スタッフが育つすごいしかけ

文響社刊、篠原信著『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』https://www.amazon.co.jp/dp/4905073618/ が3万部を突破したことを記念して、本書の一部を紹介する。




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書名:自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書
著者:篠原信 (しのはらまこと)
定価:本体1,380円+税
ISBN:978-4-905073-61-1
判型:四六判並製 288ページ
発行:文響社

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教え上手がやっている「教えない教育法」

ある時、公立中学で最下位付近をウロウロしている子どもの面倒を見てほしい、と頼まれた。物分かりは私よりもよいけど、ちょっとおっちょこちょい。漢字の横棒を一本サービスしたり値引きしたり。 3 なのか 8 なのか、本人にも見分けのつきにくい斬新なデザインで数学を解いたり。そんなこんなで×ばかりもらって、自分が正しい解法を理解できているのかどうかも分からなくなって、すっかり勉強に自信がなくなってしまったらしい。

少なくともこの子は、私がこれまでやってきた「究極に分かりやすいはずの説明(ただし膨大)」をしてしまうと、「分かった分かった! もう大丈夫、できるよ!」と安直に考えて、頭に何も残らないタイプだということがすぐに分かった。私のこれまでの教え方と相性が悪すぎる。

そこで、私が父からちっとも教えてもらえなかった(けど、結果的に自分の頭で考えてどんどん伸びた)ように、この子にもちっとも「教えない」ことにしてみようと心に決めた。「僕は新聞をそばで読んでいるから、分からないことがあったら聞きなさい」と言って新聞を読み始めた。「先生、これ分からないんだけど」と質問があると「そうか、教科書を読みなさい」と言って新聞に戻る。

「いや、分からないから聞いているんだけど」「大丈夫、教科書を読めばきっと分かるから」「教科書読んで分かるわけない!」「大丈夫。きっと分かる。読んでごらん」。何度押し問答しても、この人は本当に教えてくれない、と分かったようで、渋々教科書を開いた。

「このあたりかなあ……」。教科書をペラペラめくりながら、私の目を覗き込む。私の眼の色からアタリをつけようとしているのだろう。「そうか、君がそう思うならそこを読んでみたら」。やった、アタリがついた、と思って読んでみると、まるで見当違いの場所。半分怒りながら「ねえ、ヒントくらいちょうだい。お願い!」。「その問題と似たところを教科書で探してごらん。大丈夫、必ず見つかるから」。

全然教えてくれないのに業を煮やし、ついに爆発。「ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃないか!」ポロポロ涙までこぼれ出す。「大丈夫、君にもきっと分かる。教科書を読んでごらん」。しばらく泣きじゃくってしまうが、私はそれをじっと見守るだけ。本当にこの人は教えてくれないんだ。ついに諦めて、教科書を最初からめくり始める。

すると、問題と似たようなことが書いてあるページが見つかる。「先生、ここ似てる」「そうか、じゃあそこをじっくり読んでごらん」。ゆっくりと、ゆっくりと読み進める。上から下へ、上から下へ、何度も同じところを読み返す。どうやら問題とそっくり同じ内容。例題で解き方まで書いてある。

「この通りにやってみようかな」「君がそう思うなら、やってごらん」「先生、答え合わせしてみて」「どれどれ……おお、大正解! よく頑張ったな」。パッと生徒の表情が明るくなった。「いや、ここが似ていると思ったんだよね!」うれしくて仕方ないらしく、饒舌に語り出す。ウンウンと私も笑顔でうなずく。

しばらくして「じゃあ、他の問題も同じようにやってごらん」と声をかけると「うん!」勇んで取り組み始めた。

その子は、その解き方をたった一度で憶えてしまった。二度と忘れなかった。あれだけ大量に説明してもこれまで分かってもらえなかったのに、何も説明しなかったこの子は自分で理解し、できるようになり、しかも忘れなくなった。

なんなんだこれは。「教育」って「教える」って字があるけど、教えちゃダメなのか? 教えないほうがどうも理解が深まり、問題も解けるようになり、しかも忘れなくなるらしい。

こうなったら、今までとは全部逆のことをやってみよう。今までなら、問題を解かせる前に「こういう落とし穴があるから注意して」「こういったひっかけ問題がよくあるから注意して」「こういう例外もあるから忘れないでね」と、転ばぬ先の杖、事前に失敗しないようにと懇切丁寧に注意事項を説明していた。しかし、それを一切やめた。
 
