阪神・淡路大震災後の今を伝える、神戸新聞社『SINCE1995 〜あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。〜』が、ADC賞を受賞!
2018年度ADC賞(東京アートディレクターズクラブ)が発表となり、本作品は応募7904作品の中から、ADC賞10作品に選出された。
■ADC賞とは
日本を代表するアートディレクターで構成される東京アートディレクターズクラブ会員によって審査される広告賞。ADC賞は、グラフィックデザインの先端の動向を反映する賞として、国内外の注目を集めています。選出された作品が展示されるADC展は、2018年10月29日(月)〜11月22日(木)にギンザ・グラフィック・ギャラリーにて開催。■SINCE1995 概要
神戸新聞社は、創刊120周年記念日の2018年2月11日に合わせ、1995年の阪神・淡路大震災があったからこそ、生まれてきたモノをビジュアルで表現した11のモチーフを別刷特集『SINCE1995〜あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。〜』(全20ページ)にて掲載。
■SINCE1995 コンセプト
1995年の阪神・淡路大震災で、私たちは多くのものを失いました。しかし、あの日から、 23年の時をかけてひとつひとつ、私たちの手で生み出してきたものが数多くあります。
例えば、被災者生活再建支援法です。阪神・淡路大震災発生時は公費を被災者の生活支援に充てることができませんでした。神戸から多くの声を国に上げ続けたことで、被災者生活再建支援金として支給できることになり、その後の震災でも活用されるようになりました。
このように震災の経験や教訓を生かし、 先進的に防災に取り組む「神戸の今」を、多くの方々に知っていただければと思い、この神戸新聞創刊120周年企画を実施しました。
■ビジュアルの構成
画面下の黒い部分は1995年以前の過去、存在が無かった世界にすることで、今と昔を対比で見せる凛とした佇まいのビジュアルになっています。
■各ビジュアルと言葉
ステートメント
23年前の1月17日。 早朝の5時46分52秒。あの日、あの時に起きた悲しみや苦しみは今でも
ひとりひとりの心の中に沸き起こってくる。
だから…。この紙面では
あの日、あの時、私たちが失ったものではなく
あの日、あの時から、私たちが手にしたものに
思いを馳せてみたいと思ったのです。
1995年まではなかったのに、
23年の時をかけてひとつひとつ、
私たちが私たちの手で生み出してきた数々。
誇らしい気持ちを少しと、
まだまだだぞ、という叱咤を込めて。
神戸新聞創刊百二十周年企画 SINCE1995
災害派遣医療チーム
震災発生時、平時の救急医療が提供されていれば500名の命が助かったと報告されている。その教訓から2005年、災害専門の医療チームが生まれた。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
みんなの家
仲間や親しい人々が共同で生活するコミュニティハウスのこと。阪神・淡路大震災で、 家族や住居を失った高齢者が営んだ「ふれあい住宅」が、日本での最初の事例とされる。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
学校の耐震化
全国の公立小中学校の耐震化率は2014年に初めて9割を超えた。子供達を守る鉄骨。今では見慣れた風景だが、この調査が始まった2002年はまだ4割にしか過ぎなかった。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。SINCE1995
被災者生活再建支援法
それまで義援金に頼っていた被災者への生活支援。この大震災を機に都道府県が拠出した基金を活用し、被災者生活再建支援金を支給することに。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
ボランティア元年
138万人のボランティアが訪れた1995年。その後、数多くのボランティアの団体が生まれた。レスキュー犬のNPO団体も、そのひとつ。すべては、ここから始まった。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
トリアージ
大災害の直後は多数の傷病者が発生する。そこで救える命を優先的に救うために緊急な治療を要する患者を瞬時に見つけることが重要。日本では、阪神・淡路大震災以後、定着した。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
耐震性貯水槽
地震時に配水管等の施設に被害が発生したとしても、同時多発火災等の初期消火に対応できる貯水槽のこと。その設置が阪神・淡路大震災後、日本全国に拡大された。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
軽量防災瓦
屋根が重いと、建物の重心位置が高くなり不安定になる。つまり、揺れも大きくなる。そこで、衝撃にも強く軽い、新素材を使った瓦が、大震災後、次々と開発されていった。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
レスキューロボット
人が立ち入れない危険な場でも、要救護者の捜索や瓦礫撤去などの作業を黙々とこなす。そんな頼もしいロボット達が世界中で次々と開発されている。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995
橋梁耐震補強
いまだ記憶に残る、635mにわたって横倒しになった神戸市東灘区の橋脚…。安全神話の崩壊を教訓に耐震補強は日本全国で一気に加速した。100%の補強はもうすぐだ。あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。SINCE1995
■スタッフリスト
Creative Director:川腰和徳 【電通】
Art Director:小野恵央 【電通】
Copy writer:平山浩司【平山広告事務所】
Designer:西野克典 【(株) J2コンプレックス】
Photographer:加藤純平
PR Planner:佐藤佳文【電通】
Retoucher:津金卓也 【RIZING】
Chief Producer:里見勇人【amana】Producer:谷貝玲 【amana】
Location Coordinater : 式見昌久 【BUBU Communication inc.】
Printing Director: 松本麻希【(株) 日庄】
Account Director : 小本亮【電通】
■プロフィール
川腰和徳
アートディレクター / コミュニケーションデザイナー
1979年生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
2007年電通入社。クリエーティブ局所属。
ビジュアルコミュニケーションを軸とした企画力で、映像からデジタルまで統合的な企業ブランディングを専門にこれまで100社以上の企業を担当する。近年では湖池屋リブランディング で「KOIKEYA PRIDE POTATO」などの商品開発も手掛ける。
受賞歴:2018アジア太平洋広告祭Print craft 部門グランプリ、2018 D&AD金賞、 2018 ニューヨークADC金賞(2年連続)、2018 東京ADC、2018 One Show 金賞、 2018 Cannes Lions 銀賞 、2018 広告電通賞新聞部門大賞 、朝日広告賞グランプリ、ACC金賞、交通広告グランプリ優秀賞、2018 JPA経済産業大臣賞最高位、グッドデザイン賞 など他多数
小野恵央
アートディレクター / デザイナー
1982年生まれ。武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科卒業。
2007年電通入社。クリエーティブ局所属。
ブランディングデザイン、ロゴデザイン、グラフィックデザイン、スペースデザイン、プロダクトデザイン、と活動領域は多岐に渡る。
受賞歴:グッドデザイン賞 特別賞・ベスト100、キッズデザイン賞、東京ADC賞、Red Dot Award、Lexus Design Award グランプリ、One Show Design金賞、Clio Awards金賞、Cannes Lions銀賞、D&AD銀賞、New York ADC銀賞、New York TDC銀賞、London International Award銀賞、Spikes Asia金賞、Adfest金賞、Ad Stars銀賞、他多数
平山浩司
クリエイティブ・ディレクター/コピーライター
1963生まれ。一橋大学社会学部、卒。
1986 電通入社。2016 12月電通を退社。
2017 平山広告事務所を設立。
主に、ブランディングを目的とした中長期のキャンペーンを手がける。
旭化成、凸版印刷、旭化成ホームズ、日立製作所、日本中央競馬会JRA、日本サッカー協会、等々を担当。
受賞歴:ADC賞最高賞、朝日広告賞最高賞、毎日広告賞最高賞、
讀賣広告賞最高賞、日経広告賞最高賞(3回)、新聞協会賞最高賞(2回)、
フジサンケイ・グループ広告賞最高賞、交通広告グランプリ最高賞、
TCC賞、ACC賞、消費者のためになった広告賞、他多数
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