きなバスで地域貢献したい」との思いで、大手バス会社が手をつけない地域の路線バスを、行政からの補助金を受けずに運営している。
父親(故人)からの「常に地域のために何ができるかを考え、行動する」という教えが、いまも山本さんのなかに生きていて、地域貢献をする原動力となっている。
東日本大震災のときは、若い学生たちに被災地での活動を経験してほしいとの思いで、他社が運行を拒む中、被災地へ約2,000人の学生ボランティアを無料で運んだ。
山本さんは今後、現在路線のない東村山と羽田をシャトルバスで結びたいと語る。インフラが整備されれば、若い人が東村山に集まり、地域が進化すると考えている。山本さんの夢は果てしない。
■表彰理由
「バスが好きで好きでたまらない」。少年の夢を失わない山本さんに爽やかな感動を覚える。赤字を承知で「地域の足」としての役割を果たす路線バスを運行、赤字は観光バス収入で補填しているという。コロナ禍の元、その収入も激減したはず。それでも、東京への無料通勤バスを半年間も走らせた山本さんの侠気(おとこぎ)に拍手を送りたい。バスへの愛情は、地域の人々への深い思いやりと重なる。コロナ禍で沈む世相の中、一条の光明を見る思いがする。
■受賞コメント
私の会社では路線バスを運行しています。路線バスは「人々の暮らしを守る」という重要な役割を担い、公共性が高い反面、利益が出る事業ではありません。その赤字を、国や自治体から補助金(税金)を受けるのではなく、観光バスを動かすことで補ってきました。亡父・藤夫は赤穂浪士で有名な播州赤穂の出身です。彼らが己を捨てて大義のために尽くしたように、コロナ禍における無料通勤バスも「日本人として当然のこと」と思っていました。名誉ある賞をいただき、とてもうれしく思います。
■連絡先
生年月日:1963年7月20日生まれ 57歳 東京都東村山市出身
連絡先:「銀河鉄道株式会社」(東京都東村山市久米川町3-22-1)電 話:042-398-0006
ホームページ: http://gintetsu.co.jp/
【 選考方法について 】
2020年1月から12月までに発行された日刊紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞の東京および大阪本社版、北海道新聞、河北新報、東京新聞、中日新聞、西日本新聞)の記事の中から、シチズン・オブ・ザ・イヤー事務局が候補として21人(グループ)をノミネート。2021年1月5日に開かれた選考委員会で候補者を対象に審議し、決定しました。
〔選考委員会〕
委 員 長:山根基世 (元NHKアナウンス室長)
委 員:香山リカ (精神科医、立教大学現代心理学部映像身体学科教授)
木戸 哲 (毎日新聞社 社会部長)
杉林浩典 (朝日新聞社 社会部長)
高野真純 (日本経済新聞社 編集局次長 兼 社会部長)
恒次 徹 (読売新聞社 社会部長)
中村 将 (産経新聞社 編集局次長 兼 社会部長)
益子直美 (スポーツコメンテーター)
※敬称略・五十音順
【 シチズン・オブ・ザ・イヤーについて 】
日本人および日本に在住する外国人の中から、市民社会に感動を与えた、あるいは市民社会の発展や幸せ・魅力作りに貢献した市民(個人もしくは団体)を1年単位で選び、顕彰する制度。市民主役の時代といわれる中にあって、広い視野から市民を顕彰する賞がほとんど見られなかったことから、社名に“CITIZEN(市民)”を掲げるシチズン時計が1990年に創設したものです。
略称「シチズン賞」。
―― 以 上 ――
▽ 村岡 真治(むらおか しんじ)さん 62歳 東京都小平市
自閉症や知的障害のある子どもたちの学童保育の先駆者として、40年以上にわたって施設を運営
▽ 鈴木 聡真(すずき そうま)さん 12歳 群馬県館林市
鈴木 杏 (すずき あん)さん 10歳 〃
一寸木 大喜(ちょっき たいき)さん 10歳 群馬県太田市
一寸木 悠喜(ちょっき ゆうき)さん 7歳 〃
クラウドファンディングで寄付を募り、難民キャンプで暮らすロヒンギャの子どもたちを支援
▽ 山本 宏昭(やまもと ひろあき)さん 57歳 東京都東村山市
コロナ禍で地元の通勤客の感染不安をなくそうと、半年にわたって無料の通勤バスを都心まで運行
〔順不同〕
村岡 真治(むらおか しんじ)さん
■行 為
東京都小平市に3カ所ある放課後等デイサービス事業所「ゆうやけ子どもクラブ」には、地域の特別支援学級や特別支援学校に通う小学1年から高校3年生の自閉症や知的障害のある子どもたちが週5日、放課後に集まってくる。1978年の発足以来40年以上にわたり、障害児の学童保育施設として、子どもたちの成長を見守り続けている。同クラブは、この分野の草分け的存在となっている。障害のある子どもの放課後活動が珍しかった時代に、発足時からこのクラブの運営に携わり、活動を推進してきたのが、代表を務める村岡真治さん(62歳)である。
