時代に先駆け、江戸の最先端のエコシステムを世界に発信する「EDO-SATOYAMA プロジェクト」が、次なるステージへと飛躍
プロジェクトの第二弾となる「桜の植樹式」の開催と故C.W.ニコル氏が育てた「アファンの森」と「姉妹森」の覚書を締結
江戸ワンダーランド日光江戸村(https://edowonderland.net/)では、去る2023年12月2日に「EDO-SATOYAMA プロジェクト」による桜の植樹式と、一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団と江戸ワンダーランド日光江戸村との姉妹森の覚書締結に伴う調印式を開催しました。
現代の生活に自然を取り戻す「EDO-SATOYAMA プロジェクト」が始動した背景
「EDO-SATOYAMA プロジェクト」とは、自然環境保護活動の第一人者として知られる故C.W.ニコル氏と江戸ワンダーランド日光江戸村による共同事業で、人間の日々の営みに欠かすことのできない自然の価値を現代の生活に取り戻し、その魅力を世界に発信することを目的に始動しました。
弊社代表のユキ・リョウイチは俳優やミュージシャンとして活動をしていた20代の頃に、自身がパーソナリティを務めていたラジオ番組にゲスト出演いただいたことからニコル氏との交流を深めていき、そのご縁からニコル氏が長年保全活動を続けてきた長野県信濃町の「アファンの森」を訪れました。
その際にユキが強く感じたのは、ニコル氏の愛情をたくさん受けて育った森がもつ癒しの力の偉大さでした。近年では「森林浴」という言葉で注目を集めるようになりましたが、人の手により健康に育てられた森には人間の心を浄化する「癒しのパワー」があることを確信したといいます。
以来、自然のもつ圧倒的な力に魅了されたユキは、ニコル氏から「江戸がロンドンやパリ、ニューヨークをしのぐ、世界で最も大きな都市として繁栄できたのは、人々の日々の生活を支える自然、つまり里山が江戸のまわりに存在していたからだ」という事実を学び、ニコル氏を師と仰ぎながら江戸ワンダーランド日光江戸村にも里山をつくることを決意します。
里山とは、人々の暮らしのためにきちんと手入れをした自然のことを指します。かつて人々は森や川、そこに生息する生き物たちと共生してきましたが、利便性や快適さばかりが求められるようになった現代では、人々の生活から自然の存在が遠ざかってしまいました。
ユキは当時の決意について、「江戸文化を継承する江戸ワンダーランド日光江戸村に、江戸に本来あった里山を取り戻していくことこそが、本来の江戸文化の継承につながる。『EDO-SATOYAMA プロジェクト』により、人は自然によって豊かになれることを証明していきたいと強く思った」と振り返ります。
サスティナブルな未来へと紡がれる「桜の植樹」と江戸ワンダーランド日光江戸村の森
2017年には、プロジェクトの第一弾として、近隣の保育園児たちとともに50本の桜の苗木を植樹しました。江戸時代の植樹には、土手に根を張って運河や川を守り、江戸の街においては火事の広がりを防ぐという重要な役割がありましたが、子どもたちにも里山の存在を通じてその意味を学んでほしいとの想いがあったからです。
それから6年が経った今、そのときに植えた苗木は順調に育ち、この冬に江戸ワンダーランド日光江戸村へ移植されることが決まりました。今回の植樹式では、代表のユキと一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団の森田いづみ理事長、そして2017年に苗木を植えた当時、保育園児だった子どもたちの手により、50本の苗木のうちの1本が江戸ワンダーランド日光江戸村の敷地内へ移植されました(残りの苗木も順次移植)。
幸せな社会の象徴として、江戸ワンダーランド日光江戸村の森を育てていきたい
「C.W.ニコルさんが2017年の植樹式で『木を植えるということは未来を信じることだ』とおっしゃいました」と、氏が抱いていた里山再生への強い想いを語った代表のユキ。続けて「日本の荒れ果てた森に木を植え続け、皆さんが幸せな人生を生きていける社会をつくっていきたい。その象徴となるよう、江戸ワンダーランド日光江戸村の森を育てていきたい」と今後の抱負について語りました。