理解があいまいになりやすい場所、誤解しやすい箇所は、教える私がわざと何も知らないフリをして質問すると、子どものほうで知識のあいまいさに気づき、きちんと確認し、誤解のないように理解するようになった。きちんと分かりやすく誤解のないように説明できるまで、私は知らないフリしてどんどん意地悪な質問をした。すると、子どもはその都度動揺しながら、結果的に実に分かりやすく説明できるようになっていった。そこまでできるようになると、二度と忘れなかった。

……あれ? なんだろう? 説明って教える側がする必要ないのかな? こちらが説明するより、こちらが質問して説明させたほうが正しく理解でき、記憶もしっかりするというのはどういうことだろう? そのことを思い出し、研究室のスタッフや学生にも「教えない教え方」を試すようになった。

 
教えない教え方は社会人にも通じる

うちの研究室に来るスタッフはそれまで専業主婦だった方ばかり。もちろん専門知識はない。専門知識の話をしても、「そういうことはそちらで考えてください」とピシャリ。まあ、その通り。

そこで、「教えない教え方」をやってみた。私が全部説明してしまうのではなく、なるべくスタッフや学生にも考えを述べてもらう機会を設けて、私はできる限りしゃべらずに済むように心がけた。

「これ、何が起きているんでしょうね?」と声をかけると当然ながら「分かりません」と答えが返ってくる。「そうですよねえ、分かりませんよね。私も分かりません。で、注意深く見てみるとこのあたりがこんなになっていたりしたのに気がついたんですけど、他に気がつくところはないですかね?」と質問すると、おずおずとだが、答えてくれる。

「あ、なるほど、それは気づかなかったなあ。あれとこれが起きるということは、何が原因なんでしょうね? あてずっぽうで構いませんから、何か気づいたことがあったら教えてください」

私が一方的に話すのではなく、なるべく相手に話してもらうようにした。新しい装置を考案する場合、どうしたらよいかを学生やスタッフと一緒に図面を前にして考えた。

すると不思議なことに、私が事前にあれこれ説明するよりも図面が頭に入るらしく、何日たってもしっかり憶えていて、なぜそんな図面になったのかの理屈も憶えていた。しかも「こういう構造ならどうでしょう?」と提案までしてくれるようになった。私が一方的に図面の説明をすると、ほとんど頭に残らないのに。

どうやら、私の説明を聞くというのは受け身の作業なので、身が入らないらしい。ちっとも頭に残らない。しかし逆に私に説明しようとすると、身が入るらしい。私は物分かりが悪いのでよく「すみません、今のところをもう一度説明してください」と頼む。するとどういう言葉なら私に分かってもらえるか、考えたうえで説明しようとする。そのように能動的に取り組むと、理解も深まり、忘れなくなるものらしい。受け身ではなく能動的、主体的、自発的になることが理解と記憶を深めるらしい。私の「教えない教え方」が確立した瞬間だった。


結果をほめるではなく工夫を面白がる

「ほめて育てる」という言葉がある一方で、「ほめるとつけあがる」という指摘もある。さて、どちらが正しいのだろう? 実はどちらも正しいと思う。ほめるとやる気が出て努力するようにもなるし、自己認識だけが肥大化して傲慢になり、成長が止まってしまうこともある。矛盾しているように見えるが、どちらにもなり得る。

スタッフがやる気を出して自ら努力するようになってもらうには、「ここのところ、上手にやったね」と、“工夫や努力、苦労”をほめるとよい。通常、人は「100 点なんてすごいね」「こんな成績、過去に誰も挙げたことがないよ」と “結果”をほめている。前者だとスタッフは更に「工夫」をしたくなり、後者の場合、それで満足して行動を止める可能性もある。

前者のほめられ方をすると「もし同じようなことが起きたら、同じ工夫をもっと上手にやってみよう」「まだ今回のやり方は稚拙だったから、もう少し工夫を加えよう」と、改善を試みようとする。工夫したこと自体をほめられてうれしくなり、もっと工夫をして驚かせてやりたい、と思う。だから、ほめるのだとすれば結果や成果といったその人の「外側のこと」ではなく、工夫や苦労、努力といったその人の「内面」のことをほめるほうが、次につながる。