きっかけは1978年、大学1年生の時だった。先輩から、小平市での障害児のボランティア活動に誘われた。それは、子ども4人、ボランティア5人でスタートさせた活動だった。活動場所として借りてあった福祉作業所に出向くと、子どもたちが走りまわっている光景に驚く。村岡さんの「障害者は車いすに乗っている人」というイメージが覆った。発達障害、自閉症、知的障害など様々な障害があることもはじめて知った。そして子どもたちと真剣に遊ぶボランティアたちの姿に「ここまでするのか」と感動する。それまで障害者支援に全く関心がなかった村岡さんをこの体験が変えた。
施設もお金もない中で初期メンバーに参加した。子どもの世話だけでなく、地元自治体に補助金制度活用を請願したり、活動の場所を探したりなど運営に関わる事務的業務もこなしていったが、「活動は楽しくて仕方がなかった」という。保護者から感謝の気持ちを伝えられ、人のために役立つことの喜びを知り、障害のある無しに関わらず、人間の持つ尊さ、豊かさを知ったからだった。
村岡さんは大学卒業後、中学校の英語教師となり一度活動からから離れた。しかし、発足当初のボランティア仲間も卒業で活動をやめていく。「このままでは、発足時の思いを伝える人がいなくなってしまう」「自分を変え、育ててくれた活動を無くしたくない」と感じ、親の反対を押し切って1年で教師を退職し、1984年春にクラブに戻った。以後、運営に力を尽くし、当初週1日だった活動は1993年には5日に拡大。発足以来、公園、公民館、地域集会所、福祉会館、学校などから活動場所を提供してもらっていたが、1997年に地元の旧公民館建物に入居し、念願の常設のクラブとなった。同年から、子どもたちの学校と施設の送迎も開始した。利用者も増え、運営をスムーズに行うため「NPO法人あかね会」を設立した2001年には、2つ目の拠点、2013年に3つ目の拠点を市内に開設。学校の長期休暇中(春・夏・冬休み)にも対応する。現在、3カ所合わせスタッフは常勤8名、非常勤30名の体制で運営しており、節目で手作りコンサートを開催するなど、活動の幅も広がっている。
今後について村岡さんは、「活動を大きくするのではなく、足元の運営を安定させ、子どもたちにとって手厚い環境を作り続けたい。次の世代に引き継いでもらうためには、給与面も含め安心して働ける環境が必要」と話す。道のりは平たんではないが、子どもたちの日々の成長が大きな力を与えてくれる。
■表彰理由
大学時代のボランティア活動から40 年あまり。大学卒業後、いったん教師として就職しながら、親の反対を押し切ってクラブに戻り、一貫して障害児たちの成長を見守り続けてきた、その生き方を尊く思う。ごく小さなグループから出発し、たゆまぬ努力で、ここまで充実したクラブに育てた功績は大きい。障害児の尊厳を大切に、時間をかけてその人格を育てていくという考え方は、生産性第一主義がはびこる今、忘れてはならない貴重な哲学だ。
■受賞コメント
今から43年前、大学に入学した私は、偶然にも、「障害児のボランティア活動」(クラブの前身の活動)に誘われました。「障害児」について何も知らないまま参加したところ、さまざまなことを教えられました。子どもは、障害があっても、豊かな内面世界を持っていること。子どものために自分を活かそうとする大人がいること…。今、相模原事件のような問題も起こりうる社会にあって、人間という存在の奥深さや尊さをいっそう発信していきたいと思います。どうもありがとうございました。
■プロフィール
生年月日: 1958年(昭和33年) 11月13日生まれ 62歳 山口県出身
連 絡 先: 「ゆうやけ子どもクラブ」(東京都小平市小川町1-983) 電 話:042-344-2448
ホームページ:https://www.yuyake-kodomo.club/
鈴木 聡真(すずき そうま)さん、鈴木 杏(すずき あん)さん
一寸木大喜(ちょっき たいき)さん、一寸木悠喜(ちょっき ゆうき)さん
■行 為
「ロヒンギャの子どもたちのために僕たちにできることはないか」ぐんま国際アカデミー初等部に通う鈴木聡真さん(12歳)、妹の杏さん(10歳)、一寸木大喜さん(10歳)、弟の悠喜さん(7歳)の4人は、クラウドファンディングで寄付を募り、バングラデシュの難民キャンプに暮らすミャンマーの少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の子どもたちの支援を行っている。
