[油彩画修復クラウドファンディング第1弾]山形市山寺の油彩画を修復するクラウドファンディングを実施中!
クラウドファンディング GoodMorning by CAMPFIRE「山形市山寺に伝わる、高橋由一の息子・源吉が描いた明治時代の油彩画を修復したい!」9月20日~10月31日
山形県山形市にある旧山寺ホテルは大正時代に建てられ、現在は山形歴史たてもの研究会によって管理・公開されています。その旧山寺ホテルに伝わってきた明治時代の油彩画《最上川(本合海)》は損傷が著しく、修復が必要とされます。絵の作者は高橋由一の息子・源吉。山寺の近代化の歴史に関わる貴重な文化財を修復して後世に遺すため、山形歴史たてもの研究会と株式会社文化財マネージメントが共同で、クラウドファンディングを実施しています。
■はじめに
山形県内の歴史的建造物・景観の保全と価値の発掘をおこなっている「山形歴史たてもの研究会」の中根伸一と、地域文化財の修復や保護の支援をおこなっている「株式会社文化財マネージメント」の宮本晶朗が共同でクラウドファンディングを実施しています。
https://camp-fire.jp/projects/view/44552
山形県山形市の山寺にある「やまがたレトロ館 旧山寺ホテル」には、明治44年(1911)に描かれた油彩画《最上川(本合海)》が展示されています。
サイズは縦70×横150cmの大作です。
描かれているのは最上川中流域の新庄市「本合海」です。
そんな《最上川(本合海)》ですが、制作当初から100年以上が経ち、あちこちに痛みが目立っています。
破れたり、ヒビが入って絵具が割れて落ちたり、キャンバスが外れかかってたるんでいたり。
■画家、高橋源吉とは
絵の作者である高橋源吉(1858‐1913)は今日では知られざる画家ですが、明治の中ごろには、洋画界の中心で活躍した人物です。
由一から絵の手ほどきを受けたあと、「工部美術学校」(わが国初の美術学校)で、当時日本で最先端の洋画教育を受けました。
学校を出たあとは、家業を手伝うかたわら、わが国初の洋画団体である「明治美術会」の創立メンバーとしても活躍していました。
しかし明治27年(1894)に由一が亡くなり、明治34年(1901)に明治美術会も分裂・解散すると、東京での生活を捨て、絵を描いて売りながら各地を転々とする生活を送ります。
そして最期は、放浪先である宮城県の石巻にて、大正2年(1913)に56歳で亡くなりました。
■《最上川(本合海)》と「山寺油絵展覧会」
源吉は、晩年の放浪生活の間に山形を2度訪れ、絵を残しています。
今回、修復を目指す《最上川(本合海)》も、そんな絵の一つで、明治44年秋に制作されました。
そして観光客の増加をはかって企画され、立石寺で行われた「山寺油絵展覧会」で展示されたものなのです。
■《最上川(本合海)》と旧山寺ホテル
さて、《最上川(本合海)》が展示されている「山形レトロ館 旧山寺ホテル」は、趣きのある大正期の木造建築です。
平成19年まではホテルとして営業していましたが、現在はホテル業としては廃業し、山形歴史たてもの研究会が建物の見学などができるよう運営しています。
■修復について
今回修復を目指す油彩画などを含め、文化財の修復には高い技術と専門性が必要です。
そこで、山形県内で多くの油彩画の修復をおこない、また以前から高橋源吉作品の調査にも関わっている東北芸術工科大学の「文化財保存修復研究センター」(担当 中右恵理子講師)に、修復処置をお願いします。
後世に遺していくためには、一刻も早くこのような処置をほどこすことが必要です。
今回は、修復費、調査費、リターン製作費などで121万円が必要となります。
■最後に
旧山寺ホテルとそこで保管されている《最上川(本合海)》などの文化財は、所有者からの依頼を受け、山形歴史たてもの研究会が管理しています。
それらに関わる経費は来館者からの寄付で賄っていますが、ほとんどは大正時代に建てられかなり老朽化した建物のメンテナンスに使用されています。
昨年にも屋根の工事をおこなうなどして多額の費用が掛かっており、保管している文化財の修復にまでは資金が至らない状況です。
