【慶應義塾】ゲノム編集技術とiPS細胞を組み合わせた脳挫傷に対する新規治療法の開発

慶應義塾

慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室の戸田正博教授らの研究グループは、ヒトiPS細胞(注1)由来の神経幹細胞(Neural stem cell:NSC)(注2)が、損傷脳組織に向かって集まることを証明し、NSCを脳機能改善のために治療応用する安全な再生医療の研究を進めています。
本研究では、ゲノム編集技術(注3)を用いてiPS細胞に自殺遺伝子(注4)を組み込み、「治療用NSC」に誘導後、脳内に移植することにより、脳挫傷モデルマウスの運動機能を改善することができました。さらに、プロドラッグ(注5)を投与することにより、脳内移植後、未分化(注6)な状態で残存したNSC細胞を死滅させることができました。これにより、iPS細胞を用いた再生医療において問題視される移植細胞の腫瘍化リスクを回避できます。
治療用NSCは、脳内の損傷部位に遊走し、低下した脳機能を改善できる可能性が期待されています。脳挫傷に対する安全な再生医療の実現のため、早期の臨床試験開始を目指して、現在、臨床グレードの治療用NSCの作製準備を行っています。


本研究成果は、2023年4月8日(日本時間)に英科学誌STEM CELLS(オンライン版)に掲載されました。


1.研究の背景と概要 
救急医療の発達に伴い、重症脳挫傷に対する患者の救命率は向上しました。一方、重度の高次・運動機能障害が残存した患者に対して、未だ有効な治療法はありません。NSCを用いた再生医療では、NSCが生着して機能再生する可能性に加えて、NSCにより分泌される神経栄養・保護因子を介して、再生を促進する可能性が期待されています。これまで、NSCの供給源として胎児の細胞の研究が重ねられてきましたが、移植細胞数の確保や倫理的な問題がありました。そこで、我々はiPS細胞から誘導したNSCを用いることにより、これらの問題を克服し、さらに自殺遺伝子を導入することにより、iPS細胞を用いた再生医療で懸念される移植細胞の腫瘍化リスクを回避する研究を進めてきました。

2.研究の成果と意義・今後の展開
ヒトiPS細胞の腫瘍化リスク防止の安全装置として自殺遺伝子に着眼しました。今回使用した融合自殺遺伝子yeast cytosine deaminase – uracil phosphoribosyl transferase(yCD-UPRT:注7)は、プロドラックである抗真菌剤5-Fluorocytosine(5-FC)を、殺細胞効果を有する5-Fluorouracil(5-FU)に変換する酵素の遺伝子です。iPS細胞への自殺遺伝子の導入では、遺伝子発現が減弱しやすく、また、ウイルスベクター(注8)を用いて遺伝子導入した場合、染色体にランダムに自殺遺伝子が挿入されるため、その周辺遺伝子の不活性化や、さらなる腫瘍化などのリスクが生じます。そこで我々は、ウイルスベクターではなく、CRISPR/Cas9ゲノム編集技術を用いて、恒常的に遺伝子発現可能な挿入部位を同定し、自殺遺伝子を導入したiPS細胞を用いて、「治療用NSC」の安定供給に成功しました。脳挫傷モデルマウスにおいて、「治療用NSC」を脳内に移植すると、NSCが脳挫傷部位へ集まり、治療用NSCから分化したニューロン(注9)が生着し、運動機能改善効果を示しました。その機能改善効果には、治療用NSCから分泌される神経栄養・保護因子を介した神経保護作用、抗炎症作用の関与も推察されます。さらに、移植後、機能改善がみられた後にプロドラックを投与すると、未分化な状態で残存した治療用NSCを選択的に死滅させ、腫瘍化リスクを回避することに成功しました。以上から、本研究では、脳挫傷に対して、自殺遺伝子を導入した治療用NSCの有効性および安全性を証明することができました(図1)。


【図1:治療戦略】

本法は、幹細胞治療と遺伝子治療を組み合わせた新規の治療法であり、今後の遺伝子細胞療法の基盤技術になると考えています。現在、国産技術のゲノム編集法を用いてiPS細胞にyCD-UPRT遺伝子を組み込み、臨床グレードの治療用NSCの作製準備を行っています。脳挫傷の機能予後改善を目指した再生医療の実現のため、早期に臨床治験を開始ができるよう、一層尽力してまいります。

3.特記事項
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)先端的バイオ創薬等基盤技術開発事業「ゲノム編集iPS細胞による遊走性を利用した悪性神経膠腫に対する遺伝子細胞療法の研究開発」の支援を受けて行われた応用研究です。

4.論文
英文タイトル:Neuroprotective effects of genome-edited human iPS cell-derived neural stem/progenitor cells on traumatic brain injury
タイトル和訳:ゲノム編集iPS細胞由来神経幹細胞を用いた脳挫傷に対する遺伝子幹細胞療法に関する報告
著者:今井亮太郎、田村亮太、楊正博、佐藤瑞仁、福村麻里子、高原健人、加瀬義高、岡野栄之、戸田正博
掲載誌:STEM CELLS(オンライン版) 
DOI:doi.org/10.1093/stmcls/sxad028

【用語解説】
(注1)iPS細胞:本来、分化多能性を喪失している体細胞に特定の遺伝子を導入することにより、人為的に誘導した多能性幹細胞株の総称です。
(注2)神経幹細胞(Neural stem cell:NSC):自己複製能と多分化能を併せもった細胞で、ニューロンやグリア細胞へ分化する細胞を供給する能力を持ちます。
(注3)ゲノム編集技術(CRISPR/Cas9):ゲノムの任意の領域を切断できる遺伝子改変ツールです。切断したい標的塩基配列に相補的な配列を含むguide RNA とDNA 切断酵素Cas9 タンパク質により、ゲノム上の任意の配列を切断します。この技術により、遺伝子のノックアウトやノックインを行うことができます。
(注4)自殺遺伝子:プロドラッグを代謝して殺細胞物質に変換させる酵素をコードする遺伝子です。
(注5)プロドラッグ:投与後に生体内で代謝を受け、薬効を示すよう変化する薬剤です。
(注6)未分化:分化していない状態です。未分化な細胞は今後さまざまな組織の細胞に分化する能力を有しています。一方で、未分化な細胞は、それ自身が増殖することにより腫瘍を形成してしまう可能性もあります。本研究では、分化生着した移植細胞ではなく、未分化な状態で残存した移植細胞のみを選択的に殺傷することに成功しています。
(注7)yCD-UPRT: 無毒なプロドラッグである抗真菌剤5-FCを殺細胞物質5-FUに変換する融合自殺遺伝子です。
(注8)ウイルスベクター:ウイルスの有する感染力を利用して、細胞へ遺伝子を導入するツールです。
(注9)ニューロン:脳を構成する神経細胞です。脳における情報処理や伝達を行います。

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1858年10月