2020年 未来のメーキャップを大胆予測! 「化粧は時代を映し出す」 ~日本女性の化粧の変遷100年~
資生堂は創業以来、時代を先取りした女性の美を提案してきました。2015年を迎える今、長年の化粧トレンド研究の成果を活かし、2020年の未来のメーキャップを予測します。さらに、西洋化粧が一般的に取り入れられるようになった、1920年から現在に至るまでの化粧の変遷を1名のモデルで再現しました。今回は、資生堂ビューティートレンド研究※1の中心メンバーである、シニアヘア&メーキャップアーティスト鈴木節子が、時代背景とともに美の変遷と未来の美について解説します。
シニアヘア&メーキャップアーティスト 鈴木節子(すずき せつこ)
資生堂の宣伝広告や広報におけるヘアメーキャップの他、東京、ニューヨーク、パリコレクション等、ファッションショーのバックステージでヘアメーキャップを手掛けるなど、多岐にわたり活動。これまでに「クレ・ド・ポー ボーテ」、「Shiseido Makeup」、「マキアージュ」などのブランドの商品開発やカラークリエーション、美容情報開発などを担当。2010年から2年間NYに駐在経験がある。現在は、市場のヘアメーキャップ傾向をまとめ、次の流行を予測する、ビューティートレンド研究のプロジェクトメンバーとしても活動。
《社会・景気動向と化粧について》
過去の社会・景気動向と化粧の関係を見ると、景気が良くなると明るい色の口紅や太眉が主流となり、凛とした元気なメーキャップが流行する傾向があります。逆に景気が悪くなると、眉が細くなるなど、頼りなげな冷めた表情のメーキャップが流行します。その他、天災や情勢不安があると、メーキャップがナチュラル回帰するなどの傾向がみられます。最近では、口もとに色が戻り、太眉の傾向が続いていることより、景気の上向き傾向や好景気への期待が化粧に表れていると捉えることもできます。これは、女性の化粧が世の中の雰囲気=世相を反映しており、女性の顔が社会背景や経済動向などを含む時代の空気と共に変化しているともいえます。
2020年未来予測として、「ジャパンカラー」と「スポーティーポップ」の 2つのメーキャップを提案します。
(I) ジャパンカラー
日本古来の化粧の三原色である「赤」「白」「黒」を基調としたメーキャップを提案します。透明感のある肌や目頭の輝きを表現する白、目のフレームを際立てる黒いアイラインと赤い口紅など、和装メークで施す目の縁にさす紅を、黒いアイラインの縁にもさします。和の化粧を現代風にアレンジし、日本女性の凛とした美しさを表現しました。
近年アイラインのメークアレンジが多様に表現されるようになったことも受け、明るいカラー、ブルーを使用したダブルラインのポップなメークを提案します。肌はツヤのある健康的な肌に、口もとはオレンジリップで、軽快でスポーティーな印象に仕上げます。全体的に軽やかで颯爽とした美しさを表現しました。
《1920年代から現代までの化粧の変遷》
【 1920年~1950年代/西洋文化・銀幕女優への憧憬 】
1920年代~1970年代前半の化粧に共通するのは、西洋文化への憧れです。お手本は、銀幕の女優や欧米のスターアイコンです。1920年代は細く下がった眉、目尻にシャドーを入れたタレ目、薄いおちょぼ口など、非常に頼りない表情ですが、日本の伝統的な化粧とよく似ています。伝統的な日本の化粧から西洋的な化粧へと違和感なく移行していった時期といえます。その後1930年代になると、アーチ型につり上げた眉と、アウトカーブで大きめに描いた唇に変化します。日本の伝統的な化粧の美意識とは大きく異なり、西洋の影響が本格的になってきたことを如実に表しています。戦後である1950年代になると、意志の強そうな角型の太い眉と、アイラインでキリッとつり上げた目もとが流行し、復興期の日本の力強さを読み取ることができます。この時期になると化粧品が豊富になり、肌色のバリエーションに対する意識は徐々に高まってきているものの、一般的には白めの肌に、黒いアイライン、赤い口紅の伝統的な日本化粧の3原色の域を脱していませんでした。
1960年代~1970年代前半は、日本人が本格的に世界を意識し始めた時代です。特にメーキャップに関しては、伝統的な3原色から脱却し、口紅に淡いシャーベットトーンが登場し、メーキャップの幅が格段に広がりました。女性のファッションアイコンは映画女優から、コーマーシャルで活躍するモデルへと移行します。それに伴い、上瞼に二重ラインを描き、大げさなつけまつ毛を付け、立体的な眼の大きな西洋人モデルのようなアイメーキャップが流行します。肌に関しては、西洋志向のピンク系の明るい肌が主流ではあるものの、日本史上初めて日焼け色の肌が大流行した時代でもあります。1970年代に入ると、ベトナム戦争、反戦運動、ヒッピーの登場、石油ショック、急激な工業化による公害問題など、戦後急成長する日本に暗い影を落とします。それに伴いメーキャップは、60年代に元気につり上がっていた目もとが、目の下にシャドーの入ったタレ目風になり、眉は非常に細く薄く、全体的に退廃的な雰囲気が主流となります。
