【埼玉県北本市】徳川将軍が来た!「御茶屋御殿跡(おちゃやごてんあと)」の発掘調査を実施 ~徳川三代にわたって使用された休憩施設の一部を確認~
令和3年3月、御茶屋御殿跡の範囲を確認するために、想定される範囲の北側部分について発掘調査を実施しました。
その結果、幅 2.6 m から 3.2 m の堀跡を検出し、ここに御茶屋御殿が実在した可能性が極めて高くなりました。
①御茶屋御殿とは?
江戸時代、徳川将軍家が鷹狩に訪れた際に休息をとった施設で、北本市では子供公園(石戸宿6丁目の西側一帯にあったことが17世紀に描かれた「正保国絵図」などに記されています。
②鷹狩とは?
鷹を使ってウサギや雉など捕えさせる狩猟のことです。
特に家康は鷹狩を好んだことで有名で、鷹場のあった川越(川越市)や忍(行田市)に頻繁に訪れており、鴻巣御殿に宿泊した際には御茶屋御殿で休息を取ったと考えられます。
また、各地を訪れることで民情視察も兼ねていました。
③検出された遺構と遺物
今回の発掘調査によって、御茶屋御殿を区画していたと想定される堀跡の一部を確認しました。
また、志野焼(17世紀初頭頃)や天目茶碗(16世紀後半から17世紀初頭頃)が出土しており、ここで食事が供されたり「茶の湯」が行われたりした可能性が高くなりました。
担当者より
ながらく文献上でしか確認されていなかった「御茶屋御殿」について、今回初めて発掘調査のメスが入り、堀跡や出土した遺物からそこに実在した可能性が極めて高くなりました。
その成果を市民のみなさまをはじめとした多くの人に知っていただきたいと思います。
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