歴史的大発見!日本を代表する音楽家である滝廉太郎最期の作品「憾」自筆譜が見つかる!
大分県竹田市 News Release 2019.8月号
九州・大分県竹田市は日本一の「おんせん県おおいた」の名の通り、日本一の炭酸温泉長湯があり、多数の観光客が訪れます。幕末までは岡藩中川氏7万石の城下町として発達しました。カボスなどの果樹や高冷地栽培がおこなわれています。国指定史跡の岡城跡やキリシタン洞窟礼拝堂など歴史的遺物や名所旧跡が多く残り、市を挙げてグルメや特産品、観光地情報の発信に力を入れています。
★滝廉太郎の大親友 鈴木毅一から竹田市へ
滝廉太郎生誕140年~遺作「憾」の真実~
東京音楽学校時代の滝廉太郎の大親友に鈴木毅一(1877-1926)がいます。滝廉太郎や東くめと共に「幼稚園唱歌」を編纂・出版した人物です。
平成31年1月、滝廉太郎の作品の遺品の一部が、鈴木氏遺族より竹田市商工観光課へ寄贈されました。驚くべきことに、その中に「憾(うらみ)」の自筆譜が含まれていました。自筆譜が存在することは知られていましたが、今回初めての原資料の存在が明確に確認されました。しかも、3パターン現存していたのです。これにより、初めて絶筆「憾」の作曲過程を分析することが可能となりました。
自らの最期が迫る中、滝廉太郎は何を想い「憾」を世に残したのか。親友・鈴木毅一に託された滝廉太郎の自筆譜から迫ります。
■滝廉太郎という人物。鈴木毅一との関係。
①滝廉太郎という人物
滝 廉太郎/RENTARO TAKI
明治の作曲家。洋楽輸入以後の日本最初の本格的な作曲家です。 1898年東京高等師範学校付属音楽学校 (現東京芸術大学音楽学部) 卒業。 1901年ドイツに留学したが、発病して翌年帰国。 1900年頃作曲した組歌『四季』 (有名な『花』を含む) は,洋楽のスタイルによる日本最初の芸術作品で、その後も歌曲『荒磯』、ピアノ曲『メヌエット』『憾 (うらみ) 』を作曲。中学唱歌の『荒城の月』 (無伴奏) などを作り、また言文一致唱歌運動に協力して『鳩ぽっぽ』『お正月』など今日も歌われている唱歌を作曲しました。
②鈴木毅一との関係性
鈴木 毅一(1877-1926)。東京音楽学校時代の廉太郎の大親友。学年は一年後輩であるが年は二つ上。1895年に音楽学校予科に入学し、翌年専修部に入りました。瀧の第一の親友であり、瀧のいる所には常に鈴木がいるといわれ、その親密ぶりは学内だけでなく、学外でも評判になるほどでありました。
■滝廉太郎の遺品が残されていない理由。
肺結核で亡くなった滝廉太郎。当時肺結核という病気はウイルス性の病気で知られ、本人が使用したものから感染されるとされていました。よって本人の遺品のほとんどが焼却処分されていて現存されるものがとても少ないです。今回発見された鈴木毅一への手紙などは滝廉太郎が鈴木毅一に宛てた手紙は残っていますが、滝廉太郎に宛てた手紙は残ってはいません。
■「憾(うらみ)」ができるまでの制作過程
★滝廉太郎の遺作「憾」未成含む4枚の自筆譜から100年の時を超えて
“グランツたけた 廉太郎ホール”で再現!