1970年代後期は、それまでの欧米中心の価値観では、マイナーだった存在の日本人が国際舞台に立つようになりました。日本人デザイナーがパリコレクションで認められ、日本人モデルももてはやされます。「西洋人のようになりたい」というコンプレックスを脱し、日本人固有の美しさを見直すようになります。当社では、1973年に広告モデルとして純日本的な山口小夜子を初めて起用します。また、1976年に真行寺君枝を起用したシフォネットの宣伝広告では「ゆれるまなざし」をキャッチコピーに、日本人の切れ長な目もとの魅力をアピールし大きな話題となりました。景気が上昇し「ジャパンアズナンバーワン」と言われた1980年代になると、キャリアウーマンブームを迎え、ファッションもサーファーファッションやカラス族など、多様化が始まります。それまで20年間にわたって細く薄くなる一方だった眉が、一気に太く濃くなります。「ナチュラルだから」といいながら、実際にはかなり太く濃く、強い印象のメーキャップとなります。キャリア志向の末に世界一のバブル景気を迎えた日本の女性たちは、やがて強さと女らしさを使い分けるようになり、徐々にワンレン、ボディ・コンの女らしいスタイルへシフトします。その後、はっきりとした色の特徴的な口紅以外の化粧は薄くなり、目もともごくナチュラルなものとなります。
1990年代後半から茶髪・細眉・小顔メークで女性たちの美容熱はヒートアップしていきます。ファッションも流行が先行層から裾野へと広がる、ピラミッド型から変化していきます。ギャル層、OLエレガント層、裏原系など、ピラミッドの山は幾つも細分化され、多様化に向かいます。2000年代の女性たちは、ヘアエクステ、まつ毛パーマ 、まつ毛エクステ、黒目強調コンタクト、ジェルネールなど、化粧品だけでは表現できない領域の、美容表現にまで手を広げ、空前の美容ブームが到来します。化粧品以外の手段も駆使して、盛りに盛ったヘアメークは、どこまでも白熱し拡張するかに思えましたが、東日本大震災という大きな出来事で分岐点を迎えます。自分にとって本当に必要なモノは何かを自問自答し、自分自身を見つめ直した女性たちの化粧は、一気に肩の力が抜けナチュラルに回帰していきます。癒しを求め日本女性が本来好むカワイイ表現として、涙袋メークや湯上りのぼせチークが現れます。眉の色は明るくなり、ブライトカラーで口もとに色味が戻ってきます。2000年代メークの色味は技術の進化とともに、なじみ系ヒューマンカラーの長い流行を経て、現在色戻りの時代となっています。
《鈴木節子メッセージ》
朝の化粧の仕上がりが一日の気分を左右するということは、女性なら誰でも実感することではないでしょうか。また逆に、女性の気分が化粧を変えることもあります。女性の気分と化粧は相互に作用しあっているため、化粧の変遷を年代ごとに見ていくと、時代の気分や社会の空気までも伝わってきます。時代の顔、化粧の変遷を追い続けることで、自ずとその先の未来も見えてくるように感じます。この先の未来も、女性の気分が化粧を変え、化粧が時代の顔をつくっていくのではないでしょうか。化粧をスイッチにして、明るく輝く女性たちが益々増えることを願うとともに、私も新しい価値を創り出しチャレンジし続ける存在でありたいと思います。
※1:ビューティートレンド研究
資生堂ビューティークリエーション研究センターが商品開発や施策に資することを狙いに、1987年より行っている独自のトレンド予測研究。年に2回、1年半先のビューティートレンド予測を行う。トレンドは、ヘア&メーキャップだけでなくファッションや世相も大きく関係していることから、「未来につながるマインド」の予測を行い、雑誌や街頭調査、世界のコレクション情報に至るまで、様々な分野を総合的に分析している。
※2:資生堂ビューティークリエーション研究センター
プロのヘア&メーキャップアーティストが約40名在籍し、宣伝広告のヘア&メーキャップ、商品のカラークリエーションをはじめ、NY、パリ、東京などで開催されるファッションデザイナーの海外・国内コレクションのバックステージで活動し、最先端のトレンド情報を発信している。
資生堂ビューティークリエーション研究センターHP: http://hma.shiseidogroup.jp/?rt_pr=tr233
▼ ニュースリリース
http://www.shiseidogroup.jp/releimg/2366-j.pdf?rt_pr=tr233
▼ 資生堂グループ企業情報サイト
