【2023年9月で設立76周年】「変革のDNA」をもつ野原グループ、BIM設計-製造-施工支援プラットフォーム「BuildApp(ビルドアップ)」を12月開催の建設DX展(東京)に出展予定
~創業1598年、武士から商人へ、綿問屋として始まった野原グループが建設産業の「変革のフロントランナー」として進める建設DX推進事業「BuildApp」と「建設DXで、社会を変えていく」未来とは~
野原グループは、1598(慶長3)年、長野県飯田市で綿問屋として始まり、時代のニーズを先取りして業態転換することにより、1947年9月、東京都中央区で野原グループ株式会社の前身となる野原産業株式会社を設立。以降、建設産業へ踏み出し、「社会に求められる企業」として425年の歴史を紡いできました。
特に、2020年以降は、「現状に甘んじず、自らが建設産業の仕組みやルール、社会を変えていくことが必要」とのトップ方針のもと、社会のインフラと「住」を担う建設産業で、建設DX推進事業(BuildApp)に注力しています。
そして、2023年12月、東京ビッグサイトで開催予定の「第3回建設DX展(東京)」にもBuildApp(ビルドアップ)を出展します。
はじめに
創業から425年、設立から76年目にあたる2023年。
建設産業に携わる私たちは、この7月、それまでの4事業会社を統合し「野原グループ株式会社」に再編しました。
ブランドメッセージを「建設DXで、社会を変えていく」に刷新しました。
建設産業は、3K職場だと言われたり、デジタル化が遅れ生産性が低いと言われたりしています。
野原グループは、そんな建設産業の「変革のフロントランナー」として、建設DX推進事業で、建設産業変革の一翼を担い、建設のプロセス変革と生産性向上を牽引したいと考えています。
新体制での初出展!2023年12月開催「第3回建設DX展(東京)」への出展内容(予定)
2023年7月、建設DX推進事業のBIM設計-製造-施工支援プラットフォーム「BuildApp(ビルドアップ)」の強化を主な目的として、それまでの4事業会社を統合し「野原グループ株式会社」に再編、ブランドメッセージを「建設DXで、社会を変えていく」に刷新し、新体制としました。
2023年12月、東京ビッグサイトで開催予定の「第3回建設DX展(東京)」に、新体制として初めてBuildApp(ビルドアップ)を出展します。
イベント名称 | 第3回建設DX展(東京) |
会期 | 2023年12月13日(水)~同年12月15日(金) |
会場 | 東京ビッグサイト |
野原グループ 出展予定内容 | BIM設計-製造-施工支援プラットフォーム「BuildApp(ビルドアップ)」 |
WEB |
野原グループ 代表取締役社長 野原弘輔より
野原グループは、社会を支える建設産業を担う一員として、サステナブルに成長していく未来、社会の実現を目指しいます。
そのために我々が開発した、BIM設計-製造-施工支援プラットフォーム「BuildApp(ビルドアップ)」はβ版から開始し、数々の実証実験を重ね、今期は、対応工種の拡大とサービスの質向上を方針に掲げております。
我々は、この12月に第3回の開催を迎える「建設DX展(東京)」に、このBuildAppを出展し、進化した姿を来場された皆様にご紹介したいと考えています。どうぞ、ご期待ください。
創業からの歴史にみる「変革のDNA」
●1598年 創業~戦後:綿問屋から、新たな経済の流れを見越した思い切った経営転換の数々
創業は1598年(慶長3年)。
創業者は、元々は織田信長方の武士(中谷勘兵衛門)だったと言われており、本能寺の変の後に、名を「仁兵衛」と改め武士から商人に転身し、現在の長野県飯田市で本格的に商売を始めました。
最初に手をかけたのは綿の売買で、江戸時代の人口増加、人々の生活が豊かになるのに合わせて、事業を酒や醤油など、身の回りの品を製造、販売することで事業を拡大。
その後、近代産業が導入され始めた明治時代後期に金物店に業態を転換し、大正、昭和と続く中で、取扱い商品を、釘や鍋・釜、ガラスやセメントなど、人々の生活の変化に合わせて商売の内容を変えていきました。
●1947年9月 野原産業株式会社の設立(第二の創業):建設産業へ
第二次世界大戦の影響と、1947年の「飯田の大火」で本店もあった飯田市の市街地の半分以上が消失する大火に遭います。
