「士・農・工・商」は本当に固定された身分だった? 話題書『壱人両名』は日本の「現実と建前」の姿をあぶり出す

書評掲載多数・選書では異例の続々増刷の理由。職場や家族に内緒でズルいことをできないあなたにも読んでもらいたい

株式会社NHK出版

売行き良好で、選書としてはハイペースの発売後ひと月半で3刷を決めたNHKブックス『壱人両名――江戸日本の知られざる二重身分』は、身分への固定観念をひっくり返す歴史的事実を初めて正面から取り上げた本として、“記念碑”になるかもしれません。
毎日新聞(5/12)、日本経済新聞(5/18)、各地方紙や『東京人』(8月号)に書評掲載、朝日新聞(6/16)、週刊文春(7/11号)には著者・尾脇秀和氏のインタビュー掲載、amazonの「江戸時代」ジャンルでも「ベストセラー1位」を獲得(6月17日~18日)するなど、歴史ファンの間で広がる『壱人両名』の波。その不思議な魅力について解説します。

江戸時代。村の百姓がとつぜん刀を差してサムライ姿でご出勤。
明らかにバレているけれど誰も「オイオイあんた百姓だろ」と突っ込まない――。


これは悪ふざけでも変装でもなく、常識的な慣習だったからです。一人の人間が百姓の名「何衛門」と侍の名「何兵衛」を併せ持つというこの慣習は当時、「壱人両名(いちにんりょうめい)」と呼ばれました。
 

左の「商」の町人が、別の日には帯刀した右の「士」となって出勤する。これが広く行われた「壱人両名」の1シーンでした。 本書より(左 出典:『大全消息往来』江戸時代後期刊)(右 出典:『消息往来』文久2年〔1862〕刊)左の「商」の町人が、別の日には帯刀した右の「士」となって出勤する。これが広く行われた「壱人両名」の1シーンでした。 本書より(左 出典:『大全消息往来』江戸時代後期刊)(右 出典:『消息往来』文久2年〔1862〕刊)


これは江戸時代の話です。著者は本格派の研究者です。それなのに本書を読んで思い出すのは現代の私たちの「まじめさの不合理性」なのです。どういうことか? この稿の最後で触れたいと思います。

著者は、無名の江戸時代人たちを生き生きと描いて、「身分」への固定観念をひっくり返します。史料に忠実に論じていながら親しみやすい文章で、ユーモアすら漂うのも魅力。ユーモアは登場人物のキャラクターと振る舞いから生まれました。裁判記録に残された言葉を現代語に置き換えるだけで、なぜか可笑しい。これも読みどころです。

「別人」になろうとした江戸時代の人々の、3つの謎

登場するのは有名人ではなく百姓、町人、神職、御家人、浪人などすべてが市井の「普通の人」たち。彼らはしたたかです。制度や慣習をうまく使って「別人」になろうとします。なぜか? 謎Aとしましょう。

 

じつは、壱人両名は「天下の御禁制」(やってはいけないこと)でした。たいていもめごとが起きたついでに「一人二役」がバレて「お白洲」へ呼び出される。それなのに「壱人両名をやったから」という理由で罰せられることはなかったし、バレずに一生を終える人の方が多かったのです。なぜか? 謎Bです。

白洲の座席。「士」なら下椽、「庶」なら砂利に座らされるので、2つの身分をもつ人は、上の方の身分をアピールしました。御奉行様に近い方が有利? 本書より(出典:安藤博『徳川幕府県治要略』〔赤城書店、1915年。青蛙房復刻本[1965年]による〕をもとに作成)白洲の座席。「士」なら下椽、「庶」なら砂利に座らされるので、2つの身分をもつ人は、上の方の身分をアピールしました。御奉行様に近い方が有利? 本書より(出典:安藤博『徳川幕府県治要略』〔赤城書店、1915年。青蛙房復刻本[1965年]による〕をもとに作成)