8月24日の『滝廉太郎生誕140年記念事業~遺作「憾」の真実』では、第1部でピアニストの宮谷理香さんが「憾」を弾き比べします。第2部では、自筆譜4点の分析を依頼した松本先生が「憾」の作曲過程に迫ります。絶筆「憾」の魅力に浸りつつ、滝廉太郎を偲ぶ1日にしてください。
■宮谷 理香(ピアノ)
■松本 正(大分大学名誉教授)
【日程】2019年8月24日(土) 【時間】12時30分開場/13時開演(~14時55分終演予定)
【料金】無料 ※要整理券 【会場】大分県竹田市大字会々玉来1-1
【H P】http://www.taketa-city.com/glanz/ 【主催】滝廉太郎生誕140年記念事業実行委員会
【お問合せ】大分県竹田市大字会々2250番地1 【事務局】竹田市商工観光課 TEL:0974-63-4807
滝廉太郎生誕140年~遺作「憾」の真実~
東京音楽学校時代の滝廉太郎の大親友に鈴木毅一(1877-1926)がいます。滝廉太郎や東くめと共に「幼稚園唱歌」を編纂・出版した人物です。
平成31年1月、滝廉太郎の作品の遺品の一部が、鈴木氏遺族より竹田市商工観光課へ寄贈されました。驚くべきことに、その中に「憾(うらみ)」の自筆譜が含まれていました。自筆譜が存在することは知られていましたが、今回初めての原資料の存在が明確に確認されました。しかも、3パターン現存していたのです。これにより、初めて絶筆「憾」の作曲過程を分析することが可能となりました。
自らの最期が迫る中、滝廉太郎は何を想い「憾」を世に残したのか。親友・鈴木毅一に託された滝廉太郎の自筆譜から迫ります。
■滝廉太郎という人物。鈴木毅一との関係。
①滝廉太郎という人物
滝 廉太郎/RENTARO TAKI
明治の作曲家。洋楽輸入以後の日本最初の本格的な作曲家です。 1898年東京高等師範学校付属音楽学校 (現東京芸術大学音楽学部) 卒業。 1901年ドイツに留学したが、発病して翌年帰国。 1900年頃作曲した組歌『四季』 (有名な『花』を含む) は,洋楽のスタイルによる日本最初の芸術作品で、その後も歌曲『荒磯』、ピアノ曲『メヌエット』『憾 (うらみ) 』を作曲。中学唱歌の『荒城の月』 (無伴奏) などを作り、また言文一致唱歌運動に協力して『鳩ぽっぽ』『お正月』など今日も歌われている唱歌を作曲しました。
②鈴木毅一との関係性
鈴木 毅一(1877-1926)。東京音楽学校時代の廉太郎の大親友。学年は一年後輩であるが年は二つ上。1895年に音楽学校予科に入学し、翌年専修部に入りました。瀧の第一の親友であり、瀧のいる所には常に鈴木がいるといわれ、その親密ぶりは学内だけでなく、学外でも評判になるほどでありました。
■滝廉太郎の遺品が残されていない理由。
肺結核で亡くなった滝廉太郎。当時肺結核という病気はウイルス性の病気で知られ、本人が使用したものから感染されるとされていました。よって本人の遺品のほとんどが焼却処分されていて現存されるものがとても少ないです。今回発見された鈴木毅一への手紙などは滝廉太郎が鈴木毅一に宛てた手紙は残っていますが、滝廉太郎に宛てた手紙は残ってはいません。
■「憾(うらみ)」ができるまでの制作過程
★滝廉太郎の遺作「憾」未成含む4枚の自筆譜から100年の時を超えて
“グランツたけた 廉太郎ホール”で再現!
8月24日の『滝廉太郎生誕140年記念事業~遺作「憾」の真実』では、第1部でピアニストの宮谷理香さんが「憾」を弾き比べします。第2部では、自筆譜4点の分析を依頼した松本先生が「憾」の作曲過程に迫ります。絶筆「憾」の魅力に浸りつつ、滝廉太郎を偲ぶ1日にしてください。
■宮谷 理香(ピアノ)
ショパン国際コンクールに第5位入賞。第23回日本ショパン協会賞受賞。リサイタル、レクチャーコンサート、室内楽など幅広い音楽活動を展開。曲種を鮮やかに生かす第一級のピアニズムと冴え渡る音楽性、心に迫る演奏が熱い支持を集めている。
■松本 正(大分大学名誉教授)
大分大学名誉教授。全国各地に散在する資料を調査。滝廉太郎の専門研究に必携の基礎文献を著書。また『滝廉太郎 評伝』は、彼の生涯を様々な角度から捉え直すことにより、新たな滝廉太郎像を描き出しており、滝研究の集大成として評価されている。
【日程】2019年8月24日(土) 【時間】12時30分開場/13時開演(~14時55分終演予定)
【料金】無料 ※要整理券 【会場】大分県竹田市大字会々玉来1-1
【H P】http://www.taketa-city.com/glanz/ 【主催】滝廉太郎生誕140年記念事業実行委員会
【お問合せ】大分県竹田市大字会々2250番地1 【事務局】竹田市商工観光課 TEL:0974-63-4807
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