資材の多くを失った野原家の当時当主は、野原達也(初代 野原産業 社長)と野原弘吉(2代目社長)に世代交代を宣言し、その後の事業を次の世代に譲ることにしました。
野原弘吉をはじめとする社員数名は、数少ない物資の中、受け継いできた「のれん」を守るべく焼け跡からの再建作業をはじめ、社会の動きと人々の生活にも思いをはせ、1947年の夏にアイスキャンディーを飯田市の街中で販売します。
これを資金の足しにして、その秋の1947年9月、東京に進出し「野原産業株式会社(現、野原グループ株式会社)」を中央区に設立しました。
そして、野原産業(現 野原グループ)は、戦後、建材商社として多くのメーカー様の建材をゼネコン様や施工会社様にお届けをする役割を担うことになります。
戦後復興の追い風に加え、創業メンバーがそれぞれの場所で人脈、地脈をつくり、事業の拡大に心血を注いだ結果、石膏ボードをはじめとする内装材料の販売(のちに、住宅メーカーへの建設資材の販売)、サッシやカーテンウォールの工事、鉄筋の加工、販売、工事、道路標識や案内標識の工事、など現在では全て100億円から数百億円の事業に成長しています。
これも、狙って進んだ道というよりは、自分達が見える限りの社会の変化を捉えた結果だった、と現社長の野原弘輔は振り返ります。
●2023年 野原グループ株式会社の誕生:建設DXで、社会を変えていく
2018年7月に現社長の野原弘輔が社長に就任。「社会に求められる企業としていかに成長し続けられるか」を熟考した結果、「建設DX推進事業」に大きくかじ取りをすることになります。
建設産業は、特にコロナ禍を潮目に、脱炭素・生産性向上といった課題解決に向けて、大きな転換期を迎えています。
現在、野原グループは、アナログ手法が主流だった建設プロセスにデジタル技術を導入して生産性を向上できる基盤環境としてのプラットフォームサービス、BIM設計-製造-施工支援プラットフォーム「BuildApp(ビルドアップ)」で、変わりゆく建設産業の変革をけん引するフロントランナーとして、その歩みを強めるとともにスピードアップを図っています。
創業から425年の長寿経営を支えてきた考え方とは
長寿経営を実現していくためには、変化対応、変わるDNAを大事にしています。
そして、挑戦し続けること。
野原グループは、これまでも業態を変えて何度もの苦難や苦節を乗り越え、425年も続いています。
「国内建設産業は、技術もあり、面白いこともやっていて、住を支える産業なのに日が当たらないのは残念です。今や、建設業はレガシー産業と言われ、農業に次いで生産性が低い産業です。私たちは、このレガシー産業に変革を起こしたい。人々の「住」をより快適で便利なものにしていきたいと思うと同時に、若手があこがれるような魅力ある産業にアップデートしていきたいと考えています。
どんな変化であっても、1598年創業以来の『変化対応と創意工夫のDNA』は守ろうと思っています。
が、それは老舗企業として活躍し続ける、というニュアンスとはだいぶ違うと考えています。」
(野原グループ 代表取締役社長 野原弘輔 談)
●野原グループに流れる思想を熟語や格言で表すと
1.利を見ては義を思う(論語)
利益を目前にして、それが義にかなっているか否かを考える
2.不易流行
「不易流行(ふえきりゅうこう)」とは、いつまでも変わらないものの中に新しい変化を取り入れることを指す言葉です。また、新しさを求めて変化をすること自体が、世の常であるということも指します。(小学館WEBより)
野原グループについて
野原グループ株式会社を中心とする野原グループ各社は、「CHANGE THE GAME.クリエイティブに、面白く、建設業界をアップデートしていこう」のミッションのもと、変わる建設業界のフロントランナーとしてステークホルダーの皆さまとともに、サプライチェーンの変革と統合を推し進めます。
社会を支える建設産業の一員である私どもが、業界から排出される廃材量やCO2の削減、生産性向上による働き方改革を実現し、サステナブルに成長していく未来の実現を目指します。
https://nohara-inc.co.jp
以上
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