活動のきっかけは2020年4月、聡真さんが母との会話から初めてロヒンギャについて知り、自分の住む群馬県館林市に多くのロヒンギャの人々が暮らしていると知ったことだった。詳しく調べる中で、杏さん、友人の一寸木さん兄弟と共に「在日ビルマロヒンギャ協会」副会長のアウンティンさんを訪ね、難民キャンプに暮らすロヒンギャの子どもたちの過酷な状況について話を聞き、大変驚いた。アウンティンさんの「本当にひどい状況だけど、教育とスポーツがあれば子どもたちは救われる」の言葉に「何か力になりたい!」という思いが強まった。
そんな時、100歳のイギリス人男性が44億円の寄付を集めたという記事を見つけ、お金を集めて文房具やサッカーボールを送ることを思いつく。しかしながら、コロナ禍で街頭に立っての募金は難しい。クラウドファンディングであれば、人とも会わずに実施できる。また群馬だけでなく日本全国の人に想いを届けて寄付を募ることができると考え、実施を決意した。
2017年に多くのロヒンギャが国外へ逃れるきっかけとなった武力衝突が起きた8月25日に、「僕たち私たちにできること We are all the same」というプロジェクトでクラウドファンディングをスタート。目標は2ヵ月で10万円だったが、反響は大きく、最終的に1,118人から300万円を超える支援が集まり、4人の通う学校に直接寄付を届けてくれる人もいた。「沢山の支援が集まったこともうれしかったが、多くの人にロヒンギャのことを知ってもらえたのが一番うれしかった。」と4人は語る。
一方、想定を上回る支援が集まったことで「何を送るのか、どのように送るのか、どこに送ればいいのか」という新たな課題が生じた。そこで4人は支援金の用途について、いろいろな人に相談を行うことにした。ジャーナリスト、バングラデシュ大使、難民キャンプで働く看護師などから、さまざまなアドバイスを受けた。その結果、一度に多くの物資を送るのではなく、継続した支援ができれば現地の助けになると、4回に分けて支援を送ることを決めた。また、文房具、サッカーボールだけでなく、毛布、懐中電灯の他、家の中で遊ぶことが多い女の子の為に色鉛筆や折り紙などを送ることにした。
第1回目の支援が2020年12月末に難民キャンプの学校に届き、子どもたちが元気にサッカーをする動画が現地から送られて来た。また、今後は2021年の4月、8月、12月に引き続き支援を予定している。物資に加えて、モンスーンの被害を受けた学校の修繕費も支援したいと考えている。
■表彰理由
館林市には200 人以上のロヒンギャの人々が暮らすという。館林の小学生が、地域に目を向け、そこから世界に関心を広げ、問題解決のために何ができるのかを考え、調べ、行動に移した。その実行力が素晴らしい。支援の内容も、とことん相手のためを考え、実質的で有効なものになっている。この年代でこうした体験をした子どもたちが、どんな大人に成長するのか楽しみだ。こんな子どもたちが日本を変えていくのでは、と希望が膨らむ。
■受賞コメント
活動をする僕たち4人が前に出ていますが、現地について色々なことを教えてくれた、たくさんの人たち、アウンティンさん、そして支援してくれた1,000人以上の人たちみんなで一緒に頂いた賞だと思っています。
難民差別の不当さに、正直、何度も怒りを感じました。でも、この活動を通して「怒りや仕返しは答えじゃない、大切なのは平和なんだ」と学びました。今後もロヒンギャ難民の子どもたちを支援していくつもりです。素晴らしい賞をいただき、本当にありがとうございました。
■連絡先
「僕たち私たちにできること We are all the same」 Mail:bokutachi.dekirukoto@gmail.com
ホームページ:https://bokutachidekirukot.wixsite.com/bokutachi-dekirukoto
山本 宏昭(やまもと ひろあき)さん
■行 為
東京都東村山市でバス会社「銀河鉄道株式会社」を経営する山本宏昭さん(57歳)は、新型コロナウイルス感染が拡大し始めた2020年3月12日から9月11日までの半年間、観光バスを提供して通勤客向けのバスを無料で運行した。コロナの影響で需要が激減し、自社の経営も厳しい中、東村山駅前から新宿西口を経由して東京駅新丸ビル前まで平日は毎朝運行を続けた。
山本さんが無料通勤バスを始めたのは、コロナ禍の通勤電車において車内での軽い咳払いから乗客同士がケンカになったというニュースに心を痛めたためだ。「社会のために通勤を余儀なくされている方が、少しでも感染の不安なく通勤してもらいたい」と立ち上がった。
国土交通省に掛け合い運行できることが決まると、山本さんは早速行動に移す。乗車前の手指消毒や車内の換気を徹底し、座席は2席分に1人が座るなど、「密」を避けるように工夫して乗客を運んだ。乗客からは差し入れがあったり、温かい言葉が掛けられた。驚いたのは、無料通勤バスが反響を呼びメディアで取り上げられるようになると、それをニュースで知った全国の人から激励や寄付が相次いだことだ。山本さんの行動は、ひとつの地域に留まらず、全国に感動を与えた。