江戸時代の常識が今といちばん違うのは――お奉行様が「ほんとうのことを知ろうとしない」こと、「見て見ぬふりをする」こと。なぜでしょう? これが謎C。

これがわかれば、ほんとうは“壱人三名”や“壱人四名”もあったのに、そんな言葉が残されていないことの理由もわかります。

 

要は、江戸時代は“超”がつく縦割り行政の社会であり、他人が管轄する範囲のことは「知らないことにしておく」ほうが合理的だった、ということです。キーワードは「支配」と「人別」。ともあれ、当時に比べれば今の「縦割り」など可愛いものだと分かります。同時に「縦割り」が悪いだけのものでもない、とも。
 

 

「士農工商」という「諸職」。当時の手習い本を見ても「身分の上下の区別」は描かれていません。右など、士は頭を下げる仕事のようでいかにも大変そう? 本書より(左 出典:『文章法則大全消息往来』江戸時代後期刊)(右 出典:『大全消息往来』江戸時代後期刊)「士農工商」という「諸職」。当時の手習い本を見ても「身分の上下の区別」は描かれていません。右など、士は頭を下げる仕事のようでいかにも大変そう? 本書より(左 出典:『文章法則大全消息往来』江戸時代後期刊)(右 出典:『大全消息往来』江戸時代後期刊)


 A~Cの謎は本書を読めばかんたんにわかります。でも、答えを知るだけが楽しみではありません。本書は、「名前」「年貢」「庄屋」「身分の上下」、また当時の「相続」や「引っ越し」、さらには「人口の数え方」などについて、私たちがずいぶん誤解していたことにも気づかせてくれます。歴史ファンの中には、謎の答えよりこちらの方が衝撃、という方もいることでしょう。

江戸時代の人々の生きざまから考える「私たちのまじめさは『合理的』なのか?」という問い

 

ただし……江戸時代の「常識」がすべて今の「非常識」かといえば、そうでもない。昔と今との共通点を尾脇氏は「うまいことやる」と表現しました。よろしくない現実には片目をつぶり、「現実を建前に合わせて解釈する」という芸当は、当時の人々にとって何ら難しいことではありませんでした。そう言えば、今の人にとってもそれはありえない話ではない。

 

本書を読んでつい考えてしまうのは……現代において、「真相の究明」「事実ありのままの報告」を当然のこととしてしまう私たちの「まじめさ」は、時と場合によっては合理的でなくなってしまうんじゃないか? それだけでなく、苦しむ人をつくるだけなんじゃないか? というようなことです。

左は「借り主 大島数馬」の署名。右は「庄屋 利左衛門」の署名。「あれ?全然違う名前なのにハンコは同じ?」と著者尾脇氏が気づき、研究の発端となりました。 本書より(左 出典:国文学研究資料館所蔵三宅家文書)(右 出典:大島家文書〔京都市歴史資料館紙焼写真〕)左は「借り主 大島数馬」の署名。右は「庄屋 利左衛門」の署名。「あれ?全然違う名前なのにハンコは同じ?」と著者尾脇氏が気づき、研究の発端となりました。 本書より(左 出典:国文学研究資料館所蔵三宅家文書)(右 出典:大島家文書〔京都市歴史資料館紙焼写真〕)


だからといって……最近聞くようになった「在宅勤務」をしていて、本当は昼寝しちゃってた時間を「仕事してました!」と申告するのは、いけないことです。よい子はそんなことをしません……よね?

■商品情報
 

出版社:NHK出版
発売日:2019年4月25日
定価:1,620円(本体1,500円)
判型:B6判
ページ数:296ページ
ISBN:978-4-14-091256-0

URL:https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912562019.html

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業種
サービス業
本社所在地
東京都渋谷区宇田川町10-3
電話番号
03-3464-7311
代表者名
江口貴之
上場
未上場
資本金
6480万円
設立
1931年04月