1945年、北朝鮮。ソ連兵から逃げる日本人家族の過酷な引き揚げを、少年の視点で描いた「慟哭の書」の普及版化!! 『普及版 忘却のための記録―1945-46 恐怖の朝鮮半島』刊行
少年は見た! 想像を絶するソ連兵の蛮行 爆撃、襲撃、復讐、暴行、略奪、強姦、極寒、飢餓、病気、そして死──。
鄭 大均(東京都立大学名誉教授)解説より
本書に書かれてあることは東日本大震災の体験というよりは、今日のウクライナ難民の体験に近いもので、それは日本帝国崩壊の過程でいまや異郷となった戦場の地を逃げ惑う体験であり、収容所や避難所での生活があるといっても、それは家族や同居者が高熱にうなされ、土色の皮膚に変わり、ある日、ある一家が消えるように死んでいく体験であった。
本書に書かれてあることは東日本大震災の体験というよりは、今日のウクライナ難民の体験に近いもので、それは日本帝国崩壊の過程でいまや異郷となった戦場の地を逃げ惑う体験であり、収容所や避難所での生活があるといっても、それは家族や同居者が高熱にうなされ、土色の皮膚に変わり、ある日、ある一家が消えるように死んでいく体験であった。
引揚者の文学としては、それぞれ映画になった藤原てい著「流れる星は生きている」や小林千登勢著「お星さまのレール」などが古くから有名だが、今から9年前、2013(平成25)年に日系アメリカ人のヨーコ・カワシマ・ワトキンズ氏が英語で書いた「竹林はるか遠く」(都竹恵子訳)が満を持して日本で翻訳刊行され話題になった。
その影響を受けて、その後何冊かの引揚者の手記が書籍化したが、そのうちの一冊がこのたび8年間の時を経て、普及版として刊行されることになった。
著名な引揚者文学の多くに共通するのは、引揚の舞台が満洲や北朝鮮など「旧ソ連によって占領された地域」であること。それ以外の地域、中国大陸や台湾、朝鮮半島南部からの引揚は前述の地域よりも比較的スムーズだったこともあり、文学作品として残しにくかったのかもしれない。これは裏を返せば、旧ソ連によって占領された地域からの引揚が非常に困難を極め、また命がけの凄惨な体験だったという裏付けともいえよう。
この体験を現在進行形でしているのが、ウクライナの人たちである。ロシア侵攻によって犠牲になった人々、生まれ故郷から避難を余儀なくされた人々、一命をとりとめても生涯ぬぐえないほど心に大きな傷を負った人々……本書をはじめとする引揚者の文学は、日本にとってウクライナの人たちの現状が決して他人事ではないことを教えてくれるだろう。
著者の清水徹氏は、昭和5年生まれ。終戦当時15歳の中学三年生であった。父が朝鮮総督府鉄道に勤務していたことから、一家で北朝鮮の清津市に住んでいた。昭和20年の春に父が吉州郡に転勤になったため、著者は在校する羅南中学校の寄宿舎に入り、そこでソ連軍の奇襲を受けることになる。
吉州の自宅で家族と合流した著者は、列車にて脱出を目指すが、ソ連兵の襲撃に遭い、複数の家族ともども収容所にて監禁されることになる。そこでの体験はまさに筆舌に尽くしがたく、金品は奪われ、女性は攫(さら)われたあげくに暴行され、食べるものもろくにになく、劣悪な衛生環境で病気が蔓延し、一人、また一人と仲間が死んでいく。
「爆撃」「襲撃」「復讐」「暴行」「略奪」「強姦」「極寒」「飢餓」「病気」そして「死」──これらすべてが少年の視点で生々しく描かれていく。
現在の日本人が忘れてしまった、あるいは想像もできない貴重な記録である。
※本書は、2014(平成26年)にハート出版より刊行した『忘却のための記録』を再編集し、普及版にしたものです。
【書籍情報】
書名:普及版 忘却のための記録―1945-46 恐怖の朝鮮半島
著者:清水徹
仕様:新書判並製・320ページ
ISBN:978-4802401388
発売:2022.06.20
本体:1200円(税別)
発行:ハート出版
商品URL:https://www.810.co.jp/hon/ISBN978-4-8024-0138-8.html
【著者】清水 徹(しみず とおる)
1930(昭和5)年、京城府錦町に生まれる。
京城竜山小学校~清津国民学校を経て羅南中学3年時に終戦。
城津、咸興で抑留生活、昭和21年5月、38度線を脱出。静岡県へ引き揚げる。
帰国後、三ヶ日実業学校を卒業。
豊橋市の新聞人・杉田有窓子の知遇を得て「東三新聞」(現・「東日新聞」)に入社。
24歳のときに結婚、一男一女をもうける。
新聞記者の後、衆議院議員秘書として東京に移る。
後に出版事業を経て、豊橋市に戻り、東三河開発懇話会常務理事・事務局長、東三河地域研究センター専務理事などを務める。
本書以外の著書に『われらが豊川』(建設省中部地方建設局豊橋工事事務所、1986年)、『県境を越えた開発──「三遠南信トライアングル構想」から』(共著、日本放送出版協会、1989年)、『激動・昭和の豊橋』(編著、豊橋座談倶楽部、1991年)などがある。
2019年6月22日逝去。享年88。
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