歴史に残る美の巨匠たちを生んだパリの公募展「ル・サロン」、2022年に再開へ
1667年に生まれ、近代美術史を作った世界最古の公募展ル・サロンは今も年1回開かれており、日本の芸術家も世界へデビューできる可能性を秘めた登竜門。2023年度の受付が始まりました。
-「ル・サロン」について-
ル・サロンはフランス人だけではなく、日本の芸術家も世界へデビューするチャンスが掴める美術の登竜門です。ルノワール、ミレー、モネ、マネ、ドラクロワ、セザンヌなど、誰もが美術の授業で習ってきたような歴史に名を遺す偉大な画家たちの多くは、17世紀にパリで始まったこの展覧会への出品が世に知られるきっかけでした。画家だけではなく作品「考える人」で知られる彫刻家のロダン然り、パリの「オペラ座」などで知られる建築家のガルニエなども同様に、ここがデビューの場だったのです。(フランスでは建築も芸術のジャンルの1つで、建築模型を出展します)日本で最も知られる公募団体の「日展」が明治時代にル・サロンを倣って生まれた事からも、日本の近代美術の発展にはその影響が極めて大きかったと言えるでしょう。(※写真は2020年にグラン・パレで開催された「Art Capital/ル・サロン」の模様)
ル・サロンはフランス人だけではなく、日本の芸術家も世界へデビューするチャンスが掴める美術の登竜門です。ルノワール、ミレー、モネ、マネ、ドラクロワ、セザンヌなど、誰もが美術の授業で習ってきたような歴史に名を遺す偉大な画家たちの多くは、17世紀にパリで始まったこの展覧会への出品が世に知られるきっかけでした。画家だけではなく作品「考える人」で知られる彫刻家のロダン然り、パリの「オペラ座」などで知られる建築家のガルニエなども同様に、ここがデビューの場だったのです。(フランスでは建築も芸術のジャンルの1つで、建築模型を出展します)日本で最も知られる公募団体の「日展」が明治時代にル・サロンを倣って生まれた事からも、日本の近代美術の発展にはその影響が極めて大きかったと言えるでしょう。(※写真は2020年にグラン・パレで開催された「Art Capital/ル・サロン」の模様)
21世紀の今も続く世界で最も古く有名なこの公募展は、多くの美術展と同様に世界的なコロナ禍で2021年度は残念ながら休止に追いやられ、芸術をこよなく愛する多くのパリ市民を心配させました。しかし2024年のパリオリンピック/パラリンピックに向け、エッフェル塔たもとのシャン・ド・マルス公園に仮設された新しい会場「グラン・パレ・エフェメール」(※写真参照)で2022年に再開することが決まりました。(「グラン・パレ・エフェメール」とは、直訳すると仮設のグラン・パレという意味)パリオリンピック/パラリンピック開催後に同会場が解体された後は、この期間でリノベーションが完了する予定のグラン・パレへ戻る予定です。
- 日本人芸術家の応募について
近年は2020年を除いて毎年2月にル・サロンが開催されていますが、2022年度の受付は既に終了し、2023年度の受付が始まっています。株式会社麗人社が本来の事業とは別には、採算度外視でこの業務を請け負う大きな目的は、まず芸術における日本とフランスの架け橋になる事、次に日本人の優れたアーティストの存在を世界に知られるル・サロンでアピールし、世界に通用する芸術家を日本から生む事、そして日本の芸術水準や文化力の高さを世界に認知してもらう事にあります。よって応募料(書類作成費やル・サロン側の審査料)や、出品料(入選した場合の海外送料や上記の作業費、制作費等)など作家負担の費用は最小限に抑えられています。
なおフランス以外からの応募は日本だけではなく韓国や中国などアジア圏からの応募も目立ちますが、基本的にはフランス人アーティストの公募展なので、70~80%程度はフランス国内からの入選とされ外国人枠は限定されています。また近年の外国人入選率は30~35%で、具象傾向作品の入選率が高いようです。
- ル・サロンの長い歴史について