ただ、「ほめる」という言葉をどちらも使うものだから、やや紛らわしい。そこで私は「面白がる」という言葉を使っている。その人がその時どんな工夫をしたか、どんな苦労をしたのか、それをどうやって乗り越えたのか、その工夫や努力を面白がったり、驚嘆したりする。

例えばとても素晴らしい絵を描く人がいたとして、「この絵、値段が100 万円だって」「へえ、すごいねえ」と、外形的なことで感心されてもその画家はちっともうれしくないだろう。ひどい言い方になるが、俗っぽいほめ方だ、と感じてしまう。

それよりは、
「私は絵のことがちっとも分からないんですけど、なんでこの鳥はこんなにも雄々しく羽ばたいているように見えるんでしょうか」

と尋ねれば、それを描くのにどんな工夫を凝らしたか、うれしくなって説明してくれるかもしれない。

努力した人にとって、一番印象に残っているのは、自分の心の中で起きたことなのだ。どうしよう、うまくいかない、と悩んだ時間。苦しんで苦しんでもがいた時間。そしてようやく、うまくいく工夫を見つけられた瞬間。そのことのほうが本人の中では、最も人に見てほしい、ほめてほしいところなのだ。

「へえ、そんなにも難しいところなのですね、よく克服されましたね」

と賛嘆すると、「この人は分かってくれた」と感じて、うれしくなる。内面の苦労、工夫に気づいてくれた人には、「自分のことを分かってくれている」と感じるものなのだ。


成果ではなく工夫を面白がる

基本的に部下にやってもらう仕事というのは、上司の手のひらの中にあるものでしかない。部下が自分で決めて、自分で選んで、自分で探してきた仕事ではない。そのため「やらされ感」がどうしても出やすい。だから、「仕事が終わりました」と報告がある度に、面白い工夫を見つけては

「これ、面白いね」

と面白がる。

「ここのところ、もうちょっと工夫することは可能かな」

と工夫を促す。どう工夫するのかは、本人になるべく任せる。

上司としては結果、成果のほうが気になってしまうものだが、そこはグッとこらえて成果に着目するのではなく、工夫に着目する。

例えばビックリするほどの営業成績を挙げた月があった場合、「こんな数字を出すなんて、前代未聞だねえ」と結果にだけ目を奪われた発言をしないようにする。それより工夫を尋ねよう。

「今月はずいぶんと好成績だったけど、どんな工夫をしたの?」

と工夫を促す。

もし、「そういえば……」と、大口の購入をしてもらえたきっかけを思い出して報告してくれたら、

「いいね、それ。それを偶然ではなく、必然に持っていくにはどうしたらよいか、もっと工夫を考えてみようか」

と、一緒の宿題にしてみるとよいだろう。

「実は、もっとこうしたらよかったかな、と思うことは多々あったんです」という答えがあったら、

「その工夫、面白いねえ。やってごらんよ。また工夫した結果が出たら、どんな風だったか教えてよ」

と、工夫を面白がるようにしよう。すると、部下も工夫を凝らすことが楽しくなってくる。工夫を凝らせば凝らすほど、仕事の能率は上がり、仕事への理解も深まる。理解が深まれば、仕事への意欲も高まる。「できない」が「できる」に変わる瞬間をいくつも味わってもらえる。

部下の仕事に対していつも、

「へえ、それは面白いねえ」
「うわあ、そんなことがあったの」
「よくそこでくじけなかったねえ」
「どうやって気力を維持できたの」

と、“工夫を”尋ねては面白がる。驚嘆する。すると、その人の中で工夫することの大切さ、苦労を克服することの面白さに気づく気持ちが生まれてくる。

この「結果をほめずに、工夫を尋ね、工夫を面白がる」方法は、能動的に動き始めた時期の新人にも有効だが、自分の下に配属されてきたベテランの意欲を高めるのにも有効だ。部下がどんどん能動的になっていく様を喜びながら、楽しく試行錯誤していってほしい。

すると、部下は「能動感」を持ちやすくなる。どう料理するかは任されているからだ。そしてその料理の仕方、工夫を上司が楽しみにしているということが分かると、工夫することが楽しくなる。それが「能動感」をさらに持ちやすくする。部下にノルマを課さなくても勝手に成果を挙げてくれるようになる。

 

 『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』(文響社、篠原信・著)
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