眼球運動と瞳孔径による成人ADHDの客観的・定量的評価

―眼球運動の時間的複雑性の有用性と瞳孔径を統合した分類モデルの検証―

千葉工業大学

概要

 上野歩(千葉工業大学 情報科学専攻 修士課程1年)、信川創(千葉工業大学 情報工学科 教授)、白間綾(名古屋市立大学 データサイエンス研究科 准教授)らの研究チームは、眼球運動の時間的複雑性と瞳孔径を統合した客観的・定量的評価が、成人ADHDの識別に有効であることを明らかにしました。これまでの研究では、眼球運動の速度・振幅・固視の持続時間といった指標が中心で、時系列そのものの不規則性・予測不能性(時間的複雑性)や、さらに瞳孔径との相補性は十分に検証されていませんでした。そこで研究チームは、成人の定型発達20名とADHD16名(うち薬物未治療11名)を対象に、固視課題中の眼球運動と瞳孔径をアイトラッカーで同時計測し、眼球運動の時間的複雑性と瞳孔径を用いて群間比較および機械学習による分類性能を評価しました。その結果、ADHD群および薬物未治療ADHD群では眼球運動の時間的複雑性が有意に低く、瞳孔径が有意に大きいことに加え、2指標を統合したモデルが単独指標を上回る精度を示しました。これらの成果は、非侵襲・短時間・低コストで取得可能な生理指標の組み合わせが、問診や行動観察を中心とする現行の診断を客観的・定量的に補助する手段として発展することが期待されます。本研究成果は、2025年10月9日付で米科学雑誌「PLOS Mental Health」にオンライン掲載されました。

研究の背景

 注意欠如・多動性障害(ADHD)は不注意・多動性・衝動性を特徴とし、成人期まで学業・就労・社会生活に影響が及ぶことがあります。診断は問診や行動観察に依存しており、客観的・定量的な補助指標の確立が期待されています。アイトラッキングは非侵襲・短時間・低コストで眼球運動と瞳孔径を同時計測でき、臨床導入しやすい計測法です。

 中でも、眼球運動の時間的複雑性(時系列パターンの不規則性・予測不能性)(用語説明*1)は、速度・振幅・固視の持続時間といった従来指標では捉えにくい、眼球運動制御ネットワークのダイナミクスを反映し得ます。しかし、ADHDにおけるその意義や時間スケール依存性は十分に検証されていませんでした。

 また、瞳孔径は覚醒や注意機能を担う青斑核-ノルアドレナリン(LC-NE)系に関連し、眼球運動とは異なる神経基盤を反映します。両者を統合すれば相補的な情報が得られ、客観的評価の精度向上が期待されます。そこで本研究では、成人の固視課題データを用いて、(1)眼球運動の時間的複雑性の群間比較と、(2)眼球運動の時間的複雑性と瞳孔径の統合による分類精度の検証を行いました。

研究手法と成果

 本研究では、成人の定型発達20名とADHD16名(うち薬物未治療11名)を対象に、2分間の固視課題中の眼球運動(水平・垂直)と瞳孔径を同時計測しました(図1左)。眼球運動はマルチスケール・エントロピー解析(用語説明*2)で時間的複雑性を評価し、瞳孔径は時間平均で定量化しました(図1右)。さらに、得られた特徴量を用いて、L1(Lasso)ロジスティック回帰で定型発達とADHDの分類性能を検証しました。

図1. 手法の概要

主要な結果として、ADHD群・薬物未治療ADHD群では眼球運動の時間的複雑性が低下していることが示されました(図2)。さらに、ADHD群・薬物未治療ADHD群では瞳孔径も拡大していました。

図2. 水平方向と垂直方向における眼球運動の時間的複雑性の群間比較/眼球運動では、ADHD群は定型発達群に比べ時間的複雑性が低い値を示しました。水平方向は薬物未治療ADHDで、垂直方向はADHD全体および薬物未治療ADHDで有意差が確認されました(q<0.05)。中央の点は平均値、エラーバーは標準偏差を示します。q値は、多重比較に伴う偽陽性率(FDR)を制御した検定の有意度を表します。

次に、解析結果に基づいて分類精度を検証しました。統合モデル(眼球運動の複雑性+瞳孔径)は各単独指標より高い分類性能を示しました(図3左:ROC)。加えて、決定境界(P=0.5)が軸に平行ではなく「傾き」をもつことから、両指標が相補的に寄与していることが示されました(図3右:決定境界)。

