日本民族の存続に今こそ不可欠な重光葵の精神『新字体・現代仮名遣い版 巣鴨日記』復刊
『巣鴨日記』は、東京裁判の復讐劇としての実態、検事、裁判長、弁護人らの言動、A級戦犯として捕らえられた人々の横顔、重光の思想などが詳細に記された貴重な資料である
近年、戦後の日本絶対悪の自虐史観から脱し、日本の近代史を肯定的に見直す動きが顕著になってきた。それ自体はいいことなのだが、重光葵のような人材を擁しながら戦略的大失態を演じた事実には謙虚に向き合わなくてはならない。我々日本人は未だにその弱点を克服していないからである。重光に学ぶことは日本人の弱点を学ぶことでもある。
そして今、日本に必要なのは、まさに重光のような人材なのである。
日本は戦後、安全保障を米国に委ねて生きてきたが、その米国が目を疑う崩壊状態を呈している。その一方で、覇権主義を隠さなくなった中国による浸透影響工作(サイレント・インベージョン)が確実に日本を蝕んでいる。また、ウクライナ戦争を通じて中露が深く結びついたことで、日本は中露北朝鮮という核保有国に囲まれ、有事の際には三正面作戦を強いられかねない状況に陥った。
かかる危急存亡の秋にあって、もし重光が今の日本に蘇ったならば、何を言っただろうか? ひとつ確かなことがある。それは、重光自身が努力しながら果たせなかった、吉田ドクトリンからの脱却の必要性である。
一九五二年四月、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を回復して独立を果たした。しかし同時に、日米安全保障条約も発効した。これは何を意味するか? 日本は名目的には独立したが、米軍に日本中どこにでも、いつまでも基地を設置して保持することを許可することによって、米国による間接統治が無期限に継続されることを受け入れたのである。
日本では一般的に、吉田はマッカーサーら占領軍と対等に渡り合って戦後の日本社会を安定と繁栄に導いたと評価されているが、それは完全な幻想である。実際にはマッカーサーに平身低頭媚びへつらい、米国製の憲法を押し付けられたあげく、日本を永遠の属国的立場に固定したのである。
この吉田と対照的な態度を戦前、戦中、戦後と貫き通したのが重光葵である。
過酷な獄中にあっても重光は世界情勢を追い続け、日本の独立維持にこだわり続ける。
巣鴨プリズンから釈放され、公職追放が解けて政界に復帰した重光は筋を通し続けた。「自らの使命は、吉田の残した仕事の後始末をすることである」と自認する重光は、第二次鳩山内閣で副総理・外務大臣となると、吉田が結んだ日米安保条約を対等な条約にしようと奮闘し、ダレス国務長官と激論を交わす。重光が目指したのは、後に岸信介が行ったような米軍による日本防衛義務を付加するような修正ではなく、豪州と結んだような相互防衛義務を伴う対等な条約だった。これにはダレスも驚嘆すると共に感服した。
重光の努力も虚しく、日本は真の独立を果たせないまま二十一世紀に突入し、宗主国の米国が急速に衰えているにも拘らず、未だに吉田ドクトリンにしがみ付いたまま存亡の危機に直面している。草葉の陰から重光はどんな思いで今の日本を見つめているだろうか? 否、今の日本にこそ、重光のような人材が死活的に必要なのだ。そして、今度こそ国民が覚醒することが絶対に必要だ。日本人は重光葵を再評価し、吉田から重光への転換を図らねばならない。
もし、重光が戦犯にならず、吉田に代わって日本の戦後を創っていたら、日本は三島由紀夫が嘆いたように、属国の立場に甘んじて経済的繁栄だけに現を抜かすような国にはならなかっただろう。逆に言えば、吉田のように占領軍に屈服した人間が日本人にとってヒーローであることは、統治者である米国にとって都合が良いことなのである。
重光を再評価するために、一人でも多くの日本人に巣鴨日記を読んで欲しい。東京裁判が膨大な時間を費やして個別事実の検証を行うふりをしながら、いかに一方的な復讐劇であったか。囚人たちがいかに過酷で屈辱的な環境下に置かれたか。その中にあってなお、くじけることなく、媚びることなく、日本の将来を案じ続け、敵国である欧米からも尊敬と信頼を集め、真摯に弁護された重光の生き様を見れば、その偉大さが理解できるだろう。そして、今こそ重光の精神を復活させることが日本民族の存続に不可欠であることを確信するだろう。
※本書、山岡鉄秀氏による解説より抜粋
【著者】重光 葵 しげみつ・まもる
1887年大分県生まれ。子供の頃朝の沐浴と教育勅語の朗読を日課とする。東京帝大法科大学独法科卒業。外務省に入り、上海総領事、駐華特命全権公使等を歴任、上海事変停戦協定を成功させた直後、上海天長節爆弾事件で右足を失う。その後、外務次官、駐ソ、駐英、駐華の各大使、さらに東条内閣、小磯内閣、東久邇宮内閣で外相を務める。日本政府全権として戦艦ミズーリ艦上で降伏文書調印。昭和天皇の信頼厚く、調印前天皇から激励を受ける。張鼓峰事件の解決、ビルマ援蒋ルートの一時的閉鎖、戦後の占領軍による軍政阻止などは、重光の卓越した交渉能力を示す例である。大東亜共同宣言も終戦の御聖断も重光の提言によって実現。日華和平を目指し、三国同盟や日米開戦には反対の立場だったが、極東国際軍事裁判ではソ連の横やりでA級戦犯の被告人となり、禁固7年の判決。政界復帰後、改進党総裁、日本民主党、自由民主党副総裁、そして鳩山内閣の外相として日本の国際連合加盟に尽力。1957年没、享年69歳。
【解説】山岡 鉄秀 やまおか・てつひで
1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。公益財団法人モラロジー道徳教育財団研究員、令和専攻塾塾頭。 著書に『vs.中国(バーサス・チャイナ)─第三次世界大戦は、すでに始まっている!』(ハート出版)、『新・失敗の本質』『日本よ、情報戦はこう戦え!』(育鵬社)、『日本よ、もう謝るな!』監訳に『目に見えぬ侵略─中国のオーストラリア支配計画』(共に飛鳥新社)などがある。
【書籍情報】
書名:[新字体・現代仮名遣い版]巣鴨日記
著者:重光葵
仕様:A5判並製・384ページ
ISBN:978-4802401579
発売:2023.06.01
本体:2500円(税別)
発行:ハート出版
書籍URL:https://www.amazon.co.jp/dp/4802401574/
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