日本最大の“音楽ホール”として愛され続ける日本武道館のコンサート歴史を紐解く。40年前『チープ・トリック at 武道館』を作った男にとって、そこは”夢の場所”だった。
音楽情報サイト「otonano」にて2018年秋スタート!新連載コラム「日本武道館列伝 The Legendary@BUDOKAN」。
全世界で400万枚のセールスを記録した『チープ・トリック at 武道館』を作った男として知られる元ソニーミュージックの洋楽名物ディレクター、野中規雄氏。日本武道館公演の成功秘話と感動の「夜」を振り返る[前編]。輸出LP『CHEAP TRICK AT BUDOKAN』が独り歩きをはじめた激動期を語る[後編]が早くも音楽業界で話題。語り継がれるブドーカン伝説が40年目に「真実」となって明らかになった。
ロビン・ザンダーと(1978年/写真提供:野中規雄)
初回は『チープ・トリック at 武道館』を作った男として世界中で知られる元ソニーミュージックの洋楽名物ディレクター、野中規雄氏のインタビューを[前後編]で掲載している。
「例えば『チープ・トリック・ライヴ・イン・ジャパン』だったら、ここまで武道館が音楽ホールとして語り継がれるようなことはなかったんじゃないですか。もし僕がタイトルに武道館を使わなかったから、ここの取材の席に呼ばれることもなかっただろうし(笑)」[前編]より
「武道館が“夢の場所”だったのは、80年代の初めまでなんじゃないかなあ。個人的な感覚からすれば、1966年のビートルズから始まって15年くらいの間、その場所はみんなが楽しめるワンダーランドみたいな空間だったんじゃないかなという気がします」[後編]より
リック・ニールセンと(1978年/写真提供:野中規雄)
「otonano」新連載
「日本武道館列伝 The Legendary@BUDOKAN」からお楽しみいただけます。
http://www.110107.com/budokan/
1948年、群馬県前橋生まれ。1972年にCBS・ソニー(当時)に入社し、洋楽宣伝、洋楽ディレクターとして、エアロスミスやクラッシュ、ジャニス・イアン、チープ・トリックなど数多くのアーティストを手がけた。その後、SD本部、国内制作本部長、ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役を経て2003年にソニー・ミュージックダイレクト代表取締役に就任。2008年に同社を定年退職し、同年に退職した岡田了とともに株式会社日本洋楽研究会を設立。制作に携わった洋楽カタログを後世に残すための活動を行っている。https://ameblo.jp/nihonyogaku/ レッツゴー!元日本洋楽研究会
チープ・トリック『チープ・トリック at 武道館』
http://www.sonymusic.co.jp/artist/CheapTrick/ チープ・トリック日本公式
https://cheaptrick-budokan2018.com/ チープ・トリック来日公演情報
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