図3. 定型発達とADHDの分類性能(ROC曲線)と決定境界/定型発達とADHDの分類では、左図のROC曲線が瞳孔径と眼球運動の時間的複雑性を統合したモデルの方が、各単独指標より高い識別性能であることを示しています(AUCは1に近いほど高性能)。右図の決定境界(P=0.5において分類モデルが定型発達とADHDを分ける判別線)の傾きは、両指標が相補的に分類へ寄与していることを示唆します。※薬物未治療ADHDなどの詳細は原著論文を参照してください。

本研究の所見は、ADHDでは固視中の眼球運動がより規則的・予測可能な振る舞い(時間的複雑性の低下)を示し、この特徴がADHD全体では垂直成分、薬物未治療群では水平・垂直成分で顕在化することを示しました。さらに、ADHDでは平均瞳孔径が拡大しており、LC-NE 系の機能変化を反映している可能性があります。加えて、主に皮質・皮質下・小脳にまたがる広域ネットワークに由来する指標(眼球運動)と、LC-NE 系に由来する指標(瞳孔径)を統合することで、単独指標を上回る分類性能が得られました。すなわち、異なる神経基盤に基づく相補的情報の統合は、成人ADHDの客観的評価を高精度化する有望なアプローチであることが示されました。

今後の展望

 今後は、大規模データに基づく外部妥当化が鍵となり、年齢・薬物治療の有無・ADHDサブタイプ(不注意/多動・衝動/混合)を含めた一般化可能性の検証が求められます。あわせて、照度・測定時間・機器設定・ノイズ対策などの計測条件と解析手順の標準化により、施設間で同等品質を担保できる運用体制の整備が重要です。さらに、眼球運動・瞳孔径とEEG/fMRIを組み合わせたマルチモーダル解析によって、神経基盤との対応付けが進み、解釈可能性と分類精度の向上、臨床実装の促進が期待されます。

用語説明

*1 時間的複雑性:生体信号は多数の要素が相互作用する複雑系で、眼球運動も皮質・皮質下・小脳などが連携する広域ネットワーク由来の非線形ダイナミクス(部分の単純な総和を超える振る舞い)を示します。こうした時系列の不規則性・予測不能性を評価するため、非線形時系列解析の一種であるFuzzy Entropyを用いて定量化しました(値が大きいほど不規則)。

*2 マルチスケールエントロピー解析:時系列を時間スケールごとに粗視化(区間平均化)し、各スケールでエントロピー指標(本研究ではFuzzy Entropy)を算出することで、時間的複雑性のスケール依存性を評価する手法です。これにより、各時間スケールに特有の複雑性を特徴づけることができます。

発表者・研究者等情報

· 上野歩(千葉工業大学大学院 情報科学研究科 情報科学専攻 修士課程 1年)

· 信川創(千葉工業大学 情報変革科学部 情報工学科 教授/同大学 数理工学研究センター 非常勤主席研究員/国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所児童・予防精神医学研究部 客員研究員)

· 白間綾(名古屋市立大学 データサイエンス研究科 准教授/国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所児童・予防精神医学研究部 客員研究員)

原著論文情報

雑誌名:PLOS Mental Health (公開日: 2025年10月9日)

論文題目:Multimodal biomarker based on temporal complexity of eye movements and pupil diameter in attention-deficit/hyperactivity disorder

著者:Ayumu Ueno, Sou Nobukawa, Aya Shirama

DOI:https://doi.org/10.1371/journal.pmen.0000456

URL:https://journals.plos.org/mentalhealth/article?id=10.1371/journal.pmen.0000456

(オープンアクセスのためこれらのリンクから閲覧できます)

利益相反

本研究で提案した手法に関して、日本国特許出願(出願番号:2024-225037)を行っています(出願中)。その他の利益相反はありません。

研究費情報

本研究は、JSPS 科研費(基盤研究(C):課題番号 JP23K03024[白間]、基盤研究(B):課題番号 JP25K03198[信川]、学術変革領域(A):課題番号 JP20H05921・JP25H02626[信川])による助成を受けて実施されました。さらに、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託プロジェクト JPNP14004により一部支援を受けました。

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上場
未上場
資本金
-
設立
1942年05月