佐賀県嬉野市で再発見!嬉野は歴史上忍者の里だった!
先日(2/25)に嬉野市体育館で開催した「第3回うれしの温泉 忍者フェスタ」(主催:NPO法人九州忍者保存協会、共催:嬉野市)のシンポジウム「嬉野忍者調査発表」にて、総勢200名の観衆が見守る中、嬉野市の歴史上に3名の忍者が居たことが、忍者学の有識者によって認定されました。
当事業は、嬉野市に忍者村「肥前夢街道」があることから、温泉やお茶などに加え、海外向けに「NINJA」を新たな観光資源として活用するために、歴史的裏付けを有識者から認定して頂き、尚且つ嬉野市民に地元の歴史として認識して頂くための事業です。
シンポジウムでは主催者から調査委託を受けた「佐賀戦国研究会」が、嬉野市の忍者と関わりのある7項目をあげ、忍者学の第一人者である三重大学の山田雄司教授と、福岡市の歴史研究家・中西豪氏(著書:鍋島直茂ー「葉隠」の名将など)から判定が行われ、3項目が嬉野市の忍者として正式に認定されました。
■嬉野市の忍者と疑いのあった7項目
1.上滝志摩守盛貞 2.本光坊良眞 3.本光坊良順 4.弁慶夢想 5.八天無雙流 6.古賀源太夫 7.田原安右衛門
■認定された嬉野市の忍者3名
4.弁慶夢想(武術家/江戸初期)
熊本人吉から流れてきた山伏、鹿島の岩屋山や塩田の唐泉山で活動し、嬉野市吉田の武次与三兵衛にタイ捨流の「忍術」を相伝した。
6.古賀源太夫(藩士/幕末)
長崎に外国船が来航した際、情報捜索を命じられ蓮池藩から派遣されている。忍者は下級武士がその役を担うことが多く、その地位にいたと見られる。
7.田原安右衛門(細作/江戸初期)
1667年、島原改易騒動の際、蓮池藩からの命で細作(=忍者)として現地探索に派遣される。なぜ安右衛門が細作を命じられたのかは、祖先が忍者のルーツといわれる山伏だったことや、本人に才学があったことがあげられる。
山田教授から認定されなかった項目に関して「まだ情報が不足し忍者とは断定できない。今後も調査を継続し認定できる情報を探ってほしい」と諜報活動の密命を受けた。
【問い合わせ】
特定非営利活動法人 九州忍者保存協会(本部事務局:肥前夢街道)
佐賀県嬉野市嬉野町大字下野甲716-1
TEL 0954-43-1990
【発信】
一般社団法人 佐賀県観光連盟
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