日本女子大学 成瀬記念館が9月21日(木)より企画展「井上秀、大橋広の時代 激動の昭和とふたりの校長」を開催
アジア太平洋戦争をはさむ激動の時代の学園生活を貴重な資料とともに振り返る
成瀬記念館は、本学の創立80周年記念事業の一環として、1984(昭和59)年に竣工。目白キャンパスの正門を入って左手に建つ赤煉瓦のロマネスク調の建物です。本学の創立者である成瀬仁蔵の教学の理念と学園の歴史を明らかにし、広く女子教育の進展に寄与することを願って設立されました。
■展示内容
本学の創立者である成瀬仁蔵は「男子の身であるからただの縁の下の力持ちをやって来たに過ぎません」と述べ、本学の卒業生を“母校の娘”と呼び、継承者として女子教育の要となることを望みました。この期待に応えたのが、井上秀と大橋広です。ふたりはアジア太平洋戦争とその敗戦という激動の時代において、本学の校長・学長の重責を担います。
本展では、第1回生(長女)たちが学生たちとともに作りあげた学園生活の様子を、大人紙芝居やエプロンモンペといった資料と共にご紹介します。
■開催期間
2023年9月21日(木)~12月20日(水)
■開館日・時間
開館日:火曜日~土曜日
開館時間:平日10:00~16:30、土曜日10:00~12:00
※一般の方の入館も可能です。
※開館日および開館時間は、変更になる場合がございます。
■主な展示
・井上秀の著書
・大橋広の「たゆまず日記」
・エプロンモンペ(婦人防空上衣)
・大人紙芝居
・クラス日誌や学徒動員日記
・出陣学徒壮行会で持った校旗
・2023年度博物館実習学生によるパネル
■井上秀について
本校第4代校長(1931年~1946年)。1875年に兵庫県氷上郡に生まれる。本校の開校を待って1901年に家政学部に入学し、同時に寮監を兼ねる。1904年に1回生として卒業。同年校内に発足した同窓会である桜楓会の幹事長に選出される(1920年に社団法人改組に際し理事長)。
米国ニューヨーク市コロンビア師範大学およびシカゴ大学での留学、研究と米、独、仏、露の教育視察を経て、1910年に本学教授となり、成瀬仁蔵の構想のもとに家政学の確立・発展に貢献した。1919年に家政学部長、1931年に本校校長に就任。主な著書に『家庭管理法』(1928年)、『生活費の標準』(1929年)など。
■大橋広について
本校第5代校長(1947年~1956年)。1882年に岡山県に生まれる。1901年に本校英文学部予科に入学。1906年に英文学部を卒業し、引き続き教育学部第二部博物科に入学。1909年に博物科を卒業。
米国シカゴ大学大学院での研究と欧州諸国の視察を経て本校教授となり高等学部長に就任。家庭植物学および家庭黴菌学を担当。1931年に家政学部長、1947年に本校校長に就任。1948年4月、新制大学に昇格するとともに本学学長となる。
1948年に通信教育部を設立。1950年には、日本女子大学学園建設会を設立させ、大学本館(泉山館)などを建設し、学内整備を進めた。1951年に学校法人となり理事長に就任。戦前からの念願であった大学への昇格を戦後の財政困難な状況のなかで果たし、創立者の精神を生かすことに努めた。
【参照リンク】
成瀬記念館 ホームページ
https://www.jwu.ac.jp/unv/about/institutes/naruse_memorial/index.html
日本女子大学は、日本初の組織的な女子高等教育機関として創立し、2021年に120周年を迎えました。私立女子大学唯一の理学部を有し、文理融合の教育環境をもつ女子総合大学です。幼稚園から大学院までの一貫教育、さらに卒業生以外にも門戸を開くリカレント教育など、誰もが生涯を通じて学び、成長し続ける社会を創るための機会を提供しています。多様で非連続に変化する社会において、新しい明日を共に創る人材を育てています。詳しくは、https://www.jwu.ac.jpをご覧ください。 |
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