地域に遺る貴重な文化財を守り、後世に遺していくため、クラウドファンディングを実施しています。
山形県内の歴史的建造物・景観の保全と価値の発掘をおこなっている「山形歴史たてもの研究会」の中根伸一と、地域文化財の修復や保護の支援をおこなっている「株式会社文化財マネージメント」の宮本晶朗が共同でクラウドファンディングを実施しています。
https://camp-fire.jp/projects/view/44552
山形県山形市の山寺にある「やまがたレトロ館 旧山寺ホテル」には、明治44年(1911)に描かれた油彩画《最上川(本合海)》が展示されています。
サイズは縦70×横150cmの大作です。
作者は、現在では忘れられてしまった洋画家「高橋源吉」。
描かれているのは最上川中流域の新庄市「本合海」です。
そんな《最上川(本合海)》ですが、制作当初から100年以上が経ち、あちこちに痛みが目立っています。
破れたり、ヒビが入って絵具が割れて落ちたり、キャンバスが外れかかってたるんでいたり。
一方向から光を照らしてみると、傷み具合がよくわかります。
この《最上川(本合海)》の修復費121万円を調達するためのクラウドファンディングを、2017年9月20日~10月31日の期間で実施しています。
■画家、高橋源吉とは
絵の作者である高橋源吉(1858‐1913)は今日では知られざる画家ですが、明治の中ごろには、洋画界の中心で活躍した人物です。
源吉は「日本で最初の本格的洋画家」として知られる高橋由一の息子として、安政5年(1858)に生まれました。
由一から絵の手ほどきを受けたあと、「工部美術学校」(わが国初の美術学校)で、当時日本で最先端の洋画教育を受けました。
学校を出たあとは、家業を手伝うかたわら、わが国初の洋画団体である「明治美術会」の創立メンバーとしても活躍していました。
しかし明治27年(1894)に由一が亡くなり、明治34年(1901)に明治美術会も分裂・解散すると、東京での生活を捨て、絵を描いて売りながら各地を転々とする生活を送ります。
そして最期は、放浪先である宮城県の石巻にて、大正2年(1913)に56歳で亡くなりました。
■《最上川(本合海)》と「山寺油絵展覧会」
源吉は、晩年の放浪生活の間に山形を2度訪れ、絵を残しています。
今回、修復を目指す《最上川(本合海)》も、そんな絵の一つで、明治44年秋に制作されました。
そして観光客の増加をはかって企画され、立石寺で行われた「山寺油絵展覧会」で展示されたものなのです。
■《最上川(本合海)》と旧山寺ホテル
さて、《最上川(本合海)》が展示されている「山形レトロ館 旧山寺ホテル」は、趣きのある大正期の木造建築です。
平成19年まではホテルとして営業していましたが、現在はホテル業としては廃業し、山形歴史たてもの研究会が建物の見学などができるよう運営しています。
旧山寺ホテルの前身は明治時代にあり、《最上川(本合海)》は展覧会の後にここに引き取られたものと思われます。
■修復について
今回修復を目指す油彩画などを含め、文化財の修復には高い技術と専門性が必要です。
そこで、山形県内で多くの油彩画の修復をおこない、また以前から高橋源吉作品の調査にも関わっている東北芸術工科大学の「文化財保存修復研究センター」(担当 中右恵理子講師)に、修復処置をお願いします。
後世に遺していくためには、一刻も早くこのような処置をほどこすことが必要です。
今回は、修復費、調査費、リターン製作費などで121万円が必要となります。
■最後に
旧山寺ホテルとそこで保管されている《最上川(本合海)》などの文化財は、所有者からの依頼を受け、山形歴史たてもの研究会が管理しています。
それらに関わる経費は来館者からの寄付で賄っていますが、ほとんどは大正時代に建てられかなり老朽化した建物のメンテナンスに使用されています。
昨年にも屋根の工事をおこなうなどして多額の費用が掛かっており、保管している文化財の修復にまでは資金が至らない状況です。
地域に遺る貴重な文化財を守り、後世に遺していくため、クラウドファンディングを実施しています。
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