http://www.shiseidogroup.jp/?rt_pr=tr233
資生堂ビューティークリエーション研究センター※2
シニアヘア&メーキャップアーティスト 鈴木節子(すずき せつこ)
資生堂の宣伝広告や広報におけるヘアメーキャップの他、東京、ニューヨーク、パリコレクション等、ファッションショーのバックステージでヘアメーキャップを手掛けるなど、多岐にわたり活動。これまでに「クレ・ド・ポー ボーテ」、「Shiseido Makeup」、「マキアージュ」などのブランドの商品開発やカラークリエーション、美容情報開発などを担当。2010年から2年間NYに駐在経験がある。現在は、市場のヘアメーキャップ傾向をまとめ、次の流行を予測する、ビューティートレンド研究のプロジェクトメンバーとしても活動。
《社会・景気動向と化粧について》
過去の社会・景気動向と化粧の関係を見ると、景気が良くなると明るい色の口紅や太眉が主流となり、凛とした元気なメーキャップが流行する傾向があります。逆に景気が悪くなると、眉が細くなるなど、頼りなげな冷めた表情のメーキャップが流行します。その他、天災や情勢不安があると、メーキャップがナチュラル回帰するなどの傾向がみられます。最近では、口もとに色が戻り、太眉の傾向が続いていることより、景気の上向き傾向や好景気への期待が化粧に表れていると捉えることもできます。これは、女性の化粧が世の中の雰囲気=世相を反映しており、女性の顔が社会背景や経済動向などを含む時代の空気と共に変化しているともいえます。
《2020年未来予測》
2020年未来予測として、「ジャパンカラー」と「スポーティーポップ」の 2つのメーキャップを提案します。
(I) ジャパンカラー
日本古来の化粧の三原色である「赤」「白」「黒」を基調としたメーキャップを提案します。透明感のある肌や目頭の輝きを表現する白、目のフレームを際立てる黒いアイラインと赤い口紅など、和装メークで施す目の縁にさす紅を、黒いアイラインの縁にもさします。和の化粧を現代風にアレンジし、日本女性の凛とした美しさを表現しました。
(II) スポーティーポップ
近年アイラインのメークアレンジが多様に表現されるようになったことも受け、明るいカラー、ブルーを使用したダブルラインのポップなメークを提案します。肌はツヤのある健康的な肌に、口もとはオレンジリップで、軽快でスポーティーな印象に仕上げます。全体的に軽やかで颯爽とした美しさを表現しました。
《1920年代から現代までの化粧の変遷》
【 1920年~1950年代/西洋文化・銀幕女優への憧憬 】
1920年代~1970年代前半の化粧に共通するのは、西洋文化への憧れです。お手本は、銀幕の女優や欧米のスターアイコンです。1920年代は細く下がった眉、目尻にシャドーを入れたタレ目、薄いおちょぼ口など、非常に頼りない表情ですが、日本の伝統的な化粧とよく似ています。伝統的な日本の化粧から西洋的な化粧へと違和感なく移行していった時期といえます。その後1930年代になると、アーチ型につり上げた眉と、アウトカーブで大きめに描いた唇に変化します。日本の伝統的な化粧の美意識とは大きく異なり、西洋の影響が本格的になってきたことを如実に表しています。戦後である1950年代になると、意志の強そうな角型の太い眉と、アイラインでキリッとつり上げた目もとが流行し、復興期の日本の力強さを読み取ることができます。この時期になると化粧品が豊富になり、肌色のバリエーションに対する意識は徐々に高まってきているものの、一般的には白めの肌に、黒いアイライン、赤い口紅の伝統的な日本化粧の3原色の域を脱していませんでした。
【 1960年代~1970年代前期/西洋人顔への憧憬と模倣 】
1960年代~1970年代前半は、日本人が本格的に世界を意識し始めた時代です。特にメーキャップに関しては、伝統的な3原色から脱却し、口紅に淡いシャーベットトーンが登場し、メーキャップの幅が格段に広がりました。女性のファッションアイコンは映画女優から、コーマーシャルで活躍するモデルへと移行します。それに伴い、上瞼に二重ラインを描き、大げさなつけまつ毛を付け、立体的な眼の大きな西洋人モデルのようなアイメーキャップが流行します。肌に関しては、西洋志向のピンク系の明るい肌が主流ではあるものの、日本史上初めて日焼け色の肌が大流行した時代でもあります。1970年代に入ると、ベトナム戦争、反戦運動、ヒッピーの登場、石油ショック、急激な工業化による公害問題など、戦後急成長する日本に暗い影を落とします。それに伴いメーキャップは、60年代に元気につり上がっていた目もとが、目の下にシャドーの入ったタレ目風になり、眉は非常に細く薄く、全体的に退廃的な雰囲気が主流となります。
【 1970年代後期~1990年代初期/日本美の再認識・女性の社会進出 】