また、参加者の子どもやその親御さんに向けては、「年明けには皆さんが里親となった桜の木も敷地内にすべて植樹します。2017年の植樹式のときにもお伝えしましたが、皆さんは一生ここを自由に出入りしてください。入場料は要りません。皆さんの名前の付いた木がある森に遊びにきて、いつか自分の子どもが産まれたら『これお母さんの木よ』って教えてあげてください。今来ていただいているお母さんたちもおばあちゃんになりますが、お孫さんを連れてきてこの木と一緒に人生を歩んで行ってほしいです」とメッセージを送りました。
江戸が100万人都市として繁栄できたのは、近くに里山と豊かな海があったから
「江戸村が大好きだったニコルの魂は、たぶん今日ここに来ていると思います」と氏を偲んだ森田理事長。「(江戸時代の日本に開国を迫った米軍人の)ペリーが日誌に『日本は美しい庭のような国だ。人々は大人も子どももみんな笑って幸せそうだ』と書いていました。当時、江戸は100万人都市で、世界で100万人が住める大都市はどこにもなかったのです。では、どうしてそんなことが可能だったのか? それは近くに里山と豊かな海があったからです。里山の落ち葉を肥料にして野菜を作ったり、榾木でキノコを栽培したり、山菜を採ったり、果物を採ったりしました。江戸の食糧自給率は100%です。豊かな食料と水と燃料があったから100万人が江戸に住めたのです」と、ニコル氏とその想いを受け継ぐ財団が理想とする江戸時代のサスティナブルな生活について言及しました。
続けて、残念ながら現在では荒れ果てて、見捨てられてしまっている里山の現状を憂いたうえで、それでも里山を懸命に再生し、江戸の本来の魅力を伝えようとする「EDO-SATOYAMA プロジェクト」の取り組みについて、高く評価いただきました。
ウェールズ、富良野に続く、3番目の「姉妹森」となった江戸ワンダーランド日光江戸村の森
一方、「姉妹森」の締結は、ニコル氏が長い時間をかけて丁寧に育ててきた長野県信濃町の「アファンの森」と江戸ワンダーランド日光江戸村が再生する里山を「姉妹森」として結びつけ、その関係性を深めていこうというものです。
「アファンの森」はこれまでにニコル氏の生まれ故郷であるウェールズのアファン・アルゴード森林公園、 脚本家の倉本聰氏が再生してきた北海道の富良野の森とそれぞれ「姉妹森」の締結を行ってきました。江戸ワンダーランド日光江戸村が再生を手がける里山は、それらに続く、3番目の「姉妹森」となります。
江戸ワンダーランド日光江戸村の全社員も集まって行われた調印式では、ユキ代表と森田理事長の間でサインが交わされました。締結された覚書では、文化、教育、公共の利益を視野に入れ、双方の森林の管理、運営、生態などについての情報交換や人材の交流を進め、共に手を組んで地球のために健康な森を育んでいくことが約束されました。
日本の風土を心から愛したニコル氏が、美しい本来の日本の森を取り戻すために再生した「アファンの森」
そもそも「アファンの森」は、多様性に富んだ日本の風土を心から愛していたニコル氏が「経済発展のために生態系のバランスを崩してしまった日本の森をなんとかしたい。美しかった本来の日本の森に戻したい」との志を抱いたところから物語が始まりました。
当時、ニコル氏の故郷のウェールズでは、石炭の採掘とその後の廃坑のために荒れ果ててしまった森が、緑を回復させようとする人たちの運動によって見事によみがえるという奇跡が起きていました(その後、この森はアファン・アルゴード森林公園へと生まれ変わりました)。
その事実に勇気づけられたニコル氏は、1986年に地元・長野県信濃町で40年以上にわたり放置された「幽霊森」を地元の林業家・松木信義氏の力を借りて再生しはじめます。樹木一本一本にしっかりと養分が行き渡り、充分な陽の光が当たるよう、荒れ放題だった森の間伐を行い、小鳥たちが好んで巣を作る茂みだけを残して、地面を覆う笹や薮をはらいました。また、クマや鳥たちが好むヤマブドウやアケビなどの実がなるものだけは残し、木々に絡みついて枯らしてしまうツル植物は丹念に切り払うなど、丁寧に森を育てていきました。
