元犯罪者の就労支援「職親プロジェクト」。関西の中小企業の社長達は、まさに「親」となり、元犯罪者の雇用を続ける。しかし更生出来るのは一握り。なぜ元犯罪者に尽くすのかを描くヒューマンドキュメンタリー

テレビ大阪「おもえの親になったるで~再犯を防げ!5年の軌跡~」2018年5月4日(金・祝)1555~1654http://www.tv-osaka.co.jp/sp/omaenooya201805/

テレビ大阪株式会社

元犯罪者の就労を支援するため、関西に拠点を置く飲食店や建設会社、美容室などが日本財団(東京)と協定結んで始めた「職親プロジェクト」がスタートして丸5年が過ぎた。再犯率を下げるには、出所しても親からも見離され、職に就けない元犯罪者たちに、仕事と住む場所を提供することが必要と考え、関西の中小企業の社長たちが、まさに「親」になって雇用を続けてきた。
しかし、実際に更生して会社に貢献できる者はほんの一握りだ。テレビ大阪では、プロジェクトのスタートから社長たちが裏切られても裏切られても元犯罪者に親のように接する姿をカメラで追った。なぜそこまで元犯罪者に尽くすのか?そのすさまじい戦いぶりを描くヒューマンドキュメンタリー。ナレーター:濱田マリ

テレビ大阪 2018年5月4日(金・祝)15:55~16:54
「おまえの親になったるで ~再犯を防げ!5年の軌跡~」
 

http://www.tv-osaka.co.jp/sp/omaenooya201805/

5年前に立ち上がった元受刑者の就労支援『職親プロジェクト』調印式5年前に立ち上がった元受刑者の就労支援『職親プロジェクト』調印式


<番組概要>
 ~被害者遺族の熱血社長~
熱心にこの問題に取り組んできた大阪で建設業を営む若き社長、草刈健太郎さん。全国どこの刑務所へも希望する受刑者がいれば面接に足を運んできた。たとえ辞めても、次の行き場所を探し送り込む。逃がさないことが大事という。実は、草刈さんは10数年前、妹をアメリカで殺害された被害者遺族でもある。妹を殺した相手を今でも「殺したい」と思っている。なのに、なぜ・・・?最近は元犯罪者たちに触れることで、「少しだけ気分が楽になった」という。相手を知ることで、なぜそうなったのかわかる気がしてきたのだという。

刑務所にて、塀の中での受刑者の面接刑務所にて、塀の中での受刑者の面接


~それでも犯罪は繰り返される~
元犯罪者のAさん。21歳。窃盗の罪で少年院にいた。草刈社長の会社の寮では、同居する元犯罪者の先輩Bさんの財布を盗んだり、銀行のカードも盗んで勝手に引き落とした。しかも、薬物に手を出していた。元犯罪者には依存症の人が多い。依存症は病気で、気合いでは治せない。それを知った草刈社長は、山梨県にある専門の施設にAさんを入れることを決意した。しかし、Aさんは施設を飛び出し、行方不明に・・・。草刈さんの葛藤と、その後の意外な展開とは?
~少しだけ見えた希望の光~
元犯罪者のBさん。出所して丸4年が過ぎたが、草刈さんの会社でペンキ職人として辞めずにがんばっている。加古川刑務所で全国で初めて行われた受刑者への講座で、今度は外の人間として中の人に技術指導する先生の立場に。4年ぶりにくぐる塀中。複雑な心情か・・・講座を終えて草刈さんと塀の外へ出ると、桜が例年より早く満開を迎えていた。その桜の下で、「もう二度と犯罪に手を染めない」と誓う。そばで、うなずく草刈さん。
~加害者と被害者の間で~
被害者遺族だった、草刈さん。職親プロジェクトの立ち上げに誘われたきっかけは東日本大震災の復興支援のイベントを千房の中井社長や串かつだるまの上山社長と一緒にやったことだった。最初は乗り気でなかったが、、、受け入れたことで始まった。再び東北の地へ。東北少年院に草刈さんの会社で雇ってほしいという少年がいると聞き、面接に。こんな自分でも雇ってくれるのか?と言う少年に対し、草刈さんの答えは、もちろんイエスだ。炊き出しをした石巻の高台の上で、少し変わった景色を眺めながら話す。この活動を続けているのは、もしかしたら妹からのギフトかもしれない、と。

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会社概要

テレビ大阪株式会社

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URL
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業種
情報通信
本社所在地
大阪府大阪市中央区大手前1-2-18
電話番号
06-6947-7777
代表者名
品田卓
上場
未上場
資本金
10億円
設立
1981年01月