9月3日(土)直方市に『高取 熊谷窯』がNEW OPEN
〜 上野で培った技術を高取焼へ〜
令和4年9月3日、西部伝統工芸展に入選された 熊谷宗興(くまがえむねおき)さんが、直方市に新しく高取焼の窯元をオープンします。
■「高取 熊谷窯」について
【住所】 〒822-0003 福岡県直方市上頓野2204-13(光謙窯跡)
【販売品】 食器、花器・陶板、茶道具
【特徴】 馬をモチーフとした作品を多く販売。夫婦で窯元を経営。
【営業時間】 土曜日10時~17時/日曜日10時~15時
【連絡先】 090-8223-1640
- 「高取 熊谷窯」オープンまでの経緯
昭和46年 | 「上野焼 熊谷本窯」16代 保興(やすおき)氏の長男として生まれる。 |
平成8年 | 多摩美術大学彫刻科卒業、保興氏に師事、作陶を始める。 |
平成12年 | この年より多摩美術大学校友会展(福岡市美術館)に出品。 |
平成16年 | 小倉井筒屋にて「第1回父子作陶展」を開催。 |
平成20年 | 東京コレクション「JUNYA TASHIRO」のPVに作品提供。 |
平成22年 | 小倉井筒屋にて「第2回父子作陶展」を開催。 |
平成24年 | 小倉井筒屋にて「初作陶展」を開催。西部伝統工芸展入選。 |
令和2年 | 直方市ITまちなか創業支援補助金を活用し、母の故郷である直方市で創業を決意。 |
令和4年 | 「高取 熊谷窯」として窯元OPEN。 |
妻:熊谷知己(ともみ)さんの経歴
平成6年 | 東京造形大学彫刻科卒業。東京の広告代理店で、デザイナーとして勤務。 |
平成23年 | 帰福 |
平成27年 | 作陶を始める。 |
窯元工房の様子
- 直方市指定文化財『高取焼』について
1592年~1598年、天下を統一した豊臣秀吉がニ度にわたって朝鮮半島に出兵。
当時日本では利休による侘茶の大成により、茶器への需要が高かった。そこで陶磁器生産の先進国・朝鮮から直接生産の技術を獲得しようと、多くの陶磁技術者を連れ帰り、各地に窯を開かせた。
のちに福岡藩主となる黒田長政も、このとき「八山」なる陶工を連れて帰り、1606年頃、福岡県直方市大字永満寺宅間に窯を築かせた。
この時八山は鷹取山に因んだ「髙取」の姓と和名「八蔵(はちぞう)」の名前を賜り、「髙取八蔵重貞」と名乗る。これが髙取焼の名称の由来であり、以降、黒田藩御用窯として多くの銘品を生み出した。
その後、高取焼の窯は鷹取山の南麓の内ケ磯(直方市頓野内ケ磯釜の尾)に移転。その理由として、宅間では地形の制約で大きな窯が築けないこと、当時黒田藩と不仲だった豊前国小倉領との境に近かったことがあげられる。
内ケ磯窯では全長46.5メートルにおよぶ巨大な登り窯が作られた。半地下式連房階段状登り窯という形式で、この種の窯としては国内最大級とされる。
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