すると、森には、多くの生き物たちがかえってきました。賑やかなさえずりを聴かせてくれる鳥たちは93 種類以上、昆虫は 1000 種類以上。そしてツキノワグマの親子が木登りの練習にきたり、大好物のハチミツを食べにきています。さまざまな植物、菌類、そして昆虫や両生類たち、すべての生き物がバランスを保ちつつ「生命の環」で結ばれる、森本来の力を取り戻したのです。
そして、ニコル氏はこの黒姫の森を、勇気をもらった故郷・ウェールズの森にちなんで「アファンの森」と名付けました。「アファンの森」では里山の再生活動を基本に、地域固有のさまざまな動植物が生息できる環境の保全・管理とその多様性あふれる森で子どもたちの未来の心を育みながら、森と人が共生できる世の中を目指しています。
里山の再生をはじめ、正しい日本の歴史や文化を正しく伝えることが私たちの使命
覚書の締結にあたり、ユキ代表は「カルチャーパークを手がける私たちの会社は、正しい日本の歴史や文化を正しく伝えることが使命であり、それこそが社会貢献につながる」と、自身の仕事に対する想いを伝えました。そのうえで、「本来は日本人がやらなければなかった里山の再生を、ニコルさんは自分のすべてを投げ打って始めてくれた。江戸時代の文化を提供する私たちは、この取り組みや姿勢をきちんと継承していかなければならない」と呼びかけ、「森が地域の文化施設になり、歴史の証言者になり、教育機関になる。その初めてのケースとして、日本へ広げていくことに挑戦したい」と未来に向けた決意を明らかにしました。
江戸時代に育まれた団結心や技術力の高さこそが、開国後の日本が飛躍できた理由
森田理事長も、300年も鎖国していた日本が開国後、わずか40年で世界の大国であるロシアを戦争で破るまでに成長できたのは、江戸時代に育まれた団結心や技術力の高さなどがあったからだと説明し、「江戸時代は本当に豊かで、優れた時代です。その時代の人々の生き方や文化を多くの方々に伝えようとする皆さんの取り組みは本当に素晴らしいことだと思います。ぜひ、誇りを持ってこれからもお仕事をしてください」と全社員にエールを送った。
<代表のユキ・リョウイチからのメッセージ>
里山づくりを観光の活性化へとつなげる、初のロールモデル作りに挑戦したい
いよいよ江戸ワンダーランド日光江戸村の中で植樹を始めることができ、6年前に始めた「EDO-SATOYAMA プロジェクト」の試みがきちんと続いていることに喜びを感じました。当時、植樹に参加してくれた近隣の保育園児たちも元気に育ち、再びこの場に集まってくれたことにも嬉しく思いました。ただ、この場にニコルさんがいなかったことが、非常に残念でなりません……。
ニコルさんの夢は、日本中の森をすべて「アファンの森」にし、日本の原風景を取り戻すことでした。その森の中で日本人が本来もつ心を育めるような社会をつくることに人生のすべてを賭けていました。カナダとイギリスの国籍を捨ててまで日本の国籍を取得し、日本のために命をかけて森再生に挑んできたニコルさんの背中を目の当たりにしてきた私は、いつしかニコルさんと同じように「日本中に森づくりを広めたい」という夢や志を抱くようになりました。
そのためには、一人でも多くの人に「自分も里山の再生に携わってみよう」と思ってもらい、そのムーブメントの輪を大きく広げていくことが大切です。江戸ワンダーランド日光江戸村では、里山をつくり上げるだけでなく、それを観光の活性化へと結びつける初のロールモデル作りに挑戦したいと考えています。なぜなら、それに成功することができれば、日本各地で同じような取り組みに挑戦する人たちが現れると思うからです。
今回の取り組みは、日本に一つでも多くの「アファンの森」を増やす試みにつながると考えています。ニコルさんの活動も、荒れ果てた「幽霊森」を自身の手で切り開くワンアクションから始まりました。そして、私もそんなニコルさんの後ろ姿を見て、「EDO-SATOYAMA プロジェクト」という一つのアクションを起こしました。この活動は始めるか、始めないかだけだと思います。もしも、皆さんの家の近所にほったらかしのスギ林やヒノキ林があったら、ぜひその1本切ってみてください。その一歩から「里山再生」の物語が動き出すはずですから。
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