がんと生きるあなたの想いを表現してみませんか?アートとエッセイで表現する「がんと生きる、わたしの物語。」コンテストに応募の109点から受賞作品を発表
最優秀賞と優秀賞の作品
第13回「リリー・オンコロジー・オン・キャンバス がんと生きる、わたしの物語。」 受賞者一覧
【最優秀賞】
絵画部門:大栗 典子(おおぐり のりこ) さん (大阪府 高槻市) 『きらきらゆらゆら悔いなく自分らしく』
写真部門:岩岡 典子(いわおか のりこ) さん (東京都 中央区) 『焼きおむすび』
絵手紙部門:岡本 唯嗣(おかもと ただつぐ) さん (奈良県 奈良市) 『看護師達』
【優秀賞】
絵画部門:關根 満理奈(せきね まりな) さん (東京都 文京区) 『おかあさん ありがとう』
写真部門:長谷川 ゆい(はせがわ ゆい) さん (神奈川県 横浜市) 『はじめて並んで歩いた日』
絵手紙部門:奥村 宏美(おくむら ひろみ) さん (滋賀県 大津市) 『大丈夫』
【入選】
絵画部門:伊藤 理恵(いとう りえ) さん (神奈川県 横浜市) 『再生した私』
絵画部門:寺﨑 ひなた(てらさき ひなた) さん (福岡県 福岡市) 『また逢う日まで』
写真部門:村田 昂平(むらた こうへい) さん (栃木県 塩谷郡) 『家族』
写真部門:山﨑 広実(やまさき ひろみ) さん (大阪府 大阪市) 『自然のいのちとわたしの生命(いのち)』
絵手紙部門:内藤 三枝子(ないとう みえこ) さん (東京都 大田区) 『「おいしいね」と言える幸せ』
絵手紙部門:齊藤 紘子(さいとう ひろこ) さん (神奈川県 横浜市) 『あなたの分も生きています』
【日本イーライリリー 執行役員 オンコロジー事業本部長 小嶋 毅彦のコメント】
「リリー・オンコロジー・オン・キャンバスは、この度13年目を迎えることができました。受賞者、審査員、そして応援頂いているすべての皆様に感謝を申し上げます。本コンテストの作品とエッセイは、“がんと共に生きる”姿勢や想いがこめられ、そこからは感動や勇気を与えてくれます。日本イーライリリーは、一人ひとりの患者さんや支援者の皆さんを繋げる“場”を今後も提供し、がんになっても自分らしく生きられる社会の実現に向け、これからも皆さんと歩んで参りたいと思います。」
第13回の受賞作品は、リリー・オンコロジー・オン・キャンバスのウェブサイト(https://www.locj.jp/)およびFacebook(https://www.facebook.com/locjChannel)に今年8月公開予定です。
<第13回「リリー・オンコロジー・オン・キャンバス がんと生きる、わたしの物語。」募集・審査について>
募集期間:
2022年8月23日~2023年1月31日
応募件数:
絵画部門 36件 写真部門 35件 絵手紙部門 38件
募集テーマ:
「がんと生きる、わたしの物語。」
審査:
【最優秀賞、優秀賞、入選】
絵画・写真・絵手紙作品ならびに制作背景を綴ったエッセイについて、作品の技術的・芸術的な評価よりも募集テーマを的確にとらえた作品であるかを重視し、以下5名の審査員により2023年4月14日に審査が行われ、最優秀賞、優秀賞、入選の計12点を決定しました。
審査員:
岸本 葉子(エッセイスト)
堀 均(公益財団法人 日本対がん協会 がんサバイバークラブ)
西村 詠子(NPO法人 がんとむきあう会 理事長)
森 香保里(四国こどもとおとなの医療センター アートサイコセラピスト)
亀山 哲郎(フォトグラファー) ※順不同/敬称略
賞:
最優秀賞(各部門1名)、優秀賞(各部門1名)、入選(各部門2名)
リリー・オンコロジー・オン・キャンバスについて
リリー・オンコロジー・オン・キャンバスは、がんと告知されたときの不安や、がんと共に生きる決意、がんの経験を通して変化した生き方などを作品とエッセイで表現し、多くの人と想いを分かち合っていただく「場」として、日本イーライリリーが2010年に創設しました。
日本イーライリリーについて