以後1850年代にはパリ1区にある歴史的建造物パレ・ロワイヤルや、1855年のパリ万国博覧会のために作られた産業宮で開催。1870年代の開催時には50万人以上の来場者があり、フランス人の芸術愛が強い事と同様に芸術家の数も多く、この当時で9,000点を超える作品が審査会へ応募された事からも、パリが「芸術の都」と称されるのが理解できます。やがて1880年、政令によってフランス芸術家協会が生まれ、官展であったル・サロンは民営化されてフランス芸術家協会が運営することになります。
1900年に再び開かれたパリ万国博覧会のために巨大なドーム型のグラン・パレが建設され、1901年からはここがル・サロンの会場となりましたが、2020年よりリニューアル工事に入るため、来年2022年からの会場は、2024年のオリンピック開催のために建設され、開催後に取り壊される予定のグラン・パレ・エフェメール(直訳=仮設グラン・パレ)となります。その後はリニューアルされたグラン・パレに戻る予定です。
- 明治時代、日本の文部省はル・サロンから受けた影響で「日展」創設へ
公募美術団体として日本で最もよく知られ、明治40年(1907年)から114年の歴史を持つ日展が現在の名前に変わるまでには、文展、帝展、新文展と名称の変更はありましたが、一貫して政府の管轄でした。最初にこの展覧会が生まれたのは、当時ヨーロッパに赴任していた外交官がル・サロンの存在と重要性を、本国政府に報告した事に起因していると言われています。現在日展は公益社団法人として民間団体となっていますが、これは官展から民間主催となったル・サロンが歩んだ道と似ています。
しかしそれ以前に、日展が生まれたきっかけがル・サロンであったという事実、その前にフランス留学から何人もの画家か帰国したという事実。これらは日本がそれまで中国大陸からもたらされた芸術文化をアレンジして独自文化を育んできたところへ、フランスの美術に対する価値観が流入して、明治時代に日本芸術の歴史が動いた事を象徴する事実とも言えるでしょう。
“明治33年、当時オーストリア公使だった牧野伸顕は海外の文化事情に肌で触れ、ウィーンを訪れた文部官僚に公設展覧会を開催することの大切さを情熱的に語っています。フランスでは、ルイ14世時代の1667年からサロンで開かれていた鑑賞会が公設展に発展しており、それがフランスの芸術面の高さに大きく貢献していました。「我が国も公設の展覧会を開き、文明国として世界に誇れるような芸術文化を育成しようではないか」牧野は日本の美術の水準をもっと高めたいという夢を抱いていました。この夢が実現するのが明治39年です。文部大臣になった牧野はかねてより念願の公設展開催を決め、明治40年に第1回文部省美術展覧会(略して文展)が盛大に開催されたのです。この文展を礎とし、以来、時代の流れに沿って「帝展」「新文展」「日展」と名称を変えつつ、常に日本の美術界をリードし続けてきた日展は110年の長きに渡る歴史を刻んできました。“
※日展ウェブサイト「日展の歴史と今(いま)」より引用
■麗人社を通したル・サロン応募に関する URL:https://www.reijinsha.com/salon/
■本件に関するお問い合せ先
株式会社麗⼈社内 ル・サロン応募担当:吉野 yoshino@reijinsha.com
〒530-0001 ⼤阪市北区梅⽥ 1-1-3 ⼤阪駅前第 3 ビル 28F 株式会社麗⼈社内
TEL:06-6345-9950
受付時間:⼟⽇祝⽇を除く10:00〜18:00 ※夏季休暇:8/9(月)~8/16(月)
■株式会社麗⼈社について
ヨーロッパやアジアを中⼼に、⽇本のアートを紹介する展覧会を世界各国で27年にわたり企画・開催しており、約15,000点の美術作品を取り扱う。季刊美術雑誌「美術屋・百兵衛」や「Art Maison International」、「ル・サロンと日本人芸術家たち」などの美術書籍を発⾏する傍ら、東京・⽇本橋でコマーシャルギャラリーも運営。
代表者:野⼝和男
創業:1993年12⽉
URL:https://www.reijinsha.com/
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