日本最大の“音楽ホール”として愛され続ける日本武道館のコンサート歴史を紐解く。40年前『チープ・トリック at 武道館』を作った男にとって、そこは”夢の場所”だった。
音楽情報サイト「otonano」にて2018年秋スタート!新連載コラム「日本武道館列伝 The Legendary@BUDOKAN」。
全世界で400万枚のセールスを記録した『チープ・トリック at 武道館』を作った男として知られる元ソニーミュージックの洋楽名物ディレクター、野中規雄氏。日本武道館公演の成功秘話と感動の「夜」を振り返る[前編]。輸出LP『CHEAP TRICK AT BUDOKAN』が独り歩きをはじめた激動期を語る[後編]が早くも音楽業界で話題。語り継がれるブドーカン伝説が40年目に「真実」となって明らかになった。
1964年9月に完成、10月に東京オリンピックの柔道競技場会場として開館した日本武道館(東京都千代田区北の丸公園2の3)。1966年6月にビートルズ初来日会場として使用されて以降は、日本最大の音楽ホールとして愛され続けるコンサートの“聖地“。来たる2020年8月、再び東京オリンピックの柔道会場の舞台となることが決定。その会場整備のため、2019年夏から約1年間の改修工事に入ることとなった。音楽情報サイト「otonano」では、その輝かしい歴史のなかで”音楽ホール”としての日本武道館にスポットを当てた新連載をスタートした。数多くの名演、名盤、名場面を生んだレジェンダリーの回想を不定期で掲載していく。
初回は『チープ・トリック at 武道館』を作った男として世界中で知られる元ソニーミュージックの洋楽名物ディレクター、野中規雄氏のインタビューを[前後編]で掲載している。
「例えば『チープ・トリック・ライヴ・イン・ジャパン』だったら、ここまで武道館が音楽ホールとして語り継がれるようなことはなかったんじゃないですか。もし僕がタイトルに武道館を使わなかったから、ここの取材の席に呼ばれることもなかっただろうし(笑)」[前編]より
「武道館が“夢の場所”だったのは、80年代の初めまでなんじゃないかなあ。個人的な感覚からすれば、1966年のビートルズから始まって15年くらいの間、その場所はみんなが楽しめるワンダーランドみたいな空間だったんじゃないかなという気がします」[後編]より
対談は、ソニー・ミュージックダイレクトが運営する音楽情報サイト
「otonano」新連載
「日本武道館列伝 The Legendary@BUDOKAN」からお楽しみいただけます。
http://www.110107.com/budokan/
●野中規雄(のなか・のりお)
1948年、群馬県前橋生まれ。1972年にCBS・ソニー(当時)に入社し、洋楽宣伝、洋楽ディレクターとして、エアロスミスやクラッシュ、ジャニス・イアン、チープ・トリックなど数多くのアーティストを手がけた。その後、SD本部、国内制作本部長、ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役を経て2003年にソニー・ミュージックダイレクト代表取締役に就任。2008年に同社を定年退職し、同年に退職した岡田了とともに株式会社日本洋楽研究会を設立。制作に携わった洋楽カタログを後世に残すための活動を行っている。https://ameblo.jp/nihonyogaku/ レッツゴー!元日本洋楽研究会
[関連URL]
http://www.sonymusic.co.jp/artist/CheapTrick/ チープ・トリック日本公式
https://cheaptrick-budokan2018.com/ チープ・トリック来日公演情報
このプレスリリースには、メディア関係者向けの情報があります
メディアユーザーログイン既に登録済みの方はこちら
メディアユーザー登録を行うと、企業担当者の連絡先や、イベント・記者会見の情報など様々な特記情報を閲覧できます。※内容はプレスリリースにより異なります。
すべての画像