日本イーライリリー株式会社は、米国イーライリリー・アンド・カンパニーの日本法人です。人々がより長く、より健康で、充実した生活を実現できるよう、革新的な医薬品の開発・製造・輸入・販売を通じ、がん、糖尿病、筋骨格系疾患、中枢神経系疾患、自己免疫疾患、成長障害、疼痛などの領域で日本の医療に貢献しています。詳細はウェブサイトをご覧ください。https://www.lilly.co.jp
第13回「リリー・オンコロジー・オン・キャンバス がんと生きる、わたしの物語。」 受賞作品
【最優秀賞】 絵画部門
大栗 典子(おおぐり のりこ) さん <大阪府 高槻市>
『きらきらゆらゆら悔いなく自分らしく』
■作品エッセイ(抜粋)
がんは宣告された時よりも、再発・転移の時の方がショックは大きいといわれます。私もその通りでした。一昨年、乳がん初発から五年後に多発骨転移が見つかり、治ったつもりで過ごしていた日常は一変。病気のことを考えるうち、食欲が失せ体調がどんどん悪くなり、一日中引きこもる日が続きました。
半年ほど経った頃、曽爾高原へ行こうと友達が誘ってくれました。一面が金色銀色に染まった丘は、風が吹くたびにススキが生き物のように右に左に揺れます。きらきらゆらゆらの風景を心ゆくまで楽しみました。
この旅をきっかけに私は少しずつ落ち着きを取り戻していきました。私に残された時間はわからないけれど、がんの治療は日進月歩!きらきらゆらゆら、自由に悔いなく、これまで通りの日常を送ろうと思えるようになりました。
私にとって再発は再出発、いのちと向き合う機会をいただけました。
私の周囲にもがんを宣告された人がポツポツと現れ始めました。アドバイスを求められたら、長い目で治療を考え、今を楽しもうと励ましています。
【最優秀賞】 写真部門
岩岡 典子(いわおか のりこ) さん <東京都 中央区>
『焼きおむすび』
■作品エッセイ(抜粋)
49歳、会社員、独り暮らし。自分は別段思い残す事もなく、いつ死んでもいいやと日々何気なく思っていた。そう、がんが見つかるまでは…。
がん告知から手術までは、3ヶ月だった。私の心は一転して、最悪なシナリオを考えるようになり、泣き崩れ、絶望を味わった。手術を受ける事の恐怖と対峙しつつ、凡そ1ヶ月を経て、治療を受け入れる祈りに似た前向きな心境になれた。
入院の準備も当然誰もしてくれない。入院1週間前には、退院後に向けた準備を始めた。切除具合によっては、しばらく手が使えないかも知れない。買い物にも出られないかも知れない。そうだ、今のうちに「おむすび」をたくさん作って冷凍しよう。その時、いつの間にか生きていく方向に大きく舵を切っている自分にはっとした。何度も繰り返し「おむすび」を焼く。そんな事がこれほど希望に充ちた行為に思えたのは初めてだった。
この先、心に軋みを感じたら、きっと私は「おむすび」をたくさん焼いて、あの時の感覚を呼び起こすだろう。
【最優秀賞】 絵手紙部門
岡本 唯嗣(おかもと ただつぐ) さん <奈良県 奈良市>
『看護師達』
■作品エッセイ(抜粋)
小学校低学年の頃、死んだら、二度と目が覚めることがない、感じることも、考えることも、ない。その虚無感に胸をいためることがありました。最後には、せめて、生きている間は、命をそまつにしないでようと思いました。生きていることが、貴重でかけがえのないものか十分、わかっていたのに。
胃癌の手術後、目が覚めた時、息が吸えない、絶望的地獄の苦しみ、麻酔から覚めないで、死んで、なにも無いほうが、よいと思いました。
呼吸ができない。酸素酸素、やっと、声が出ました。「酸素をください。」叫びました。看護師さんが「酸素たりてますよ」と応えてくれました。この苦しさは呼吸でないことが理解できました。気持が少しらくになりました。ただただ、耐えればよいと言うこと、ありがたい返答でした。
あのまま、目が覚めない方がよかった。などバチあたりな考えに、われながら、だめな人間だと思います。一生懸命、手術をしてくださった先生や力を貸してくださった方々に申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです。
【優秀賞】 絵画部門
關根 満理奈(せきね まりな) さん <東京都 文京区>