1970年代後期は、それまでの欧米中心の価値観では、マイナーだった存在の日本人が国際舞台に立つようになりました。日本人デザイナーがパリコレクションで認められ、日本人モデルももてはやされます。「西洋人のようになりたい」というコンプレックスを脱し、日本人固有の美しさを見直すようになります。当社では、1973年に広告モデルとして純日本的な山口小夜子を初めて起用します。また、1976年に真行寺君枝を起用したシフォネットの宣伝広告では「ゆれるまなざし」をキャッチコピーに、日本人の切れ長な目もとの魅力をアピールし大きな話題となりました。景気が上昇し「ジャパンアズナンバーワン」と言われた1980年代になると、キャリアウーマンブームを迎え、ファッションもサーファーファッションやカラス族など、多様化が始まります。それまで20年間にわたって細く薄くなる一方だった眉が、一気に太く濃くなります。「ナチュラルだから」といいながら、実際にはかなり太く濃く、強い印象のメーキャップとなります。キャリア志向の末に世界一のバブル景気を迎えた日本の女性たちは、やがて強さと女らしさを使い分けるようになり、徐々にワンレン、ボディ・コンの女らしいスタイルへシフトします。その後、はっきりとした色の特徴的な口紅以外の化粧は薄くなり、目もともごくナチュラルなものとなります。
【 1990年代後期~現在/空前の美容ブーム到来・日本独自のトレンド形成・進化 】
1990年代後半から茶髪・細眉・小顔メークで女性たちの美容熱はヒートアップしていきます。ファッションも流行が先行層から裾野へと広がる、ピラミッド型から変化していきます。ギャル層、OLエレガント層、裏原系など、ピラミッドの山は幾つも細分化され、多様化に向かいます。2000年代の女性たちは、ヘアエクステ、まつ毛パーマ 、まつ毛エクステ、黒目強調コンタクト、ジェルネールなど、化粧品だけでは表現できない領域の、美容表現にまで手を広げ、空前の美容ブームが到来します。化粧品以外の手段も駆使して、盛りに盛ったヘアメークは、どこまでも白熱し拡張するかに思えましたが、東日本大震災という大きな出来事で分岐点を迎えます。自分にとって本当に必要なモノは何かを自問自答し、自分自身を見つめ直した女性たちの化粧は、一気に肩の力が抜けナチュラルに回帰していきます。癒しを求め日本女性が本来好むカワイイ表現として、涙袋メークや湯上りのぼせチークが現れます。眉の色は明るくなり、ブライトカラーで口もとに色味が戻ってきます。2000年代メークの色味は技術の進化とともに、なじみ系ヒューマンカラーの長い流行を経て、現在色戻りの時代となっています。
《鈴木節子メッセージ》
朝の化粧の仕上がりが一日の気分を左右するということは、女性なら誰でも実感することではないでしょうか。また逆に、女性の気分が化粧を変えることもあります。女性の気分と化粧は相互に作用しあっているため、化粧の変遷を年代ごとに見ていくと、時代の気分や社会の空気までも伝わってきます。時代の顔、化粧の変遷を追い続けることで、自ずとその先の未来も見えてくるように感じます。この先の未来も、女性の気分が化粧を変え、化粧が時代の顔をつくっていくのではないでしょうか。化粧をスイッチにして、明るく輝く女性たちが益々増えることを願うとともに、私も新しい価値を創り出しチャレンジし続ける存在でありたいと思います。
※1:ビューティートレンド研究
資生堂ビューティークリエーション研究センターが商品開発や施策に資することを狙いに、1987年より行っている独自のトレンド予測研究。年に2回、1年半先のビューティートレンド予測を行う。トレンドは、ヘア&メーキャップだけでなくファッションや世相も大きく関係していることから、「未来につながるマインド」の予測を行い、雑誌や街頭調査、世界のコレクション情報に至るまで、様々な分野を総合的に分析している。
※2:資生堂ビューティークリエーション研究センター
プロのヘア&メーキャップアーティストが約40名在籍し、宣伝広告のヘア&メーキャップ、商品のカラークリエーションをはじめ、NY、パリ、東京などで開催されるファッションデザイナーの海外・国内コレクションのバックステージで活動し、最先端のトレンド情報を発信している。
資生堂ビューティークリエーション研究センターHP: http://hma.shiseidogroup.jp/?rt_pr=tr233
▼ ニュースリリース
http://www.shiseidogroup.jp/releimg/2366-j.pdf?rt_pr=tr233
▼ 資生堂グループ企業情報サイト
http://www.shiseidogroup.jp/?rt_pr=tr233
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