わたしたちの丸岡城を こう活かそう![福井県坂井市]

11月28日“お城博士ちゃん”ゲストに「城サミット」

坂井市役所

今年、城の西側に整備された水盤上に映った逆さ丸岡城

 福井県坂井市の現存十二天守のひとつ、「丸岡城」の地元の4小中学校の児童生徒による教育イベント「丸岡城サミット お城博士ちゃんと学ぶ丸岡城」(主催:丸岡城サミット実行委員会、共催:坂井市教育委員会丸岡城国宝化推進室)が11月28日、同市丸岡町の平章小学校体育館で開かれる。昨年、同市で開かれたお城EXPOにゲスト出演したお城博士ちゃんこと栗原響大さん(神奈川県)も初参戦、丸岡城の魅力を深掘りする。

 また、12月6日には“丸岡城のルーツ”ともいえる豊原寺の全容に迫る特別記念講演会「越前一向一揆と豊原寺を考える~四五〇年を経て~」も高椋コミュニティセンターで催され、坂井市は歴史とお城のロマンにあふれる催しが続く。

170人が探究成果を発表

「お城EXPO」成功に向け児童の前で披露された「いざ!出陣パフォーマンス」

 丸岡城サミットは、「ふるさと地域学習」の一環として、地元の小中学生に対し、丸岡城に関する探究および成果発表を通じて、学習の視点や方法を学ぶ一方、地域の歴史・文化や丸岡城のまちづくりの現状と課題を考えることで、お城のある町に誇りに持ってもらう狙いがある。2019年3月に第1回を開催し今年で7回目。城下をはじめ近隣にある各学校で、丸岡城に関するテーマを決め、お城の魅力を深掘りしながら、思い思いのスタイルで発表しており、昨年3月の5回目は旧丸岡町の6小学校と2中学、県立丸岡高校の9校が勢ぞろいして開いた。今回の参加は平章(5年生50人)長畝(3年生48人)、高椋(3年生56人)と丸岡中(2年生20人)の4校。

栗原響大さん
丸岡城サミット告知チラシ

 今年の目玉は、テレビ番組で人気者になった「お城博士ちゃん」こと栗原響大さん(神奈川県在住、高校1年)のゲスト出演。4校の児童生徒が順次、発表したことに対し、栗原さんが講評する。各校の発表は、丸岡中学校が、他の彦根城や大野城を見学してきたことを下地に、丸岡城を今後のまちづくりにどう生かすかプレゼンテーション。平章と高椋は、児童たちが丸岡城にまつわる秘話や城下のまちづくり、福井地震から奇跡の天守再建を遂げた物語を劇やクイズ形式で発表、また長畝は探究活動をパワーポイントで発表、お天守の国宝化に向けて自分たちが何ができるか、考える内容を予定している。

 また栗原さん自身が、現存十二天守など全国のお城に詳しいこともあり、他の城と比較するなどして、丸岡城の魅力や面白さをプレゼンテーションする。

さらに、4校からの代表者4人と栗原さんとのトークセッションもある。参加は4校の代表児童・生徒だけで170人、父母らも含め約200人が集う。時間は、午前9時から同11時過ぎまで。保護者だけでなく、一般の方で希望者も入場できる。申し込みは不要。

 参加は無料。駐車場などの問い合わせは、城のまちまちづくり協議会=☎0776-66-1276

12月6日は特別記念講演会

丸岡城のルーツ 信長に滅ぼされた「豊原寺」とは

 特別記念講演会「越前一向一揆と豊原寺を考える ~四五〇年を経て~」(坂井市教育委員会主催)は12月6日午後1時半から、坂井市丸岡町の高椋コミュニティセンター4F・たかむく古城ホールを会場に開かれる。

 昨年は、丸岡藩誕生400年の節目だったが、今年は丸岡城の“前身”ともいえる豊原寺(坂井市丸岡町豊原)が織田信長軍によって焼き討ちされた1575(天正3)年から450年目に当たることから、かつて中世に白山信仰の中心地のひとつとして栄えた有力寺院で、のちに一向一揆の拠点として、丸岡城の前身の砦があった豊原寺と丸岡城下について考察を深める。

今も石垣がのこる丸岡城のルーツ「豊原寺跡」
松浦 義則氏

 メインは、福井大学名誉教授で、坂井市丸岡城調査研究アドバイザー、松浦義則氏による特別講演。「中世の豊原寺と越前一向一揆」の演題で、越前を支配した戦国大名の朝倉氏が滅んだ後、越前全土で起こった一向一揆の経緯や、その拠点となった豊原寺について語ってもらう。

 また豊原寺壊滅の後、勝家の甥の柴田勝家が、平野部の丘上に丸岡城を築くにあたって、豊原から町ごと移して城下町を築いたことから、現在の丸岡城下のルーツにもなる。こうした歴史的背景をもとに、坂井市教育委員会の角明浩、堤徹也、大廣克也の3学芸員が、越前一向一揆における豊原寺の動向や豊原寺の発掘成果、丸岡城下の浄土真宗寺院などについて研究発表。越前一向一揆、また焼き討ちから450年が経過し、謎に包まれたままの一揆勢の拠点の全容に迫る。

 参加は無料(申し込み不要)。終了予定は午後5時ごろ。問い合わせは坂井市教育委員会丸岡城国宝化推進室=☎0776-50-3164


丸岡城とは...

 別名、霞ヶ城とも呼ばれ、平野の独立丘陵を利用してつくられた平山城。戦国時代の天正4年(1576年)、織田信長の家臣である柴田勝家の甥・勝豊の築城と伝えられる。標高27mの独立丘陵を本丸として天守を築き、江戸時代にはその周囲に二の丸と内堀、その外側に三の丸と外堀を巡らせていた。

丸岡城天守

 丸岡城天守は、江戸時代以前に建てられたものの、その後、修築などを経て江戸時代から現在まで当時の姿を残し、現存12天守の1つに数えられる。戦後の昭和23(1948)年の福井地震により石垣もろとも完全に倒壊したが、天守の材料や石垣などの主要部材の多くを再利用し、昭和30(1955)年、修復修理された。現存12天守の中で、完全に倒壊した状況から修復された天守は唯一丸岡城天守のみ。

 現在、立ち続けている古式の風格のある姿は、消滅の危機という、困難な道のりを経ても立ち上がり、復興してきた証しであり、その歴史は他にない波乱の運命を歩み、奇跡の修復城と言える。

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会社概要

坂井市役所

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URL
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業種
官公庁・地方自治体
本社所在地
福井県坂井市坂井町下新庄1-1
電話番号
0776-66-1500
代表者名
池田禎孝
上場
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資本金
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設立
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