2020年9月11日、山本さんは無料通勤バスの最終便を運行。当時、電車通勤での感染事例がほとんど無く、利用者も落ち着き、観光バスの需要も回復し始めた為、一定の役割を果たせたと判断した。半年間で140本以上を運行し、延べ2,400人を東村山から東京都心まで送り届けた。
幼少の頃、実家の前にバス停があり、山本さんは毎日間近で見るバスを大好きになった。21歳で大型二種免許を取得、大学時代はアルバイトでバスの洗車係、車掌、陸送係などを経験。大学卒業後、バスの運転手を目指すも当時は大卒採用を行っておらず断念。しかし、どうしても夢を捨てきれず実家の酒屋を手伝いながら念願の中古バスを購入すると、寝食を忘れバスの手入れに明け暮れた。そして採用されないなら自分でバス会社をはじめようと「銀河鉄道株式会社」を設立。社名は設立年が1999年だったことから、人気アニメ「銀河鉄道999」にあやかった。以来、「大好きなバスで地域貢献したい」との思いで、大手バス会社が手をつけない地域の路線バスを、行政からの補助金を受けずに運営している。
父親(故人)からの「常に地域のために何ができるかを考え、行動する」という教えが、いまも山本さんのなかに生きていて、地域貢献をする原動力となっている。
東日本大震災のときは、若い学生たちに被災地での活動を経験してほしいとの思いで、他社が運行を拒む中、被災地へ約2,000人の学生ボランティアを無料で運んだ。
山本さんは今後、現在路線のない東村山と羽田をシャトルバスで結びたいと語る。インフラが整備されれば、若い人が東村山に集まり、地域が進化すると考えている。山本さんの夢は果てしない。
■表彰理由
「バスが好きで好きでたまらない」。少年の夢を失わない山本さんに爽やかな感動を覚える。赤字を承知で「地域の足」としての役割を果たす路線バスを運行、赤字は観光バス収入で補填しているという。コロナ禍の元、その収入も激減したはず。それでも、東京への無料通勤バスを半年間も走らせた山本さんの侠気(おとこぎ)に拍手を送りたい。バスへの愛情は、地域の人々への深い思いやりと重なる。コロナ禍で沈む世相の中、一条の光明を見る思いがする。
■受賞コメント
私の会社では路線バスを運行しています。路線バスは「人々の暮らしを守る」という重要な役割を担い、公共性が高い反面、利益が出る事業ではありません。その赤字を、国や自治体から補助金(税金)を受けるのではなく、観光バスを動かすことで補ってきました。亡父・藤夫は赤穂浪士で有名な播州赤穂の出身です。彼らが己を捨てて大義のために尽くしたように、コロナ禍における無料通勤バスも「日本人として当然のこと」と思っていました。名誉ある賞をいただき、とてもうれしく思います。
■連絡先
生年月日:1963年7月20日生まれ 57歳 東京都東村山市出身
連絡先:「銀河鉄道株式会社」(東京都東村山市久米川町3-22-1)電 話:042-398-0006
ホームページ: http://gintetsu.co.jp/
【 選考方法について 】
2020年1月から12月までに発行された日刊紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞の東京および大阪本社版、北海道新聞、河北新報、東京新聞、中日新聞、西日本新聞)の記事の中から、シチズン・オブ・ザ・イヤー事務局が候補として21人(グループ)をノミネート。2021年1月5日に開かれた選考委員会で候補者を対象に審議し、決定しました。
〔選考委員会〕
委 員 長:山根基世 (元NHKアナウンス室長)
委 員:香山リカ (精神科医、立教大学現代心理学部映像身体学科教授)
木戸 哲 (毎日新聞社 社会部長)
杉林浩典 (朝日新聞社 社会部長)
高野真純 (日本経済新聞社 編集局次長 兼 社会部長)
恒次 徹 (読売新聞社 社会部長)
中村 将 (産経新聞社 編集局次長 兼 社会部長)
益子直美 (スポーツコメンテーター)
※敬称略・五十音順
【 シチズン・オブ・ザ・イヤーについて 】
日本人および日本に在住する外国人の中から、市民社会に感動を与えた、あるいは市民社会の発展や幸せ・魅力作りに貢献した市民(個人もしくは団体)を1年単位で選び、顕彰する制度。市民主役の時代といわれる中にあって、広い視野から市民を顕彰する賞がほとんど見られなかったことから、社名に“CITIZEN(市民)”を掲げるシチズン時計が1990年に創設したものです。
略称「シチズン賞」。
―― 以 上 ――
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