長谷川億名監督 最新SF映画『コスモ・コルプス』の予告篇公開&応援コメント発表!
コメント: Aru-2、斉藤綾子、Tabitha Nikolai、Barry Doupé、細倉真弓

2026年5月2日(土)~15(金)、シアター・イメージフォーラムにて劇場初公開予定の長谷川
億名(はせがわよくな)監督最新SF長編映画『コスモ・コルプス』。
劇場公開を前にして、この度予告篇をWEBにて発表いたします。さらに本作に届いた著名
人の方々からのコメントも公開いたします。
著名人の方々からのコメント全文 *五十音順/敬称略
Aru-2 (ビートメイカー)
Cosmo Corpusを見て、分かることと分からないことどちらも混在しあっている映画でそれがなんとなく心地良いという今までにない不思議な魅力を感じた。 もし全部が分かってしまったらそれは退屈に違いないわけで、分断された少数派の人々に対してどこまで寄り添えるか自分自身に問いたくなったりした。 孤独と生きること、他者と暮らすこと、昔も今も未来も時代や環境が変わっても人間が生きていく事の根っこはあまり変わらないのかもしれない。 大事な人に会える日々を大切に過ごすこと、挨拶できることの幸せを忘れずにいたい。
斉藤綾子 (映画研究者)
「2022年にあって2万年後にないかもしれないもの」「本、特に紙の本、身体、性別、こんなふうにいろいろなものがある地球、呼吸、誰かとの帰り道、言葉、感情、戦争、愛、挨拶」
呪文のようにどこからともなく聞こえてくる声。激しい波の音と壮大な海と砂浜。ただ一人、地球で最後の人間となった死者を埋葬し続ける兵士。そこに突然降り立った地球を覚える未来の少女。人間の記憶はどこへ行くのか。死者の記憶は過去へ封印されたまま、メビウスの輪の中で永遠に回り続けるのか。いや、それとも宇宙の粒子となって、わたしたちの回りに存在し、気付かないまま死者と交流し続けるのか。
海が飲み込んできた無数の生命体は過去、現在、未来という地球的時間を超えて、宇宙的時空間を介在させているのか。それとも汚染された海の毒は生き残った生命体を破壊するのか。
冒頭から映像と音の強度に画面から目が離せない。どこへ行くのか。戸惑いながら必死に画面を見つめる。「宇宙的孤独共同体 コスモ・コルプス」と名づけられた長谷川が描く世界は、映像の前衛と写実が水のイメージとして結晶化し、生と死の境界を無効化する。サイエンス・フィクションとは常に現実の陰画として、「今、ここ」と「いつか、どこかで」の間を行き来する。その圧倒的な映像と音が作り出す世界を作り出しながら、長谷川は生命体の孤独と向き合う。その想像力を支えるのは佐渡島の存在だ。いや、このように言い換えても良いだろう。佐渡に渡った作家がカメラのファインダーを通して見つめる島の歴史や記憶に向き合い、書き換えていく。宇宙的孤独共同体とはその作業のドキュメントではないのか。
現代編で父を失ったカイチはその名前の通りに、海を知り、失われた父の記憶を探すことができるのか。カイチの母ユキは日々の生活と宗教に救いを見いだせるのか。過去作では前景化することがなかった宗教という新しいテーマに作家が込める想いは何なのか(だが、SFと宗教が近しい関係にあることをわたしたちは知っている)。
わたしたちは二万年後に何を、誰に遺すことができるのか。答はない。だが、長谷川が託した祈りにも似た小さな声をわたしたちは聞き続けていく。
Tabitha Nikolai (アーティスト)
『コスモ・コルプス』は、あえて多くを語らない美学に基づいた構造を通して、孤独の根源とその救済について深く思索を巡らせています。魅力的かつ複雑に絡み合う物語のループを紐解いていくと、家族や友人に囲まれていながら孤独を感じている人たちや、言葉も信仰も共有していない、お互いに知らないはずの存在の間にコミュニティを見出す人たちに出会います。また、たとえ愛する人と同じものを求めていたとしても、「渇望」という感情が、時に私たちをいかに痛切でバラバラな方向へと引き裂いてしまうのかを、本作は描き出します。
本作は実に時宜にかなった作品です。それは、私たちが現代特有の凄まじい孤立感や、より広範な政治的疎外感に直面しているからというだけではありません。孤独、渇望、あるいは繋がりといった円環の、どの地点に私たちがいたとしても、この映画は語りかけてくるものがあるからです。日々、私たちが経験することは退屈で、それでいて束の間であり、過ぎ去った後もなお、その不在が亡霊のように付きまとう—そんな、癒やしであり毒でもある感覚について、本作は深く突きつけてくるのです。
佐渡島の海岸で撮影されたその舞台設定は、曖昧な時の揺らぎを映し出しています。かつて過去に固定されていたはずのものは今や水没し、手が届きません。しかし潮が引けば、それらは再び姿を現します。ただし、そこにはフジツボや漂着物がこびりつき、どこか不気味で不可解な様相を呈しているのです。
劇中の奇妙な時間軸を司る正確な仕組みが、最後まで明かされないのも実にふさわしい演出です。それはハイテクな時空旅行のようでもあり、業(カルマ)の輪廻や、キリスト教的な復活の物語をも彷彿とさせます。あるいは、元理科教師によるフォークソングの放送というような、古風で不可解な実験の産物なのかもしれません。こうした多様な可能性の広がりとリズムは、長谷川億名監督の哲学的な懐の深さと、社会の瓦礫の中から魔法を生み出す創造的な独創性を如実に物語っています。
もしあなたが『ラ・ジェテ』、『天使のたまご』、『ストーカー』、『沈んだ世界』、あるいは『ヨコハマ買い出し紀行』といった作品を愛しているなら、この『コスモ・コルプス』の中にも、きっと心に深く刺さる何かを見つけることができるでしょう。
Barry Doupé (アーティスト/映像作家)
最初にあらすじを読んだ時は、SF映画だと思っていました。しかし実際に鑑賞してみると、この作品は「惑星探索」という器(設定)を借りて、主要なテーマである「置き去りにされること」、そして身近な人を失うことで家族が崩壊していくという、極めて個人的な痛みを深く探求しているのだと感じるようになりました。
このように「喪失との対峙」という個人の体験に焦点を置くことで、地球を失うことや人間性の喪失という壮大なテーマとのパラレル(相似性)を、より容易に理解できるようになっています。観客としての私に自律的な思考を促すような、揺るぎない精神をこの作品に感じました。
ゆったりとした独特のテンポが「感情の真空状態」を生み出し、その静寂の中で、父の失踪後にひとりの青年が背負わされた、義務感や家父長制の重みを感じ取ることができます。劇中で、好奇心に導かれるようにして出会い、大切にされる本や文学、そして言葉。それらはまるで私たちの自己の深層へと至る「秘密のコード(暗号)」を内包しているかのようです。そしてそれは、たとえ地球が喪失の痛みで疲弊しきったとしても決して壊すことのできないものなのです。
細倉真弓 (写真家)
1番近くの人を思い出すように、まだ会ったことのない遠い宇宙の生命体を思うことができる。そんな想像力を持ちたいと思えました。
作品情報
長谷川億名監督作品『コスモ・コルプス』(2025)