『おかあさん ありがとう』
■作品エッセイ(抜粋)
私は、高校の在学中に上咽頭癌を発症しました。初めて診断を受けた日も、その後の通院も、母は仕事を休み、落ち込む私にずっと付き添い支えてくれました。母はどんな時でも私を励まし、不安定な気持ちに寄り添ってくれていました。
その翌年に転移があり、そう遠くないはずの高校への通学も困難になりました。母は思い立って車を買い、慣れない道路を運転しながら、私を高校まで送迎してくれました。
19歳になり、幸いにも病状が落ち着くと、私は生まれて初めてアルバイトを経験しました。この花束は、そのお給料で買った母の日のプレゼントです。
小さい頃から、母が好きだと言ってくれた私の絵で、長年に渡る母への感謝の気持ちを表しました。絵の中の花が、母への感謝の気持ちや、支えてもらった思い出と共に、忘れることがないように、朽ちることのないようにと思いを込めて描きました。
発症から7年経った去年、私は当時の同級生達よりもうんと遅れて、大学に入学することが出来ました。
おかあさん、ありがとう。
【優秀賞】 写真部門
長谷川 ゆい(はせがわ ゆい) さん <神奈川県 横浜市>
『はじめて並んで歩いた日』
■作品エッセイ(抜粋)
父ががん宣告をされてから数年後、私は父に最初で最後の我儘を言った。
「バージンロードを歩いてほしい」
父は目立つことを嫌い、自分のペースを崩されることを嫌う人だった。
背中を追いかけて過ごした二十数年間。言葉数少なく、干渉せず、この距離感が私たち親子なのだと自分に言い聞かせてきた。だけど一度くらい親子らしく父と並んで歩きたい、そう思った。
その日は11月にしては暖かい日だった。
おかげで父の体調もいつもより良く、無事結婚式に出席することができた。緊張でお互い言葉を発しないまま、ついにその時が来た。チャペルの扉が開き、パイプオルガンの音色が聴こえてくる。
時間にすれば1分にも満たない短い時間だったが、十分だった。
次の日改めて父にお礼のメールをすると、「バージンロードを歩かせてくれてありがとう」と返ってきた。
我儘を言ってよかった
気持ちを知ることができてよかった
隣を歩けてよかった
お父さんの子でよかった
【優秀賞】 絵手紙部門
奥村 宏美(おくむら ひろみ) さん <滋賀県 大津市>
『大丈夫』
■作品エッセイ(抜粋)
令和三年の晩秋の頃、義息子が再生不良性貧血で緊急入院することになりました。主治医からは白血病に進行する恐れもあると言われ、生後半年の乳飲み子と小学3年の子を抱え不安を抱く娘を「大丈夫大丈夫」と、ハグをすることしかできませんでした。
三カ月の入院生活を終え無事に退院することができました。無菌室の四角い病室で辛い治療に耐え、日々成長する愛娘を抱くことさえ許されず自分との戦いに頑張ったと思います。
義息子の入院から遡ること一年半前の令和二年、主人が慢性骨髄性白血病と告知されました。私が一番苦しかったのは、高齢の両親に打ちあけることでした。気が動転する私を「絶対に大丈夫やから」と励まして背中を押してくれたのは娘でした。
主人は一ヶ月ほどで退院することができましたが、皮肉にも義息子と主人が同じ病院の血液内科に通院することになるとは思いませんでした。辛いことが続きましたが主人も義息子も定期的に検診を受け現状維持で、日常の生活を送っています。
【入選】 絵画部門
伊藤 理恵(いとう りえ) さん <神奈川県 横浜市>
『再生した私』
寺﨑 ひなた(てらさき ひなた) さん <福岡県 福岡市>
『また逢う日まで』
【入選】 写真部門
山﨑 広実(やまさき ひろみ) さん <大阪府 大阪市>
『自然のいのちとわたしの生命(いのち)』
村田 昂平(むらた こうへい) さん <栃木県 塩谷郡>
『家族』
【入選】 絵手紙部門
齊藤 紘子(さいとう ひろこ) さん <神奈川県 横浜市>
『あなたの分も生きていきます』
内藤 三枝子(ないとう みえこ) さん <東京都 大田区>
『「おいしいね」と言える幸せ』
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