<作品情報>
■タイトル:コスモ・コルプス
■監督・脚本:長谷川億名
■配給:セントラルゲーム
■公開日:2026年5月2日(土)〜15(金)
■公開劇場:シアター・イメージフォーラム
■公式サイト:https://yoknahasegawa.com/cosmocorpus
■公式 X&Instagram:@cosmo_corpus
2025年|134分|16:9|5.1chサラウンド|カラー|DCP
©2026 Yokna Hasegawa
同時期上映作品『イリュミナシオン』(2014)

KID FRESINOが主演をつとめる2014年作の幻のSF映画が、2026年、東京にて再上映。
2019年、南北に分断され紛争の始まった日本を舞台として、かろうじて平和を維持している南部の若者の生活を描く中編作品。
<作品情報>
■タイトル:イリュミナシオン
■主演:KID FRESINO、石田法嗣
■監督:長谷川億名
■配給:セントラルゲーム
■公開日:2026年5月2日(土)〜15(金)
■公開劇場:シアター・イメージフォーラム
■公式サイト:https://yoknahasegawa.com/illuminations
2014年|59分|16:9|ステレオ|カラー|DCP
©2026 Yokna Hasegawa
予告篇
劇場でも放映している予告篇をWebにて公開。予告篇の動画は下記リンクよりご覧ください。
お問い合わせ
配給・宣伝:セントラルゲーム
Email:cosmocorpus@gmail.com
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